↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/60

第29帳 雪玉にも軍法あり

 江戸に、雪が降った。

 深くはない。

 だが、屋根を白くし、道の端に積もり、相撲場の土を隠すには十分だった。

 朝から、子供たちが雪を丸めて投げ合っている。

 人足も混じる。

 酒屋の若い衆も混じる。

 黒菱衆の若い者まで、少し笑っていた。

 森蘭丸は、それを見て嫌な予感がした。

 その予感は、すぐ当たった。

 森長可が、雪を握った。

「黒菱衆でもやるぞ」

「兄上」

「何だ」

「正月早々、なぜ戦を始めるのですか」

「雪だ。死なぬ」

「死なねばよいというものではございませぬ!」

 長可は、蘭丸の言葉を聞いていなかった。

「可隆兄上を呼べ。父上も呼べ」

「大ごとにする気ですね」

「部隊でやる」

 蘭丸は天を仰いだ。

 雪はまだ、静かに降っていた。

     ◇

 森可隆は、話を聞くなり眉をひそめた。

「長可」

「何だ、兄上」

「雪玉にも加減がある」

「あるのか」

「ある」

「ならば決めればよい」

 可隆は、深くため息をついた。

 長可を止めるのは、昔から可隆の役目だった。

 末の蘭丸が止めても、長可は聞かない。

 多米殿が札にしても、長可は抜け道を探す。

 だが、兄である可隆が正面から言えば、長可は少しだけ止まる。

 少しだけ。

 そこへ、森可成が来た。

 黒い羽織の下に、赤い武田菱が見える。

 可成は雪の相撲場を一目見て、長可を見た。

「長可」

「はい」

「遊びか」

「稽古です」

「ならば軍法を立てよ」

 長可は笑った。

「父上も出るか」

「出る」

 蘭丸は声を上げた。

「父上まで!」

 可成は静かに言った。

「雪玉でも、隊が乱れれば負ける。雪壁でも、道を塞げば町が困る。遊びで兵を荒らすな。稽古で兵を整えよ」

 多米殿が、いつの間にか帳面を開いていた。

「雪中陣立て改めにございますね」

「多米殿、早いです!」

「見物人が集まり始めております」

「そこですか!」

     ◇

 三つの隊が組まれた。

 可成隊。

 可隆隊。

 長可隊。

 可成隊は、老練だった。

 まず雪壁を作る。

 道は塞がない。

 相撲場の端を使い、退き口を残す。

 雪玉を作る者、運ぶ者、投げる者を分ける。

 可隆隊は、無駄が少なかった。

 長可のように突っ込まない。

 可成のように固まりすぎない。

 小さな雪玉を多く作り、左右に散って、横から当てる。

 そして、長可隊は、勢いだけだった。

「でかい方が強い」

 長可は、人の頭ほどの雪玉を作っていた。

 蘭丸は叫んだ。

「兄上! それは雪玉ではなく、雪の石でございます!」

 可隆もすぐに歩み寄った。

「長可」

「何だ、兄上」

「それは雪玉ではない」

「雪だ」

「大きすぎる」

「当たれば勝つ」

「当たる前に味方が逃げる」

 蘭丸は深く頷いた。

「可隆兄上、もっと言ってください」

 可隆は、長可の手から大雪玉を取り上げようとした。

 長可は少しだけ抵抗したが、可隆の顔を見て、仕方なく雪玉を地面へ落とした。

「ならば、少し小さくする」

「半分だ」

「三分の二」

「半分だ」

「……半分だ」

 蘭丸は目を丸くした。

「止まりました」

 可隆は淡々と言った。

「止まってはいない。少し曲げただけだ」

 多米殿の筆が動いた。

 長可様大雪玉、可隆様改めにより半分。

「多米殿、そこまで書くのですか!」

     ◇

 上杉景勝も見に来た。

 雪国の者である。

 江戸の雪など、たいしたものではないのだろう。

 景勝は黙って相撲場を見た。

 直江兼続が言った。

「景勝様は、江戸の雪は軽いと仰せにございます」

「やはり仰せではないのですね」

 蘭丸は、もう小声で返した。

 景勝は、可成隊の雪壁を見て、わずかに頷いた。

 兼続が続ける。

「景勝様は、可成殿の陣がよいと仰せにございます」

 長可がそれを聞いた。

「ならば、越後組も入れ」

「兄上!」

 可隆が長可の肩を掴んだ。

「長可。今日は黒菱衆の稽古だ」

「越後も雪には慣れておる」

「だからこそ、混ぜるな。負けた時に面倒になる」

「負けぬ」

「勝っても面倒になる」

 長可は少し考えた。

「……ならば、次だ」

 蘭丸は、また驚いた。

「可隆兄上、すごいですね」

「長可は、面倒という言葉には少し反応する」

「覚えておきます」

 多米殿も書いた。

 長可様、面倒にて一時停止。

「それは書かなくてよいです!」

     ◇

 始まった。

 まず、長可隊が突っ込んだ。

 雪玉が飛ぶ。

 大きい。

 半分にしたはずなのに、まだ大きい。

 だが、先ほどよりは投げられる。

 可隆隊は正面から受けない。

 左右へ散り、長可隊の横へ回る。

 小さな雪玉が、黒い羽織に白い跡を残した。

「こそこそするな!」

 長可が吠える。

 可隆は涼しい顔で答えた。

「当たらなければ、こそこそでも勝ちだ」

「兄上らしくない!」

「お前に合わせているだけだ」

 蘭丸は思わず呟いた。

「兄弟喧嘩に軍法が混じっております」

 可成隊は動かない。

 雪壁の陰から、確実に投げる。

 前へ出すぎた長可隊を、横から抑える。

 可隆隊が回り込む先にも、すでに雪玉が置いてある。

 蘭丸は、思わず見入った。

「父上の隊は、崩れませぬね」

 多米殿が頷いた。

「守りながら、道を残しております」

「道」

「雪壁で道を塞げば、町が困ります。可成様は、そこを見ておられます」

 可成は声を張った。

「雪でも同じだ! 前へ出る者、戻る道を忘れるな!」

 黒菱衆の若い者たちが、一斉に返事をした。

     ◇

 勝負は、思ったより早く決まった。

 長可隊は、最初の勢いで押した。

 だが、雪玉が大きすぎて手が遅れた。

 可隆隊は、よく回った。

 だが、可成隊の雪壁を崩せなかった。

 最後に、可成隊が一斉に雪玉を投げた。

 長可の胸に三つ。

 可隆の肩に二つ。

 可成が言った。

「終わりだ」

 長可は笑った。

「もう一度」

 可成は即座に首を振った。

「反省が先だ」

 可隆も雪を払いながら言った。

「長可、弾は大きければよいわけではない」

「次は、半分の雪玉を倍作る」

「それならまだよい」

 蘭丸は驚いた。

「可隆兄上、それはよいのですか」

「投げられる大きさなら、訓練になる」

「なるほど」

「ただし、隊を置いて一人で前に出るな」

 長可は、少し不満そうにした。

 可隆は長可の顔を見たまま、続けた。

「お前が前に出ると、皆が付いてくる。付いて来た者の戻る道を、お前は見ておらぬ」

 長可は、少しだけ黙った。

 可成も言った。

「長可。己だけ動くな。隊を動かせ」

 長可は、今度は素直に頭を下げた。

「分かりました」

 蘭丸は、小さく息を吐いた。

 父が大きく止め、兄が細かく止める。

 それでようやく、長可は止まる。

 ようやく、少しだけ。

     ◇

 見物人は、大いに喜んだ。

 屋台親父たちは、すぐに火を入れようとした。

「雪見南蛮芋飯だ!」

「雪見鳥ジャガ汁!」

「温かい酒も出すぞ!」

 多米殿が手を上げた。

「見物札を持つ者のみ。火元札を改めた屋台のみ。酒は酒改め札を持つもののみ」

 屋台親父たちは一瞬だけ黙り、それから札を取りに走った。

 蘭丸は呆れた。

「雪合戦まで商いになりますか」

「人が集まれば、飯が要ります」

「それはそうですが」

「飯が要れば、火を改めます」

「そして札ですね」

「はい」

 多米殿は、相撲場の横に新しい札を立てた。

 黒菱衆雪中陣立て改め。

 可成隊、可隆隊、長可隊、部隊対抗。

 石入り雪玉、禁制。

 氷玉、禁制。

 顔面狙い、禁制。

 雪壁にて道を塞ぐべからず。

 見物札なき者、土手へ上がるべからず。

 雪見屋台、火元札を持つべし。

 長可様大雪玉、禁制。

 長可様暴走、可隆様改めに従うべし。

 初例、江戸正月大雪。

 蘭丸は、最後から二行目を見た。

「可隆兄上」

「何だ、蘭丸」

「兄上のお役目まで札になりました」

 可隆は、しばらく札を見た。

 それから、静かに言った。

「間違ってはいない」

 長可は不満そうに言った。

「俺は暴走しておらぬ」

 蘭丸、可隆、多米殿の三人が、同時に長可を見た。

 長可は少しだけ目を逸らした。

 可成が笑った。

「よい。雪で分かることもある」

 雪は、昼過ぎには溶け始めていた。

 だが、黒菱衆の羽織に残った白い跡と、相撲場の横に立った札は、しばらく残った。

 江戸では、正月の雪さえ、遊びでは終わらない。

 雪玉は軍法になり、見物は札になり、屋台は飯になり、長可の大雪玉は禁制になる。

 そして、可隆の名は新たに、長可を止める札にまで入ることになった。

 こうして江戸の正月には、初相撲に続き、雪中陣立て改めまで加わったのであった。


――――――――――


『森蘭丸江戸帳』は、石田源志による戦国歴史改変小説『武田義信転記』の外伝作品です。


武田義信が築く江戸自由市を舞台に、森蘭丸、森長可、森可隆、森可成、風魔小太郎、多米らが、商い、物流、治安、食、町づくりに関わる日々を描いています。


【本編・関連作品】


『武田義信転記』シリーズ・既刊一覧

https://genjiishida.blogspot.com/2026/07/blog-post.html


『森蘭丸江戸帳』はTalesでも連載しています。


――――――――――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。