第19帳 南蛮芋は生で売るな
吉田城から、荷が届いた。
宛先は多米殿。
送り主は、武田義信。
木箱は、一つではなかった。
二つ。
三つ。
四つ。
さらに後ろにも、まだある。
森蘭丸は、荷捌き場に並べられた木箱を見て、首をかしげた。
「多米殿」
「何でしょう」
「これは、何でございますか」
「南蛮芋にございます」
多米殿は、木箱の札を見て答えた。
蘭丸は固まった。
「南蛮芋」
「はい」
「以前、御屋形様が菱屋から十本すべて持ち帰られた、あの」
「はい」
「十本しかなかったはずでは」
「そのはずにございます」
蘭丸は、並ぶ木箱を見た。
十本どころではない。
どう見ても、数百はある。
「多米殿」
「何でしょう」
「増えております」
「はい」
「増えすぎではございませぬか」
「御屋形様ですので」
「答えになっておりませぬ!」
森長可が、木箱の蓋を開けた。
中には、赤みを帯びた芋がぎっしり詰まっていた。
「甘い芋か」
「兄上!」
「味見だ」
「まだ文を読んでおりませぬ!」
長可は芋を手に取った。
「生で食えるか」
「食べないでください!」
そこへ風魔小太郎が現れた。
「生は危うい」
蘭丸は振り返った。
「風魔殿」
「植えられる」
多米殿の筆が、ぴたりと止まった。
◇
義信の文は短かった。
南蛮芋、江戸へ送る。
卸は登録制とせよ。
販売は生で出させるな。
食べ方は二つ。
一つ、蒸かす。
一つ、釜に親指大の石を敷き、下より火を入れ、その上で焼く。
生芋を市へ流すな。
焼いて出せ。
蒸かして出せ。
種を売るな。味を売れ。
蘭丸は、最後の一文を読み返した。
「種を売るな。味を売れ」
多米殿は深く頷いた。
「御屋形様らしい御言葉にございます」
「どういうことでございますか」
「生で売れば、誰かが植えます」
「はい」
「焼けば植えられませぬ」
「つまり、増やし方を隠すのでございますか」
「はい」
風魔が言った。
「甘いものは、人を走らせる」
「走らせる?」
「盗む者、植える者、探る者、嘘を売る者」
蘭丸は、木箱の南蛮芋を見た。
ただの芋ではない。
甘い。
増える。
隠す必要がある。
そして、売れば人が集まる。
江戸が一番面倒にするものばかり詰まっている。
◇
多米殿は、すぐに登録札を作った。
南蛮芋卸札。
卸を受けられる者。
焼き芋屋。
蒸かし芋屋。
宿。
菱屋取次。
火元町の火元札を持つ者。
生売り禁制。
生芋の持ち出し禁制。
切れ端、芽、蔓、勝手持ち出し禁制。
蘭丸は札を見た。
「多米殿」
「何でしょう」
「だんだん細かくなっております」
「細かくせねば、抜けます」
「何が」
「芋が」
長可が言った。
「抜けた芋を見つけたら、俺が」
「兄上は食べるでしょう」
「焼いてからな」
「そういう問題ではございませぬ」
多米殿は、火元町の者を呼んだ。
「南蛮芋を売る者は、火元札を改めます」
「火が要るからですか」
「はい」
「水場も」
「要ります」
「黒菱衆町番も」
「立てます」
蘭丸は少しだけ安心した。
生芋を流さない。
火元を決める。
黒菱衆が見張る。
風魔が裏を見る。
これは、ただの江戸飯ではない。
御屋形様の畑を守るための飯である。
◇
まず、蒸かし芋が試された。
大釜に水を張る。
簀を敷く。
洗った南蛮芋を並べる。
蓋をして火を入れる。
湯気が上がる。
甘い匂いが、火元町に広がった。
その匂いだけで、人が集まり始めた。
「何だ、この匂いは」
「菓子か」
「芋らしいぞ」
「芋がこんな匂いになるか」
蘭丸も、少し驚いた。
米の匂いとは違う。
味噌の匂いとも違う。
焼き魚とも違う。
甘い。
それだけで、人の足を止める匂いだった。
蒸かし上がった芋を割ると、中は黄色く、湯気が立った。
長可が、誰より早く手を伸ばした。
「兄上!」
「味見だ」
「またですか!」
長可は熱い芋を割り、一口食べた。
少し黙った。
蘭丸は身構えた。
「どうでございますか」
長可は、真顔で言った。
「飯ではない」
「はい」
「菓子でもない」
「はい」
「だが、食う」
「つまり?」
「売れる」
多米殿の筆が走った。
「長可様評。飯ではない。菓子でもない。だが売れる」
「それを売り文句にするのですか!」
多米殿は頷いた。
「分かりやすいので」
◇
次に、義信の文にあった焼き方が試された。
鉄釜を用意する。
底に、親指大の石を敷く。
下から火を入れる。
石を熱する。
その上に、南蛮芋を置く。
蓋をする。
最初は、皆が半信半疑だった。
「釜で石を焼くのでございますか」
蘭丸が問う。
「はい」
多米殿は文を見ながら答えた。
「石の上で芋を焼くとございます」
「石を食べるわけではありませぬよね」
「食べませぬ」
長可が言った。
「石も焼けば食えるか」
「兄上、食べられませぬ!」
やがて、釜の中から匂いが変わった。
蒸かし芋より濃い。
少し焦げた甘さ。
皮の香ばしさ。
火の匂い。
蓋を開けると、皆が黙った。
焼けた南蛮芋は、皮がしわになり、中から蜜のような汁がにじんでいた。
長可が食べた。
今度は、目を細めた。
「こっちだ」
「兄上?」
「蒸かしもよいが、こっちだ」
屋台の親父たちが、ざわめいた。
「石焼き南蛮芋」
多米殿が書いた。
「もう名が」
「石で焼きましたので」
「そのままですね」
「分かりやすい名は売れます」
火元町の屋台親父が言った。
「多米様、これを売ってよろしいので?」
「登録制です」
「登録料は」
「取ります」
「やっぱり」
「生芋を扱うので、見張り料も」
「見張り料」
「黒菱衆町番の分です」
「高くなりませんか」
多米殿は焼き芋を見た。
「高くても売れます」
その場にいた者たちは、誰も否定できなかった。
◇
問題は、匂いだった。
石焼き南蛮芋の匂いは、遠くまで流れた。
火元町から、客道へ。
客道から、取次町へ。
取次町から、菱屋の前へ。
人が寄る。
子供が寄る。
宿の女将が寄る。
力自慢も、水夫も、商人も寄る。
火元町は、また詰まり始めた。
蘭丸は叫んだ。
「多米殿!」
「何でしょう」
「匂いで道が詰まっております!」
「よい匂いは、人を止めます」
「止めてはいけないのでは!」
「止まる場所を作ればよろしゅうございます」
多米殿は、すぐに新しい線を引いた。
南蛮芋売り場。
火元町の外れ。
客道から少し外す。
煙が抜ける場所。
水桶近く。
黒菱衆町番の目が届く場所。
「また町が増えそうでございます」
「まだ売り場です」
「そのうち町になります」
「売れれば」
「売れるのでしょうね」
「はい」
風魔が言った。
「匂いは隠せぬ」
「では、どうするのでございますか」
「匂いで寄せ、芋は隠す」
多米殿が頷いた。
「生芋蔵は別に置きます」
「焼き場と分けるのですね」
「はい。生芋は蔵。焼くのは火元町。売るのは売り場」
蘭丸は、義信の言葉を思い出した。
見本は表。
荷受けは裏。
蔵は奥。
南蛮芋にも、同じ流れが作られていく。
◇
その日の夕刻には、もう札が立った。
南蛮芋卸札。
登録なき者、生芋扱い無用。
生売り禁制。
蒸かして売るべし。
または、石焼きにして売るべし。
親指大の石を釜に敷き、下より火を入れること。
切れ端、芽、蔓、勝手持ち出し禁制。
黒菱衆町番、改めあり。
初例、吉田城御荷。
蘭丸は、札を見て言った。
「多米殿」
「何でしょう」
「今回は兄上の名がございませぬ」
長可が不満そうに顔を上げた。
「なぜだ」
「兄上、ない方がよろしゅうございます」
「俺が味を見た」
多米殿は少し考えた。
「では、別札に」
「多米殿!」
すぐ横に、小さな札が追加された。
長可様御評。
飯ではない。菓子でもない。だが売れる。
火元町の者たちは、それを見て笑った。
しかし、笑いながら買った。
長可は満足げだった。
「売れたな」
「兄上の評で売れたわけではございませぬ」
「そうか?」
「甘いからです」
「俺もそう思う」
「では、なぜ誇るのですか!」
◇
夜になる頃、石焼き南蛮芋は売り切れた。
蒸かし芋も売れた。
だが、生芋は一つも外へ出なかった。
黒菱衆町番が見張り、風魔が裏で目を配り、多米殿が数を合わせたからである。
「多米殿」
「何でしょう」
「南蛮芋は、江戸飯になったのでございましょうか」
「なりました」
「ですが、生では売れませぬ」
「はい」
「売れるのは味だけ」
「はい」
多米殿は帳面を閉じた。
「御屋形様の仰せの通りです」
蘭丸は、焼き芋の残り香が漂う火元町を見た。
十本しかなかった南蛮芋は、吉田城で増えた。
江戸へ戻った時には、もう食い物であり、荷であり、秘密であり、商いだった。
生で出せば、どこかへ植えられる。
焼いて出せば、甘さだけが広がる。
種は隠す。
味は売る。
御屋形様は、そういう流れを作ったのだ。
風魔が、火元町の陰で呟いた。
「明日は、何刻に売り切れるか」
「風魔殿」
「予測できる」
「もう、聞く前から分かっておりました!」
多米殿の筆が静かに動いた。
「石焼き南蛮芋売切れ予測札、厳重調査」
蘭丸は、甘い匂いの中で深くため息をついた。
江戸自由市では、芋でさえ生では歩けない。
焼かれ、蒸かされ、札を貼られ、町番に守られ、ようやく客の手に渡る。
そして翌朝、火元町には早くも客が並び、
「昨日の甘い芋は、まだか」
と騒ぎ始めたのであった。
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『森蘭丸江戸帳』は、石田源志による戦国歴史改変小説『武田義信転記』の外伝作品です。
武田義信が築く江戸自由市を舞台に、森蘭丸、森長可、森可隆、森可成、風魔小太郎、多米らが、商い、物流、治安、食、町づくりに関わる日々を描いています。
【本編・関連作品】
『武田義信転記』シリーズ・既刊一覧
https://genjiishida.blogspot.com/2026/07/blog-post.html
『森蘭丸江戸帳』はTalesでも連載しています。
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