表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/9

05. 取り巻きの暗躍

 リンナと話した夜、私は商店の一階奥の父の作業室に向かった。

 商店主にしては質素な仕事場には、木製の戸棚が並んでいて、帳簿や特別な商品が収納されている。


 奥の作業机では、父親が何か作業をしていた。

 机の端で、何ものっていない天秤秤がゆらゆらと揺れている。

 窓から冷たい夜風とともに、私の花壇の花の香りが漂ってきた。


「父さん」


 私が声をかけると、父親は振り返らずに言った。


「お父様と呼べと言っただろう」


 父親はこの通り私を貴族の娘らしく仕立て上げたいらしかったが、商店で従業員と寝泊まりしている私には、とうてい無理だったのではないかと思う。


「要件は何だ」

「お父様は、全部知っていたんでしょう。アニがこれからどうなるのか、全部」

「ああ」

「何で私をアニの取り巻きにしたの?」


 父親はようやく振り向いた。


「なぜそんなにあの女に肩入れする? 聞く話だと、あの女は人格の破綻した狂人だというが」

「質問に答えてよ」

「お前が夢見がちだからだ。そんな様子では、この商店は継がせられない」


 私はあっけにとられた。


「継がせるつもりだったの?」

「成り行きによってはだ。だからお前は、現実を見るようになさい」


 父親は私から目をそらした。


「貧乏な平民が人間には持て余すような力を持って生まれてきたら、それは人間ではない。資源だ。資源に人権はない」


「人権」という言葉が口から出るあたり、彼は今風な人だ。

 私は父親のそういう所を信頼している。


「理想論が必要ないとは言わない。だが、お前は性格が幼すぎる。あの女のことはさっさと忘れろ」


 一方でわざわざこんなことをしなければ私を信頼できないあたり、父親は不安症だと思う。

 そしてその不安は正しかったのだ。


 私は手に持っていた白い封筒を差し出した。


「絶縁書を書いたの。受け取って、これから私が何をしても、私とお父様とは何の関係もないと言ってほしい」

「……カルラ」

「絶縁書だけじゃない。私が王家にはむいたことで商店に火の粉が振りかかるという、巨大なリスクを受け入れてほしい」

「……お前」

「父子じゃなくなっても、絶対に借りは返すわ。一生かけて返す」


 私は右膝を引くと、その場に正座して手をついた。

 甘やかされて育ったので、情けないことにこれが人生初の土下座だった。


「お願いします。許してください」

「やめてくれ、もう。立ちなさい」


 父親は顔に手を当てて、深い溜息をついた。

 顔を上げた父親は、数段老け込んでいるように見えた。


「ああいう聖女の取り巻きをすれば、お前も現実が見られるようになるかと思ったんだ。この世には仕方のないことばかりだと」


 そう言われて、私はようやく安心した。

 アニがこういう目に合うことに納得しきれないのは、私だけではなかったのだ。


「ごめんなさい、お父様」

「勝手にしなさい。私はもう知らない」


 私は部屋を飛び出した。

 急いで準備しなければならないことがある。


 時刻は深夜になっていた。

 明後日の朝、アニは魔物の巣に送られる。


 ***


 石造りの牢屋の鉄格子の向こうで、アニの姿は変わり果てていた。


 ピンクブロンドの髪は荒れ放題。

 着ているのは、粗末を通り越した、布を引っ掛けたような罪人服。

 裸足で路上を歩かされ、足はずたずただ。

 床に座り込んだまま動こうとしないと思ったら、足首は重そうな鎖につながれている。


 栄枯盛衰を体現したような姿だ。

 アニは聖女だったはずなのだが、ここは最下層の罪人が入れられる牢である。

 これでアニもちょっとは懲りただろう。


「来てくれたの?」


 アニは真っ白になった顔を上げると、鉄格子を強く握りしめる。


「学校にいた時も、なんでいつも側に来てくれたの? あたしといたって、なんのいいこともないのに」


 私は何でもないふうに言う。


「お父様にご機嫌を取れって言われたのよ。そうでなきゃ、誰も来ないわ」

「そう。あなたも大変だね」


 それだけ言うと、アニは虚空を見た。

 一面に積もった埃が、調光窓から差し込む淡い朝日を反射して瞬いた。


「あたし、この世界はあたしのための世界だと思っていたの。あたしがヒロインで、みんなに愛される」


 アニはゆっくりと、言葉を舌の上で転がすように呟く。


「ようやく、あたし変われるって思ったの」


 そして、アニは両手で顔を覆った。


「違ったのかな。やっぱりあたしのための世界なんて、どこにもなかったのかな」

「そうよ。この世界はみんなのもので、自分のための世界なんて存在しないのよ」


 私はすぐさま応じた。


「そんなことも分かってないガキなんて、あんたくらいなのよ」


 私は鉄格子のそばに歩み寄り、床に座り込んだ。

 何がついているんだか、腐ったようなにおいのする床だ。


「私ね、あんたのための世界がないのって、おかしいと思う」


 アニがきょとんとして私を見る。

 私は迷わず続ける。


「そんな事実はありえなくても、私はここがあんたのための世界であってほしいわ。そうじゃなくちゃおかしい。こんな世界はおかしいわ」


 私は鉄格子のなかに手を差し入れた。

 アニはすがるように私の手を掴んだ。


「ねえ、あんたがもし、ここがあんたのための世界だって、もう信じられなかったらね――私はあんたのために生きているって思ってもいいわよ」


 私は顔を傾けて微笑した。


「私の人生、あんたにあげる」


 そして手を振りほどくと、手際よく持ってきた荷物をアニの手の上に載せていく。


「はい、鍵。牢屋番が隙だらけだからスッてきちゃった。あんた、もう誰も味方しないって思われているのね。これはそのボロ服の中に隠して」

「え? え?」

「その足枷を外したら魔法は使えるけど、油断しないでね。夜中に北門から逃げるのよ。ここの独房は見た限り警備がザルだから、あんたでもヘマしなければ逃げ出せるわ。攻撃するんじゃないわよ、あっちも攻撃するきっかけになるから」


 私は牢の出入り口を気にしながら、小声で続ける。


「一時間くらい走った先に、小さな港があるの。この時期は、密入国を担当している船がきている。このお金を持っていけば、乗せていってくれるんじゃないかしら」


 私は小さな革袋を差し出した。

 生活費を切り詰めて、少しずつ増やしたものだ。

 これで自分なりに商売を広げるつもりだったが、やむをえまい。


「遠くへ逃げて。あんたのことを誰も好きじゃなくても、負けないで。ここがあんたのための世界だって信じていて」

「待って。あたしに面会に来たのはカルラだけだよ。あたしが逃げ出したら、真っ先に疑われるのはカルラだよ」


 私は本当にびっくりした。


「あんたって、そういうことも考えられる人間だったのね。まあ、うまくやるわよ。あんたじゃあるまいし」


 アニはゆるゆると首を振る。


「それに、この国はどうなるの? カルラも、攻略対象の人たちも死んじゃうのかな」

「私とその攻略対象とやらを同列に語らないでくれる?」


 私は思わず笑い声を上げた。

 ひとしきり笑ったら、眉をつり上げて怒鳴りつけた。


「この馬鹿! あんたがそんな馬鹿だから、私はいつも苦労するのよ。あんたが世界で一番の馬鹿なんだから、他の賢い人々のことなんて気にしないことね。これに懲りたら、二度と自分の判断なんて信用するんじゃないわよ」


 アニは青ざめて、首を振り続ける。


「でも、でも、魔物がくる。カルラが殺されちゃったら、あたし」

「ごちゃごちゃ言わない!」


 私が怒鳴ると、アニはびくっと肩をすくめた。

 怯えたような目も、荒れた髪も、こけた頬も、罵声を吐きたくなるくらいの美人だ。


 この女、娼婦でもしたらまだマシなんじゃなかろうか。

 頭のおかしい女枠の娼婦。

 私にどれだけ怒られても能天気にヘラヘラしているし、時々言うことが核心をつくし、急にこちらが溜め込んできた苦しみを溶かすようなことをする。

 なるほど、カウンセリング系娼婦なら世のため人のためだ。


 だから似合わない聖女なんてやめてしまえ。

 俗悪な連中なんて放り出してしまえ。


「生き延びて」と言おうとして止めた。

 この女が逃げた後、本当にまともに生きていけるのか、私には全くわからない。

 あまりにも責任感のない言葉だ。


「私がこんなにお膳立てしてあげたんだから、たまには自分でやり遂げてみせなさいよね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ