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悪人専門の令嬢弁護士と嘘を嗅ぐ犬 〜冤罪で泣く弱者を拾い、法で悪党を追い詰めます〜  作者: 月神世一


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EP 5

夜想曲と修羅の眼

深夜の銀座。

表通りの喧騒から遠く離れた、ひっそりとした裏路地に、その店はあった。

看板はない。ただ、重厚な木の扉の横に『鬼龍』とだけ彫られた小さな表札が掛けられている。

カラン、と控えめなベルの音が鳴る。

店内に入ると、静謐な空気が健太を包み込んだ。スピーカーからは、ショパンの『夜想曲ノクターン 第20番』が、まるで夜の静寂を縫い合わせるように静かに流れている。

「いらっしゃい。……こんな時間に、珍しい客だな」

カウンターの奥から響いたのは、チェロのようによく響く、深いバリトンの声だった。

健太は思わず息を呑んだ。

声の主は、身長190センチはあろうかという巨漢だった。黒を基調とした服の上に、血のように赤いジャケットを羽織っている。

整った顔立ちには一切の隙がなく、彫刻のように美しい。だが、その瞳の奥には、圧倒的な暴力と死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、絶対的な「静けさ」が宿っていた。

鬼神きしん 龍魔呂たつまろ

表向きはこの店のマスターだが、その正体は、古今東西のあらゆる殺人術と護身術を極めた「鬼神流」の使い手だ。

「龍魔呂。この子、数日まともに固形物を食べてないの。胃に優しくて、ガツンと活力が湧くものをお願い」

リベラは勝手知ったる様子でカウンターに腰を下ろし、健太にも隣に座るよう促した。

「……なるほど。酷い顔だ。幽霊かと思ったぜ」

龍魔呂は健太の顔を一瞥すると、余計な詮索は一切せず、静かに厨房へ向かった。彼の本棚には『ガストロノミーと薬膳の古書』が並んでおり、彼が作る料理はただ美味いだけでなく、食べる者の身体を芯から作り変える力があった。

ものの数分で、健太の前に温かい湯気を立てる土鍋が置かれた。

「生姜と帆立の出汁を効かせた薬膳粥だ。胃の粘膜を保護する生薬を少し混ぜてある。ゆっくり食え」

「あ、ありがとうございます……」

健太は蓮華を手に取り、恐る恐る粥を口に運んだ。

その瞬間、身体の奥底からじんわりと熱が広がり、強張っていた筋肉が解けていくのが分かった。滋味深い出汁の旨味と、五臓六腑に染み渡るような温かさ。

「……美味しい……っ」

ぽろり、と。

またしても健太の目から涙がこぼれた。数日間の極限の緊張と絶望の中で冷え切っていた心が、この一杯の粥によって強引に現世へと引き戻されていくようだった。

「ゆっくりでいいわ。泣きながら食べると噎せるわよ」

リベラは隣で、龍魔呂が淹れた香り高いダージリンティーと、小皿に盛られた角砂糖(龍魔呂の好物であり、彼なりのサービスだ)を口に運びながら、微笑んでいた。

健太が無我夢中で粥をかきこんでいる間。

龍魔呂はカウンターの奥でグラスを磨きながら、鋭い視線を健太に向けていた。

「……リベラ」

龍魔呂が、健太には聞こえないほどの低い声でリベラに囁く。

「あのガキが巻き込まれたのは、ただの会社カタギのトラブルか?」

「ええ。悪徳社長に5000万の横領をなすりつけられた、ただのスケープゴートよ」

リベラが紅茶を啜りながら答えると、龍魔呂は磨いていたグラスを静かに置いた。

その瞳の奥で、優しげなマスターの顔から「修羅」の顔が微かに覗く。

「……おかしいな」

「何が?」

「あの怯え方だ。警察に追われている恐怖や、社会から抹殺される絶望だけじゃない。アレは『自分より圧倒的に理不尽な暴力』を肌で感じた動物の目だ」

龍魔呂の指摘に、リベラの指先がピタリと止まった。

地下格闘場の奴隷戦士として育ち、幾多の死線を越えてきた龍魔呂の「眼」は、人間の纏う死の匂いや恐怖の本質を絶対に見誤らない。

「ただのIT企業の社長に嵌められただけで、あそこまで本能的な『恐怖』が染み付くか? あいつはまだ、自分でも気付いていない何かデカい恐怖トラウマを隠してる……いや、無意識に蓋をしてやがるな」

龍魔呂の言葉に、リベラの脳裏に「郷田社長」という男の不気味な輪郭が浮かび上がった。

一介のベンチャー企業の社長が、警察を完全に手玉に取り、証拠を完璧に偽造し、一人の青年を的確に追い詰める。確かに、手際が良すぎるし、何より「底意地が黒すぎる」。

(……ただのホワイトカラーの犯罪じゃない。もっと物理的な、ヤクザや半グレに近い連中が絡んでいる?)

「ごちそうさまでした……! 俺、こんなに美味しいご飯食べたの、生まれて初めてです!」

すっかり鍋を空にした健太が、顔を真っ赤にして頭を下げた。先ほどまでの幽霊のような顔色が嘘のように、血の気が戻っている。

「よかったわね。さあ、今夜は事務所の仮眠室で休ませてあげるから、帰るわよ」

リベラが立ち上がり、代金代わりに何かの情報が書かれたメモをカウンターに置いた。(これが彼らの清算方法の一つだ)

「ごちそうさま、龍魔呂」

「……ああ。夜道には気をつけろよ、リベラ」

龍魔呂は、手元の真鍮製オイルライターを指先で弄りながら、去っていく健太の背中を見送った。

もし、この一件の裏に「本物の暴力」が潜んでいて、それがリベラたちに牙を剥くようなことがあれば。

(……その時は、俺の出番ってわけだ)

夜の銀座に、冷たい雨の音が響いていた。

見えない悪意が、確実に健太とリベラに忍び寄っていた。

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