EP 4
小さな嘘と、罪の切り分け
「さて、契約も済んだことだし、さっそく事実確認といくわよ」
リベラは金煙管を懐にしまい、令嬢弁護士としての冷静な表情に戻った。
彼女はデスクの上のノートパソコンを開き、健太に向けて鋭い視線を送る。
「高橋さん。あなたが木下経理部長からパスワードを渡され、システムにアクセスした夜のこと。その前後の状況を、秒単位で正確に思い出しなさい。誰がどこにいて、どんな会話をしたか。すべてよ」
健太は記憶の糸を必死に手繰り寄せながら、その日の出来事を語った。
深夜のオフィス。フロアに残っていたのは健太と木下部長、そして数名の社員だけだったこと。木下が「急ぎのテストだ」と焦った様子でメモ書きのパスワードを渡してきたこと。
「……なるほど。状況は分かったわ」
キーボードを叩く手を止め、リベラはふと健太の目を見据えた。
「一つ、重要なことを聞くわ。あなたはこれまで、会社でセキュリティの規定違反や、システムへの不正なアクセスを行ったことは一度もないわね?」
「えっ……? は、はい。ありません。ずっと真面目にやってきましたから」
健太が即座に答えた、その瞬間だった。
『――おい、リベラ』
ソファの足元で伏せていたアモンが、むくりと巨体を起こした。
黄金の瞳が、獲物を睨むように細められる。
『コイツの口から、ひどく酸っぱい臭いがし始めたぞ。酷く臆病で、ちっぽけな“保身の嘘”だ』
「なっ……!?」
健太の肩がビクッと跳ねた。
リベラの纏う空気が、一瞬にして氷のように冷たくなる。
「……高橋さん。私、言ったわよね。あなたの泥を払ってあげると。でもね、依頼人が私に嘘をつくのなら、話は別よ。裁判になれば、敵の弁護士はあなたの過去をホコリ一つ残さず調べ上げるわ。そこで嘘がバレれば、一巻の終わりよ」
リベラの静かな、しかし有無を言わさぬ圧に、健太はガタガタと震え出した。
「ち、違うんです……横領じゃないんです! ただ、その……半年前に……」
「話しなさい」
健太は青ざめた顔で、ポツリポツリと白状した。
半年前、深夜の残業中に、会社の重要ではない顧客データの一部を誤って消去してしまったこと。怒られるのが怖くて、たまたま席を外していた先輩社員のロック解除された端末を勝手に使い、バックアップからこっそりデータを復元したこと。
「……本当に、それだけなんです。誰にもバレてないし、会社に損害も出していません。でも、他人の端末を勝手に使ったなんて知られたら、クビになるかもしれないと思って……」
言い終えた健太は、深く頭を垂れた。
やっぱり自分はダメな人間だ。こんな小さなミスすら隠蔽するような奴だから、郷田社長のような悪党に目をつけられ、利用されるのだ。
「すみません……俺みたいな卑怯な奴、助ける価値なんてないですよね……」
絶望に沈む健太。
だが、リベラの口から出たのは、思いもよらない言葉だった。
「勘違いしないで。私はあなたを『無垢な天使』だなんて、微塵も思っていないわ」
健太が顔を上げると、リベラは冷たくも、どこか慈愛を秘めた瞳で彼を見つめていた。
「他人の端末を勝手に操作した。それは立派なコンプライアンス違反であり、あなたの『罪』よ。……でもね」
リベラは立ち上がり、健太の前に歩み寄った。
「あなたのその小さな罪と、5000万円の横領、そして自分の隠蔽のために他人の人生を平気で踏みにじる郷田社長の罪は、まったく別のものよ」
『いかにも。お前の嘘はただの臆病風だが、あの社長の周囲から漂うのは、純度100パーセントの腐臭だ』
アモンが鼻を鳴らして同意する。
「私はね、罪を正確に切り分けるの。あなたが過去に犯したミスは、後で正当な処分を受けなさい。でも、あなたが背負うべきではない『巨大な十字架』は、私が法廷で完璧に叩き壊してあげる」
健太の目から、再び涙が溢れ出した。
今度の涙は、恐怖からでも、自己憐憫からでもない。自分の弱さも、狡さもすべて見透かされた上で、それでも「救う」と言ってくれたこの弁護士への、圧倒的な感謝と安堵だった。
「リベラ先生……っ、俺、俺……!」
「はいはい、泣くのは裁判に勝ってからにしなさい」
リベラはやれやれといった様子で肩をすくめると、壁掛けのアンティーク時計を見上げた。
時刻はすでに深夜を回っている。
「それにしても、ひどい顔ね。何日ろくなものを食べていないの?」
「あ……逮捕されてから、ずっと胃が何も受け付けなくて……水しか……」
「馬鹿ね。腹が減っては戦はできぬ、よ。裁判は体力勝負なんだから」
リベラはハンドバッグを手に取ると、健太に向かってクイッと顎をしゃくった。
「ついてきなさい。私の知ってる店で、最高の夜食を食べさせてあげるわ。……アモン、留守番お願いね」
『ふん。俺にはビーフジャーキーの特上を忘れずに買ってこいよ』
かくして、リベラはフラフラの健太を連れ、深夜の銀座の街へと歩き出した。
向かう先は、ひっそりと佇む小料理屋兼BAR――『鬼龍』。
そこで健太は、法廷とは別の意味で「ヤバい男」と出会うことになる。




