EP 5
算盤の剣と、鬼神の邂逅
重低音を響かせていたランドクルーザーのエンジンが切られ、地下駐車場に不気味な静寂が降りた。
車から降り立った桜田リベラは、ヒールを鳴らして数歩進み、周囲の惨状を冷徹な視線で見渡した。
大帝国建設の役員車。その周囲に転がっている数人の屈強なボディガードたちは、ピクリとも動かない。流血はないが、関節があり得ない方向に曲がっていたり、急所を的確に打ち抜かれて完全に気絶している。
そして、ボンネットに腰掛ける一人の男。
男――力武義正は、セブンスターの煙をゆっくりと吐き出しながら、リベラたちを一瞥した。
『……おい、リベラ。気をつけろ』
アモンが喉の奥で、かつてないほど低い、地鳴りのような唸り声を上げた。
その黄金の瞳は、これまでの小悪党に向けられていた「見下すような光」ではなく、明確な『同格以上の脅威』に対する警戒の色に染まっていた。
『この男……匂いがおかしい。極限まで研ぎ澄まされた冷たい鋼鉄と、損得を計算する機械のような無機質な匂いがする。……だが、その奥底に燃えているのは悪意じゃない。誰かに対する、狂気じみた「無償の忠誠」の匂いだ』
アモンの分析を聞き、リベラはハンドバッグから金煙管を取り出した。
「……なるほど。ただのヤクザの抗争や、内輪揉めってわけじゃなさそうね」
リベラは男に向けて、凛とした声を響かせた。
「あなたが何者かは知らないけれど。随分と派手に散らかしてくれたわね。……せっかく私たちが、大貫農園の偽装を吐かせるためにこの役員を尋問しようと思っていたのに」
義正は吸い殻を携帯灰皿に捨てると、ゆっくりと立ち上がった。
「あんたが噂の『悪人専門』の令嬢弁護士か。……悪いな。この鮫島常務の持っていた裏帳簿と、ホテルでの脅迫の証拠データは、俺が先回りして『回収』させてもらった。あんたらの出る幕はもう無いぜ」
義正の口調は飄々としているが、その目は笑っていない。
彼は頭の中の『算盤』を高速で弾いていた。
(……厄介なことになったな。あの弁護士の女と犬も只者じゃねえが、何よりヤバいのは――)
義正の視線が、リベラの斜め後ろに立つ大男――鬼神龍魔呂に固定された。
赤いジャケットを着たその男は、ポケットに両手を突っ込んだまま、全くの「自然体」で立っている。だが、一流の武術家である義正には痛いほど分かった。
あの男の立ち姿には、死角というものが一切存在しない。
呼吸の波すら読み取れず、まるで底なしの沼の前に立たされているような、圧倒的な『死』の気配。
「……嬢ちゃん。少し下がってな」
龍魔呂が、極めて低い声で呟いた。
彼はゆっくりとポケットから手を出し、義正に向かって一歩、足を踏み出した。
「こいつは、そこらの半グレやチンピラとは次元が違う。……何人殺してきた? いや、違うな。お前、『どこでその人殺しの技術(剣)を身につけた?』」
龍魔呂の言葉に、義正はふっと口角を上げた。
「ただの商社マンだよ。少しばかり『効率のいい交渉術』を心得てるだけのな」
「嘘をつけ。……お前の中に飼われてる獣は、俺と同じ類の匂いがするぜ」
ギリッ……!
地下駐車場の空気が、物理的な圧力を伴って軋んだ。
殺気などという生易しいものではない。二人の達人が放つ、純度の高すぎる「修羅の覇気」が衝突し、周囲の酸素が薄くなったかのような錯覚を引き起こす。
リベラですら、その異様な空気に息を呑んだ。
「そのデータ、ウチの依頼人のために必要なんだ。大人しく置いていくなら、命までは取らねえ」
龍魔呂が静かに宣告する。
「断る。これは、俺が守るべき『月』のために必要な算盤だ。誰にも渡さねえよ」
義正が口の中で、二つ目の飴玉をガリッと噛み砕いた。
交渉決裂。
互いの立ち位置と目的が交差しない以上、残された手段は一つしかない。
ドンッ!!
爆発音が鳴ったかのように、龍魔呂の巨体が弾け飛んだ。
古武術の『縮地』。10メートル以上あったはずの距離が、瞬きをする間にゼロになる。巨漢からは想像もつかない神速の踏み込み。
「――ッ!!」
義正の瞳孔が限界まで収縮する。
速い。そして、重い。
龍魔呂の放った『猛虎八極拳』の突きが、空気を裂いて義正の胸板へと迫る。まともに食らえば、肋骨ごと内臓が粉砕される絶対的な一撃。
だが、義正もまた規格外の怪物だった。
商社マンのエリートフェイスを完全に捨て去り、柳生無双流の『心眼』が限界まで開く。
義正は迎撃の構えをとらず、己の体を木の葉のように脱力させ、龍魔呂の突きの「力の流れ」に極限まで同調した。
激突まで、残り一瞬。
コンクリートの地下空間で、法廷の修羅を守る「鬼神」と、霞が関の月を守る「算盤の剣」が、互いの命を刈り取るための致命の一撃を放とうとしていた。




