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悪人専門の令嬢弁護士と嘘を嗅ぐ犬 〜冤罪で泣く弱者を拾い、法で悪党を追い詰めます〜  作者: 月神世一


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第二章 霞が関の月と、奪われた大地

土の匂いと、奪われた大地

郷田社長の事件から数週間が過ぎた、ある日の午後。

銀座の裏通りにある桜田法律事務所には、場違いなほど泥臭く、しかしどこか温かみのある匂いが漂っていた。

「……すまねえ、こんな立派な絨毯を汚しちまって……」

応接室のアンティークソファに、縮こまるようにして座っているのは、ひどく日焼けした初老の男だった。

よれよれの作業着に、ひび割れたタコだらけの分厚い手。長野県の山間部から夜行バスに揺られてやってきたというその農夫、大貫源三おおぬき げんぞうは、出されたマイセンのティーカップを震える手で見つめていた。

「気になさらないでください。絨毯はいくらでも代えがききますから」

桜田リベラは、大貫の前に和菓子屋の特製練り切りと、熱いほうじ茶をそっと置いた。

「さあ、まずは温かいお茶で一息ついてください。お話はそれからです」

「あ、ありがてえ……」

大貫はほうじ茶を一口すすると、深く、ひどく重い溜め息を吐いた。そして、ぽつりぽつりと、自分の身に起きた「理不尽な絶望」を語り始めた。

大貫は長野の小さな集落で、40年近く無農薬の有機農業を営んできた。

虫と闘い、天候に泣かされながらも、我が子のように土を育ててきた。その畑で採れる野菜は味が濃く、都内の有名レストランからも直接指名買いされるほどの自慢の品だった。

だが半年前。その農地一帯を「リゾート開発」の名目で買い上げようとする、大手ゼネコンの下請け企業が現れた。

「俺は断ったんです。あの土は、俺の人生そのものだ。いくら積まれたって売る気はねえって……」

大貫の太い指が、膝の上でギュッと握りしめられる。

「そしたら、先月です。県の環境局を名乗る連中と、ゼネコンの人間が突然やってきて、俺の畑の土を『強制検査』していった。……数日後、突きつけられたのは、『基準値を大幅に超える有害物質(カドミウムと鉛)が検出された』っていう、信じられない報告書でした」

「有害物質……。40年間、無農薬でやってきた土地から?」

リベラが鋭く問い返す。

「ええ。あり得ねえんです! 俺は除草剤一滴すら使ったことがねえ! なのに奴らは、『あんたが不法投棄された土砂を安いからと肥料に混ぜたんだろう』と難癖をつけてきた。……マスコミにも嗅ぎつけられ、長年付き合いのあった取引先からは次々と契約を切られました」

大貫の目から、濁った涙がボロボロとこぼれ落ちた。

「村の連中からも『お前のせいで村の作物が全部売れなくなる』と石を投げられ……俺は、もうどうしていいか分からなくなって……」

大貫は震える手で、ポケットから一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた。

それは、土地の所有権をゼネコン側に譲渡するという『同意書』だった。一番下の署名欄には、乱れた字で大貫の名前がサインされている。

「昨日の夜……奴らに呼び出されて、無理やり書かされたんです。これを書かなきゃ、損害賠償で俺の家族まで路頭に迷わせるって……。俺の、俺の畑が……っ!」

大貫が顔を覆って咽び泣く中。

ソファの足元で静かに丸まっていたアモンが、むくりと立ち上がった。

『……おい、リベラ』

アモンの黄金の瞳が、大貫と、テーブルの上の同意書を鋭く見据える。

彼はゆっくりと近づき、まずは大貫の分厚い手に鼻先を近づけた。

『この爺さんの手からする匂い……陽の光と、豊かな腐葉土、そして深い悲しみの匂いだ。……コルチゾール(ストレスホルモン)は分泌されているが、それは己の嘘を取り繕うための悪臭ではない。ただ純粋な、絶望の匂いだ』

大貫は巨大なシェパードが顔を近づけてきたことにビクッとしたが、アモンは構わず、今度はテーブルの上の『同意書』に鼻を近づけ、深く息を吸い込んだ。

その瞬間、アモンの鼻先にシワが寄り、微かに牙が覗いた。

『……なんだ、この紙は。爺さんの涙と冷や汗の匂いに混じって、酷く不自然な悪臭がこびりついてやがる』

「不自然な悪臭?」

リベラが小声で問い返す。

『ああ。土にまみれた農夫には絶対に似つかわしくない、人工的で甘ったるい化学香料の匂いだ。それも、密閉された空間で染み付いたような……。この爺さん、これを書かされたのは「自分の家」でも「役所」でもないな』

アモンの報告を聞いた瞬間、リベラの中で全てのピースがカチリと音を立てて噛み合った。

40年育てた土地から突然出た有害物質。村八分に追い込む手際。そして、不自然な場所で書かされた同意書。

(……ただの地上げじゃない。行政の検査機関まで抱き込んで、完全に『土壌汚染』をでっち上げている。……どこのどいつか知らないけれど、随分と悪質な手口ね)

リベラはゆっくりと立ち上がり、ジャケットの懐に手を入れた。

取り出したのは、黄金の輝きを放つ、見事な細工の金煙管きせる

「大貫さん」

リベラは煙管を口元に運び、ふうっ、と見えない煙を吐き出した。

その瞬間、応接室の空気が、まるで真冬の海のように冷徹な「修羅の気配」へと変貌した。

「あんたの畑、悪いようにはせん。ウチが必ず、取り返しちゃる」

ドスの効いた岡山弁。

大貫は、目の前の令嬢の雰囲気が一変したことに目を見張った。

「その同意書は、あんたが本心で書いたもんじゃない。法廷で、あのクソみたいなゼネコンごと、全部ひっくり返してやるわ」

リベラは同意書をファイルに挟み込み、好戦的な笑みを浮かべた。

「さあ、忙しくなるわよアモン。まずは、この爺さんを脅してサインさせた『場所』を特定するわ。……土の匂いも分からないような無粋な悪党に、ウチのシマの土は踏ませない」

『フン。俺の鼻にかかれば、その人工的な悪臭の出所などすぐに割れる』

銀座の法律事務所から、長野の豊かな大地を奪った見えない巨大な敵へ。

リベラとアモンの、新たな反逆の契約が結ばれた。

だがこの時、リベラはまだ知らなかった。

この地方の小さな農地買収の裏に、国家の中枢で暗躍する「赤山天人」という途方もない闇と、その闇にたった一人で立ち向かおうとしている『霞が関の月』の存在があることを。

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