7話 覚えてない
「あー、釘と板も回収してるから大丈夫だよ」
板は魔法の範囲に入ってたから濡れてない、釘は……ちょっと濡れてるか、魔法使う?いや疲れるしいいか……
フレイヤが振り返り、アイリスが片手に抱えている板と釘の束が目に入ると、脱力したように肩を落とした
「用意周到かよ……」
回収された板材は水に浸かったはずなのに、木目から水気が抜け落ちて乾いた状態にまで戻されている
釘に至っては錆の一つもない──いや、すこし濡れていたがフレイヤはそれを受け取り、少し吹いて指先で表面の滑らかさを確かめるように何度も撫でたあと、板を一枚持ち上げて裏表をひっくり返した
「これ、新品より状態いいんだけど
……はぁ……あんたの魔法ってさ、こういう使い方もできるんだね
戦うだけじゃないっていうか」
新しい橋の欄干に軽く手を置いて、その仕上がりを確かめていた
石の継ぎ目は隙間なく噛み合い、叩いてみれば鈍く硬い音が返ってくる
「前のは祭りの度におっかなびっくり渡ってたけど、これは馬車でも通れそうだ」
フレイヤの表情から険が消え、代わりにどこか複雑な色が浮かんでいた
便利さへの感心と、それを使うアイリスの心境を想像してしまった居心地の悪さが同居しているような顔だった
疲れるだけで何か代償として払ってるわけじゃないのにね
けろっとしてるアイリスを見てフレイヤはぽりぽりと頬をかく
「ねえ、これ村の連中が見たらどう思うかな。勇者が橋を直してくれたって……少しは風向き変わったりしないかな」
言いかけて、自分の楽観を打ち消すように首を振る
「いや、どうだろうね、あいつら、恩より嫉妬が先に立つから」
確かに、でもなんとなく想像できるなー
「絶対意地でも認めないし十中八九魔女だと囃し立てるだろうね、他はほぼ変わってるのに昔からそういう雰囲気だけは変わってないな……」
否定できない自分が嫌だったのか、唇の端を歪めている
「だろうね、ユータが成長の奇跡を見せた時もそうだった
最初は魔女だの悪魔だのって石投げてた奴らが、一週間後には手のひら返してた」
川風が二人の間を吹き抜け、木の枝がさわさわと揺れた
橋は見事に蘇ったが、それを作った者の名前がこの村で好意的に語られる可能性は限りなく低い
飢饉を救ったのはユータであり、橋を架けたのはアイリスだが、村人がその二つを天秤にかけた時どちらに傾くかなど、考えるまでもなかった
橋を渡り終えて、フレイヤはふと足を止めた
川を挟んで向こう岸に広がる景色を、かつて祭りで花飾りが並んでいた土手を、ぼんやりと眺めている
「昔はさ、ここの祭りであんたの腰に花輪巻いたの覚えてる?あたしが巻いてやったんだ。ルミが横取りしようとして大泣きして」
声に滲んだのは懐かしさか、それとも後悔か
本人にも区別がついていないようで、すぐに話題を変えるように背中を向けた
「まあいいや、板も戻ったし、さっさと直しちゃおう日が高くなると人目につくからね」
あ、まだあったんだ橋、どうしようかな……少し荒めにやってサボろうかな……
それになんかこの森というか村全体マナが足りない気がするんだよなぁ、なんでだろ
少ないと魔法打つ時足りないぶん私が負担しないといけないからきついよー
……どちらにしてもやるしかないかー
「それも私に任せて、私なら簡単にできるから」
振り返りかけていた体をもう一度私に向け直し、じっと顔を見た
「全部あんたにやらせて、あたしは見てるだけってこと?」
少し間があって、それから頭の後ろをがりがりと掻いた
「……それ、なんか嫌だな、昔っからあんたに頼りっぱなしだったのが、大人になっても変わんないってのは」
そう言いつつも、フレイヤ自身この橋の修繕に何日も費やしていたことは事実だった
木材の調達、石組みのやり直し、川の増水を見越した設計
それを一人で黙々とやっていた日々の疲労が肩に溜まっていることも
結局、手に持っていた板材をそっと地面に置いた。両腕を胸の前で組んで、観念したような息を一つ
「じゃあ、お願いしようかな
……でもさ、一個だけ条件、あんたがやったってことは、あたしは絶対誰にも言わない
村の奴らに聞かれたら『知らない、気づいたら直ってた』で通す
あんたの為じゃなくて、あんたの魔力が便利道具扱いされるのが嫌だから、それだけ」
ふーん、フレイヤっぽい線引きの仕方だね……
まぁまだ実質あって2日目だからそんなこと言える資格あるのかわかんないけど
アイリス守るためではなく、アイリスの尊厳を踏みにじらせないために口をつぐむ
快活な顔立ちの裏にある、この女の芯の部分がそこに覗いている
いやでも無理があるよね……
「じゃあ、もしフレイヤが怪しまれるようなら私の名前言ってね
この魔法便利だからね〜割と慣れてはいるよ」
眉がぴくりと動いた、「慣れている」という言葉の重さに気づいてしまった顔
「慣れてるって……あんた、旅の間もずっとそうやって使われてきたの」
アイリスは勇者として世界を救った
その過程で魔法を求められる場面など、数え切れないほどあっただろう
傷を癒せ、道を拓け、敵を倒せ
便利な力には常に需要があり、需要があるところには搾取が生まれる
そしてこの小さな村もまた、その構図の縮小版に過ぎなかった、求めてくる相手が国か村かの違いだけで
……使われるって言い方釈然としないな
てかここに戻るまでの3年間でそんな使われるって言われるほど求められてもなかったけどね、なかったけどね
少し不満そうにしてるアイリスを横目にしばらく黙って川面を見つめてから、ふっと鼻で息を抜いた
「あたしさ、昔あんたの姉貴分やってたくせに、全然分かってなかったね
あんたが村を出てから何年も経って、帰ってきたと思ったら世界救ってて、そんでこの扱い」
腰に下げた手斧の柄を無意識に握りしめながら
「……分かった、もし聞かれたら正直に言う
でもね、できれば誰にも聞かれない方向でいこう、あんたの名前を村の恩着せがましい連中に差し出すのは、あたしの趣味じゃない」
川下から風に乗って子供の笑い声と、それを叱る母親の怒鳴り声が聞こえた
日常の、ありふれた朝の音。この橋が直ったことなど誰も知らないまま、やがて村人たちは別の橋を使って川を越えるだろう
それが誰の仕業かなど、気にする者は一人もいない
別の橋も直し終わったあたりでフレイヤの「そろそろ帰ろうか」の言葉で帰る準備をする
二人は川辺を離れた、アイリスが再構築した橋は日が角度を変えても影一つ落とさず
まるで最初からそこにあったかのように川の流れを二つに割っている
裏道から村へ入ると、空気の質がはっきりと変わった
井戸端で洗い物をしていた中年の女が、二人の姿を見つけて手拭いを絞る動きを止めた
目線がアイリスに刺さる
「あら、フレイヤ、朝から穀潰しの散歩の付き添い?大変だねぇ、あんたも。」
足も止めず、女の方を見もしなかった
ただ口角だけをわずかに上げて、聞こえるか聞こえないかの声量で
「いい天気だねぇ、橋、直ったよ」
その女は聞き返そうとしたが、フレイヤはもう歩き去っている
怪訝そうに首を傾げながらも、その視線はすぐアイリスへと戻った
フレイヤの家が並ぶ通りに差しかかった時、向かいの軒先に小柄な影がしゃがみこんでいるのが見えた
木屑まみれの手で何かの部品を磨いていたが、アイリスたちの足音に顔を上げた瞬間、手から部品が転がり落ちるのも構わず立ち上がった
「アイリス兄ぃ!」
兄ぃ?あぁ勘違いしてるのかな、まぁいいか、この子は……えっとー、白い髪に黒い線が入ったような見た目……多分ルミかな、ルミでしょう、多分、
シスターぽい服してるね……教会で働いてるのかな、多分
ルミは口が先走ったことに気づいたのか、「兄ぃ」の余韻が消える前に自分の頬が赤くなるのを感じて、慌てて咳払いをした
大人びた顔を取り繕おうとして、けれど目だけはどうしてもアイリスから逸らせない
「あ、いや……アイリス、さん、おはよう」
「もうおそようよりだと思うけどね、というか兄ぃって何?」
「あ、いや、めっちゃ子供の時の勘違いで!」
そこまで言いかけた瞬間、耳の先まで真っ赤に染まった
口元を両手で覆い、しゃがんだまま後ずさるように距離を取る
「ほ、本当に!子供の頃の話だから!あたしが勝手に勘違いしてただけで!」
横で腹を抱えて肩が震えている
「ルミ、あんた昔『アイリス兄ちゃんと結婚する』って毎日宣言してたもんねぇ、女だと知った時の顔は今でも忘れられないよ」
フレイヤを涙目で睨みつけたが、言い返す言葉が見つからないらしく、ただ首をぶんぶん横に振った
「あれは、その、純粋な気持ちっていうか……今思うとありえない勘違いだったっていうか……」
ルミの手が膝の上で握りしめられていた
昔の自分を笑い飛ばそうとして、うまく笑えない顔
大人になった今、あの頃の無邪気さと、それを失った自分との落差がそのまま羞恥になって喉元にせり上がってきているようだった
うつむいたまま、声だけは平静を装って
「……ねえ、アイリス、兄…姉ぇ、あたしのこと、覚えてた?」
うっ、痛い質問だなぁ、手帳は最初の数ページしか見てないんだよね……こんな事なら読んでれば…いや、でもなぁ、読めない理由もあるんだよね……
「ごめん、覚えてない
ルミ、その名前くらいしかわからない」
息が止まったのが分かる、肩がびくりと跳ねて、装おうとしていた平静が一瞬で剥がれ落ちる
覚えているのは名前だけ、顔も、声も、毎日のように後ろをついて回っていた小さな足音も、アイリスの中には残っていない
ルミという音の響きだけが記憶の底にこびりついていて、それが誰に紐づくのかすら曖昧なまま
ルミの唇が何度か開閉して、結局出てきたのは笑顔だった
下手くそで、目元がひきつっていて、それでも必死に形を保とうとしている
「そっか、うん、そうだよね、何年も経ってるもんね
あたしが一方的にくっついてただけだし
アイリス姉ぇにとってはあたしなんて、その程度だったんだろうなって……うん」
立ち上がり、スカートについた木屑を払った
「大人」の顔を被り直すのに、ほんの少しだけ時間を要していた
「ごめんね、変なこと聞いて、あたし今ユータさんとこの仕事手伝ってるから忙しくて、昔のこととか気にしてる暇ないんだ」
そう言って、落ちていた部品を拾い上げ、二人に背を向けた、三歩ほど歩いてから、振り返らないまま
「アイリス、姉ぇら暇なら村のために何かしたら?みんなそう言ってるよ」
ルミは振り返らなかった
振り返ったら泣くことを、本人が一番よく分かっていたから
すごい勢いで喋られて圧倒されちゃった……
てか多分勘違いしてるよねこれ、いやまぁ記憶失くしてるって言ってないから当たり前だけど
見てられなかったのかフレイヤが口を開く
「アイリスは、記憶を失くしてる、」
ルミの足が止まる、振り返りはしない
けれど背中が明らかに強張った
三人の間に沈黙が通る、通りの奥から鶏の鳴き声と、誰かが戸板を開ける音がやけに遠い
背を向けたまま、しばらく動かなかった
それから肩越しに、片目だけで振り返った、その目はもう赤い
「……記憶を、失くしてる?」
ゆっくりと体ごと振り返る、被ったばかりの大人の仮面が、もう罅割れている
「じゃあ、あたしのことだけじゃなくて、村のことも、あたしと遊んだことも、全部?」
フレイヤはアイリスの方をちらりと見て、どこまで話していいのか測りかねている顔だった
代わりに答えたのはアイリスへの問いかけだった
「アイリス、どうする? あたしが勝手にべらべら喋ることじゃないし」
部品を握る指が白くなっていた。大人として装う余裕などとっくに消え失せて、そこにいるのは昔アイリスの後ろをちょこちょこ歩いていた少女の残像そのもの
「ねえ、あたしの名前、本当にそれだけ?
顔見て、何か思い出さない?」
話す隙が……やっと回ってきた
「そうだね……全部とは言わないけど大体の事だけしかわからない、ルミの顔を見ても、ごめんね」
ルミの体が止まっている、次々と与えられた情報を必死に整理して、その度に苦しんでいるようだった




