5話 別にいいじゃん
丘を降りる足取りは、戦場帰りとは思えないほど静かなものだった
草を踏む音すら殺す癖は、もはや職業病に近い
村の外周を回り込むように歩いていると、家々の軒先に吊るされた干し肉が風に揺れている
成長のスキルがもたらした恵みかな、肉付きが良い
アイリスの故郷がこんなに食に困らなくなる日が来るとは、旅立つ前には想像もできなかったことだ——ただし、それを享受しているのも、やはりアイリスではない
フレイヤの家の木戸を叩くと、中からくぐもった声が返ってきた
「開いてるよー」
フレイヤは…もう読み終わったみたいだね…
中に入るとフレイヤは手帳を開いたまま暖炉を眺めていた、傍には空になった水差しが転がっている
「目元が赤いけど、大丈夫?」
若干からかうように喋るアイリスをちらりと見て、少し笑いながら手帳の最後のページを閉じた
「おかえり、……全部読んだ」
「あんたさ、あたしらのこと何回も心配して書いてたね
『皆元気かな』って、最後の方は字がちょっと乱れてた
疲れてたんだろうね、多分」
疲れてた、か…今はもう忘れちゃったけど、記憶を失ってからここに戻ってくるまでも結構大変だったから、やっぱり魔王がいた時はもっと大変だったんだろうな…
それからフレイヤは手帳を丁寧にアイリスの方へ差し出したあと、少し黙って、口を開いた
「ねえ、一個だけ聞いていい?
あんた、なんでこの村に戻ってこようと思ったの」
「手帳の一番最初に書いてあったし、この村専用の手帳があるくらいだった…多分、昔の私にとってここは凄く大事な場所だったんじゃないかなって思って」
その言葉が染み込むまで、少し時間がかかったようだった
フレイヤの目が一度大きく見開かれ、それからゆっくりと伏せられた
「重要な場所、だったろうと思って……か…
過去形なんだね、そりゃそうか」
『だった』という一語が含む重みを、フレイヤはきちんと受け取っていた
『大事だから帰りたい』ではなく、『大事だったはずだから来た』
その微妙な差異が、今この村でアイリスが置かれている状況の全てを物語っている
フレイヤ……
「あたしさ、あんたの姉貴分だった頃、よく偉そうなこと言ってたよね、忘れちゃってるかもしれないけど……
帰る場所がある奴は強いとかなんとかよく言っててさ、でも……
あれ全部間違いだったわ
帰ったら帰ったで地獄とか、笑えもしない」
苦笑気味に喋るフレイヤを見て思わず笑みが溢れてしまう
「はは、それくらいの軽口を言ってくれた方が気が楽だよ、ありがとう」
二人の間で沈黙が落ちる
外で夜鳥が一声鳴き、その後また静かになる
フレイヤが何かを言おうとして口を開きかけ、
少し間が空いて、口を開いた
「……今日、ここで寝なよ
布団は一枚しかないけど、あんた小さいから足はみ出るくらいで済むでしょ
明日のことは明日考えりゃいい、あたしもそうする」
「ありがとうフレイヤ、危うく世界最強が野宿するところだったよ」
負けじと軽口を言ってみる
すると一瞬、動きが止まって、それから笑顔を見せた
「世界最強があたしんちの床で雑魚寝ってのも、なかなか絵面がひどいね」
冗談めかしたような声は、すこし掠れていた
フレイヤが押入れから引っ張り出した毛布は獣脂の匂いがしたけど、洗濯はされていて清潔だったから気にすることではないね
私に毛布を渡した後、自分は壁に背を預けたまま目を閉じる、横にはならないようだった
「おやすみ、アイリス
……あんたの記録さ、あたし、明日リヴにだけは見せていいかなって思ってる
あいつはあいつで苦しんでるから」
返事をしようかと思ったけど、考えてる間にフレイヤの呼吸が緩やかになってきたからやめた
眠たふりだったかもしれないし、本当に落ちたのかもしれない
夜が深まる、虫の声は遠くなって、風の音だけが鮮明に聞こえる
次はどこ見よっかな……天井の木目はもう見たでしょ……なんか寝れないなぁ
そう考えている内に、寝てしまった
翌朝、包丁の音で目が覚める
フレイヤは既に起きていたようで、何かを切っていた
「起きた? 干し肉と芋しかないけど、朝飯、食べな」
「……外がちょっと騒がしいね」
言われて気づいたけど確かに小屋の外から声が聞こえる
「どうしたのかな?」
木戸の隙間から外を窺い、顔をしかめた
「……ユータんとこに人が集まってる、朝っぱらから何やってんだか」
フレイヤが目で示した方向、ここからだと見えないけどあの方向は確か、あの大きい家か
村の中心にある屋敷の前には数人の村人が既に集まり始めていた
中年の女が隣の男に早口でまくし立てているのをフレイヤは見る
「勇者様が帰ってきてから、ユータ様のお力にケチつけるようなこと言ってる奴がおるんよぉ昨日の夜、木こりのフレイヤの小屋の近く通ったら何やらこそこそ話しとったて」
痩せた中年男が腕を組み、渋い顔で頷く
「飯も食わんとぶらぶらしとるだけの余所者が、偉そうに村のこと語るんは勘弁してほしいわぁ」
集まった人数は少しずつ増えていく、中には手には農具や薪を持ったままの者もいたが、屋敷に向かう足並みには共通した目的意識が滲んでいた
「余所者……?」
アイリスの言葉で振り返って、そのままアイリスの近くに座り込む
「余所者、ね……あいつら本気で言ってるんだよ、あれ」
余所者……?数十年いないとそうなるのかな?……あぁ、フレイヤが言ってたけどもうあの頃の村人は少ないのか、だからかな……
外のざわめきが少し大きくなるのを感じる
誰かが声を張ったらしくて、空気の中で怒声の断片が漂ってくる
「恩知らず」「穀潰し」聞こえてくる単語の切れ端だけで大体想像できる
フレイヤは椀に粥もどきをよそいながら、視線はアイリスから外さず、少しため息をついて口を開いた
「あんたの記録の件、リヴには見せたい
でも今あの屋敷の前に突っ込んでったら、それこそ火に油だよ
……しばらく様子見た方がいい」
様子見か、一体いつまで様子見すればいいのかな……
と、その時、集まっていた村人たちの間を割るようにして、一人の女が屋敷から姿を現した
寝起きのまま急いで身支度を整えたのか、質素なワンピースの裾が片方だけ捲れ上がっているのが見えた
その女性は集まった村人たちに向けて両手を広げ、前に出て口を開く
「みんな、待って待って、朝からどうしたの、こんなに集まって」
「リヴさん!あんたの旦那さんに文句つけとる奴がおるんよ!あの勇者とかいう——」
リヴは強く首を横に振った、そして拳を握りしめながら口を開く
「アイリスは……昔この村にいた人だよ、余所者なんかじゃない」
集団が一瞬ざわつくのがわかった
どうやらリヴがユータの正妻として公然と村人を制したのは初めてのことだったらしい
「あれは、リヴであってるかな」
ちょっと嬉しいな……ここまで意見の同調がされてる場所でも言い返してくれるって
フレイヤは外を見つめながら少し目を離してこちらに向かって口を開く
「リヴだね、あいつ、あんな顔するようになったんだ」
外では空気が張り詰めていた
村人たちは困惑と不満が混ざったような顔で互いを見合わせている
リヴの言葉は彼らにとって予想外だったのだろう、先ほどまでの勢いが目に見えて鈍っていた
その中の一人が一歩前に出て、声を低めた
媚びるような、それでいて探るような口調で
「リヴさんや、気持ちは分かりますけどなぁ
あの勇者様は村に何もしてくれんかった、けどユータ様がおらんかったら、わしら全員死んどったんですわぁ」
反論の言葉は出てこない「それは違う」と言い切れるだけの材料を、彼女は持っていなかった
「……それは、そうだけど……」
リヴが言いよどんだ隙に、集団の後ろからのんびりとした足音が近づいてきた
さっきまで屯ってた村人たちがさっと道を開ける
寝癖のついた頭を掻きながら現れたのはユータ本人だった
あくびを一つ噛み殺したようにしながら口を開く
「朝からなに、喧嘩?やめてよー、胃に悪い
……あー、勇者さんの話?別にいいじゃん、放っとけば
本人がどっか行くならそれでいいし、居たいなら居ればいい、俺がどうこう言うことじゃないっしょ」
村人たちはユータの言葉に安堵したように肩の力を抜き、その後示し合わせたように「さすがユータ様」や「寛大な心を振りまいていたらダメですよぉ」とユータを褒め称えるような言葉に包まれた
リヴだけがその場に立ち尽くしていた
遅くなってすみません!次回も明日に更新します!
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