2話 あいつのもん
「お前が魔王を倒した?ほう、そりゃご立派なことじゃ
じゃがな、この村の子供が腹を空かせて泣いておった時に、お前は何をしておった?どこで何を食うておったんじゃ?」
村長は吐き捨てるように言い放ち、背を向けた
村の方から騒めきが広がる
「ユータ様がいなけりゃ、俺たち全員飢え死にしてたんだぞ…!
あの人が来てくれて、やっとまともな暮らしができるようになったのに…
……今更のこのこ帰ってきて、何がしたいんだか」
誰一人として、アイリスの帰還を喜ぶ者はいなかった、喜べる雰囲気ではなかった。
夕暮れの風が村道を吹き抜け、かつての故郷の匂いを運んでくる、だがその空気すら、どこかよそよそしい
少し言い返してやりたくなる
「村長が生きてここでそんな事を言えるのは私が命をかけてこの世界を救ったからなんだけどね」
村長の足が止まる、血管が浮き出た顔でこちらを振り向く
「……なんじゃと?」
空気が一瞬、凍りついたように静まり返った
村人の何人かが息を呑み、互いに目配せを交わす
世界の脅威であった魔王が健在のままだったら、いずれこの村も魔族の侵攻に晒されていたかもしれない
そんな当たり前の事実を、しかし誰も口にしようとはしなかった
吐き捨てるように一人の村人が野次を飛ばす
「……おい、聞いたか今の、偉そうに。
結局この村を守ったのはユータ様だろうが…!
口だけは達者だな、英雄様ってのは…」
村長の杖を握る手が震えていたが、それは怒りなのか、あるいは図星を突かれた動揺なのか判別がつかなかった
「ふん……口でなら何とでも言えるわい
恩を売りたいなら、まず働いて返せ、明日の朝、東の畑の開墾を手伝え、話はそれからじゃ」
村長は今度こそ振り返ることなく、老いた背中が夕闇の中へ消えていった
村長の姿が見えなくなると、村人たちは蜘蛛の子を散らすように三々五々と家路につき始めた
目を合わせようとする者は一人もいない、ただ、通りの向こう──
村の中心にある、かつて村長宅だった建物より明らかに立派な屋敷の窓から、温かな灯りが漏れていた
「……私は勇者でこの世界では最強なんだけどね、農業よりも私に適した仕事があるだろうに…」
文句の言葉すら人に尽くす事前提なのは、勇者としてそうあらなければいけなかったからだと言う事をアイリスは自覚していない
その文句は空に消えるはずだった、だけど予想外の人物にその文句を聞かれる
背後から足音、斧を肩に担いだ長身の女が木こり仕事帰りらしく、土埃まみれのまま近づいてきた
アイリスより頭一個ほど背が高く、背の高い男と同じくらいの身長をしている
「——あんた、声でっかいよ、丸聞こえだった」
呆れたような、それでいてどこか懐かしそうな目でアイリスを見下ろす
手帳に書いてある特徴とほぼ一致する、確か名前は
フレイヤ。幼い頃のアイリスを引っ張り回していた姉貴分、数年の歳月は彼女の輪郭を大人びたものに変えていが、快活だと書いてあった眼差しは変わっていなかった、少なくとも表面上は
斧の柄で自分の肩をとんとんと叩きながら、声を落とした
「勇者だろうが最強だろうが関係ないの、あんたがいない間にこの村はユータのもんになった。みんなの胃袋掴んだ奴が一番偉い、そういう場所なのよ、もう」
一拍置いて、少しだけ表情が柔らかくなる。
「……まあ、あたしは別にあんたを追い出そうとは思ってないけどさ、でも村長に喧嘩売るのはやめときな
あの爺さん、意地だけは若いんだから」
ようやく話の聞けそうな人が現れてくれた!
「聞きたいことが山程あるんだけど、それよりもユータって誰?」
フレイヤは目を丸くして、それから小さく笑った
「あんた本気で言ってる?世界中で噂になってたでしょ、転生者の話
神様に選ばれてこの世界に降りてきた——ってやつ」
フレイヤは斧を地面に下ろし、腰に手を当てた
夕陽が彼女の横顔を赤く照らしている
「この村にふらっと現れてさ、最初は誰も相手にしてなかったんだけど
そしたら飢饉が来ちゃってら作物は枯れる、家畜は死ぬ、井戸は涸れかける——もう終わりだって、みんなが思ってた時に」
その男について語るフレイヤの顔は心なしか楽しそうだった
「あの男が手ぇかざしたら、畑がいきなり実り始めたの、麦も芋も、見たことないくらい立派なのが」
フレイヤは肩をすくめて、苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべている
「……あたしもさ、最初は胡散臭いと思ってたよ、でもルミが倒れかけてたの見たら、もうどうでもよくなっちゃって」
その名前が出た瞬間、フレイヤの声がほんの僅かに揺れた気がした、しかしすぐに持ち直し、話を続ける
「ユータは今、あっちの屋敷にいる
リブとリリーと一緒にね、
……あんたの幼馴染み、覚えてるでしょ?」
フレイヤは村の中央に鎮座する、場違いなほど立派な邸宅を顎で示した
あの場違いや建物はそのユータとか言う転生者のものだったんだ、まぁ聞いた話で考えれば妥当な報酬かな…
それにルミ、リブこの二つの名前は記憶をなくす前に私がとっていた手帳で読んだ、どうやら私の幼馴染だったらしい
アイリスは徐々に怒りとも違うような感情が溢れ出る
「その話だけで大体わかるよ、要はこの村全部たった一人の奴隷になったって事だよね」
アイリスは自分の言った言葉にはだいぶ棘がある事を喋った後自覚したが、取り繕う事はしなかった
なぜならそれは本心であり、手帳に書き残されていた村の印象と全く違う失望があったから
フレイヤがぴくり、と頬が引きつった
「奴隷、ね
……あんた、自分がどれだけこの村のこと知らないか分かって言ってる?」
フレイヤの目から、一瞬だけ温度が消えたのがわかる快活さの裏に潜む鋭さが、薄く顔を覗かせる
「飢えて死にかけた子どもがいたの
病気になっても薬を買う金がなくて、あたしが木を切って作った粗末なベッドで寝てた子が
あんたと一緒に川で遊んでた、あのルミだよ。
フレイヤは少し声のトーンを落として、けれど私からは目は逸らさなかった
「世界がどうとか、奴隷がどうとか——あんたは外で好き勝手やってたからそういうこと言えるんだよ
ここにいた人間にしてみりゃ、飯をくれた奴が神様なの、理屈じゃないの
…………あたしだってさ」
言いかけて、口を噤んだ、視線が一瞬だけ泳ぎ、首筋に薄っすらと赤みが差すのがわかる
「……とにかく、ユータに悪気はないし、村を豊かにしたのは事実
あんたに文句言う権利がないとは言わないけど、もうちょっと言い方ってもんがあるでしょ」
フレイヤは土埃を払うように手のひらで腿を叩いてから、ふっと息をついた
「……で、あんた今日どこに泊まるの、まさか野宿とか言わないでよね」
「……変わったね、フレイヤ」
「この村の雰囲気じゃ、野宿以外には手は無さそうだね」
変わったねと言ってみたが、その変わる前のフレイヤを今の私は文字でしかしらない、ただ、文字の上のフレイヤはこんな刃の抜けた人ではなかったと、そう考えてしまう
その言葉には前までの言葉よりも気持ちがこもっていて、微かだが闘気が溢れる
闘気とは、武人が鍛錬の末得られるものであり、簡単に言い換えるなら、殺気とも言える
フレイヤはその闘気に当てられた瞬間、身体が硬直した、息が止まる
一秒、二秒——闘気が収まるのを感じてようやく肺が動いた
「っ——」
フレイヤは無意識に自分の首指を這わせていた
肌には傷一つない、けれど、確かにその闘気が首に触れた感触だけが残っている
木こりとして鍛えた胆力をもってしても、魔王を屠った闘気は別物だった、膝が微かに笑っている
フレイヤは数秒の沈黙の後、唇を引き結んでアイリスを睨んだ
「……あんた、今あたしを殺せたよね、本気じゃなかったのは分かるけど」
喉が渇いているのか、唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた
「変わったのはお互い様でしょ、あたしの知ってるアイリスは、こんなことしなかった」
風向きが変わり、夜の気配が濃くなっていくのを感じる
遠くで犬が吠え、村はずれの共同井戸の軋む音だけが規則的に響いていた
フレイヤは乱れた呼吸を整えながら、それでもアイリスから目を離さずに口を開いた
「……うちに来なよ
狭いし汚いけど、雨風は凌げる
あたしが招いたって言えば、村の連中も一応は黙るから
その代わり、もう二度とあんな真似しないで
お願いだから」
アイリスは色々な感情を心に秘めながら、それに自覚する事はない
「ありがとう、その言葉に甘えるよ」




