少年、悲しい別れと、美しい死と②
カーミラの寝室の床に、ラルカは陣を描いていた。星屑の砂と呼ばれる特殊な砂を混ぜた塗料を用いて、黒髪の少女を中心に描いている。
「見事じゃな」
「は・・・」
カーミラ、ジュリアンともに感心していた。高度な魔法の陣はただ公式を暗記していればいいわけではなく、術者のマナや環境等によってその記述内容は大幅に変わるため、ラルカが描いている陣を描けるものはおろか、一割でも理解できるものは宮廷魔術師でもほとんどいないだろう。ライラは何が何だかさっぱり理解できていない。陣を描けば高度な魔法の発動の手助けになるが、描くのは時間がかかるため、戦闘時はほぼ使用できない。罠を設置したり、今回のように妨害が入らない場面で使用することが多い。時魔法の解除魔法はあまりにも高度なため、ラルカでも成功率は五、六割ほどしかなく、失敗した場合彼女にどのような影響が出るかわからない。そのため、陣を補助として用いることにした。それにより成功率をほぼ十割近くまで高めることが可能となる。ただし、二次元の陣では高度な魔法の術式をすべて記述することは不可能なため、陣を描けば誰でも発動ができるわけではない。当然使用するマナの量も莫大である。
「ふう」
ラルカが額の汗を拭う。ふと、カーミラは陣に不可解な記述があることを見つけた。
「ラルカよ、この部分の記述はこれで良いのかえ?」
「あ、はい。ここですよね」
ラルカが指さした部分を見てもライラにはさっぱりわからない。ライラの魔法学の知識は決して低くなく、むしろクラスでも上位だ。だがこの術式はあまりに高度で、魔法学の成績がラルカに次ぐクリスティーナでもその違和感に気付くかどうか怪しい。
「カーミラ様、時の死を発動したとき、無詠唱で、しかも慌てて発動しませんでした?」
「その通りじゃ」
数百年前のことでもその時のことは忘れていない。カーミラは確信を持って答えた。
「やっぱり。時の死の術式に乱れがあったみたいです。だから、マナの時が止まらなかった。だから、解除魔法の術式も変える必要があるんです」
カーミラは舌をかんだ。
(それで、妾の解除魔法は効かなかったのか)
全て自身の過ちによるものだった。しかしラルカは、すべて真実を話した。たとえそれがカーミラの心を傷つけることになろうと、既に死者である黒髪の少女を前にして嘘は意味をなさない。
「よし、これで完成だ」
陣の記述はたとえその陣の解析が済んでも簡単にできるものではない。塗料に込めるマナの量、線の太さ、僅かなずれも許されない。仮にこの術式を解読できたとしても、学園の教師ですら記述に三日はかかるであろう。しかしラルカは僅か半刻(一時間)ほどで描き上げてしまった。
(これほどとは)
ジュリアンも驚いた。自身でも、この陣を描くには半日はかかるであろう。
「じゃあ、今から始めます。いいですか」
「頼む」
カーミラの声に、ラルカは陣にマナを通した。陣が光り輝き、術式を描く。
「おおお・・・」
声を上げたのはジュリアンだ。これほど美しいマナを見たのは初めてであった。が、慌てて口を押えた。ラルカが陣に不足している術式を自身の体内で記述し始めている。速度はいらない、正確さだけでいい、とは言ってもラルカをしてですら細心の注意が必要なほど複雑な術式だった。全身にマナを循環させる。その量は神気の雷霆であれば軽く十回は発動可能なほどの量だった。ラルカの頬を汗が伝う。大量のマナがラルカの両手に集まる。いよいよ発動の時が来た。
――裁かれるのか、救われるのか、誰も知らぬ。だが、誰も邪魔立てできぬ。時よ刻め、汝はそれでも美しい
「時の解放」
まばゆい光が黒髪の少女を包む。瞬間、彼女の止まっていた時が再び動き出した。彼女の美しい髪がなびく。体が崩れそうになる。それを支えたのは、小さな手だった。
「ローラ・・・」
悠久の時を待った。愛しい人との久しぶりの抱擁。カーミラは彼女の頬を触り、口づけた。数百年ぶりの恋人の唇だった。
「ごめんなさい・・・」
頬を熱いものが伝う。さすがのカーミラも知らなかった。涙がここまで熱いなんて。久しぶりの恋人の唇が、こんなにも愛おしいなんて。しかしそれも一瞬だった。二人の柔らかい唇はすぐに皺だらけになっていく。止まっていた時が動き出したのだ。それでもカーミラは幸せだった。千年以上の時を生きてきたがこれほどの幸せを感じたことはなかった。やがて、二人の唇は腐り始め、全身の肉が崩れてきた。しかしカーミラはそれでも口づけをやめない。
「・・・・」
ラルカも、ライラも、ジュリアンも目をつぶっていた。今、この瞬間を覗き見ることは二人の愛を愚弄するに等しい行為であることを知っていたからだ。
「愛してるわ・・・」
やがて肉のぬくもりが消え、触れ合っていたのは唇ではなく、骨と骨になってしまった。それでもカーミラは愛しい人を離さなかった。この瞬間をずっと待っていた。涙どころか瞳でさえ朽ち果ててしまったはずなのに、涙の熱はなぜか感じた。しかしついに骨も灰になっていく。いや、灰すらも消えて、何もかも、無くなっていく。
「・・・うっ、うっ」
ラルカが泣いている。ライラはラルカの肩を抱きしめた。その光景は見えずとも、彼女の時を動かしたのは自分だ。何が起きているかはわかっている。本当にこれで良かったのか、と自分を責めた。
―――ありがとう。
―――ありがとう。
はっとして、ラルカは目を開いた。すでに二人の姿は灰どころか影すら無くなっていた。本当に今ここにいたのか疑うほど、気配ごと消えていた。だが、ラルカには確かに二人の声が聞こえた。
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