狂った群衆と、仮面
加藤は、どうにかレストラン内に逃げ込んだ。
辺りを見回したが、浅田親子もエイドリアンもいない。どうやら、黒川との闘いが始まると同時に逃げてしまったらしい。
ありがてえ。
これで、気兼ねなしにやれる。
そう、こうなればひとりでも多く道連れにするだけだ……そんなことを思いつつ、襲い来る信者たちの方を見た。
信者たちは、完全に暴徒化していた。
エイドリアンの空けた穴から、どうにか侵入しようとしている。一応、死体などを積み重ねて塞いではいるが、突破されるのは時間の問題だ。
「クソ、こいつら完全にイカレてやがる」
呟いた加藤は、すぐさま動いた。床に置かれていた殺虫剤のスプレーを手に取り、同時にライターをかざす。
ライターの火をつけると同時に、殺虫剤を噴射した。
途端に、凄まじい勢いで火炎が吹き出る。噴射された可燃性のガスは、ライターの火により火炎放射器となって信者たちを襲ったのだ。
悲鳴をあげ、退却していく信者たち。こうなると、迂闊には近寄れない。
これで一息つけるか……と思いきや、今度は車が突っ込んできた。それも一台ではない。立て続けに、四台の車が突っ込んできたのだ。
車は壁をぶち破り、次々と中へと入ってきた。どうにか避けたものの、殺虫剤のスプレー缶を落としてしまう。
これで、火炎放射器という武器を失ってしまった。加藤は、思わず顔をしかめる。暴徒たちは狂っているが、それでも車を用いて壁をぶち破るという知能は働くらしい。
さらに、狭い室内では車が使いづらいということもわかっていた。ドアが開き、信者たちが次々と降りてくる。その顔には、本物の殺意が浮かんでいた。
その手には、バールや金属バットや木刀といった得物を握っている。
「お前ら、本当に狂っちまったようだな」
加藤は呟いた。
レストランは、今や原型を留めていない。車が突っ込んで壁が破壊され、解体現場のような有様である。その上、床には死体が転がっていた。
しかも、目をギラつかせた新興宗教の信者たちが、凶器を手に持ち迫ってきているのだ。
B級アクション映画ですら、ここまでイカレたシーンはそうそう無いであろう。
「俺が死ぬには、相応しい場所かもな」
そう言って、加藤はニヤリと笑う。
次の瞬間、敵の懐に自ら飛び込んでいった──
信者たちが得物を振り上げた時には、加藤は既に接近していた。それも、棒で殴り合う間合いではない。掴み合うに適した間合いだ。バールや木刀では、効果的な攻撃を放つことができない。
一方、素手の加藤にとっては絶好の機会である。立て続けに、三発の頭突きを顔面に叩きこんだ。ひとりに一発ずつである。
食らった三人は、顔から血を拭きながらよろめく。その隙に、加藤は手近なひとりに足払いをかけた。
倒れた信者の首を、思い切り踏みつける。首の骨を折られ、信者は即死した。
その瞬間、別の信者が前蹴りを放った。加藤は避けきれず、まともに食らってしまった……が、同時に自ら後方に倒れ、ダメージを最小限に食い止める。
直後に後転し、素早く立ち上がった。そこで新たな作戦が閃く。
後転した時、加藤は見た。一台の車から、ガソリンが漏れて床に溜まっているのだ。
これに火がつけば、まとめて吹っ飛ばせる──
思った瞬間、加藤は素早く頭で計算した。隠しておいた拳銃を抜く。先ほど襲撃してきた信者の大田が持っていたものだ。弾丸は、あと三発残っている。
拳銃を、天井に向けぶっ放した──
さすがの暴徒たちも、銃声を前にして怯んだらしい。動きが止まる。
その隙に、加藤はキッチンに飛び込んだ。しゃがみ込むと同時に、引き戸を開け可燃性の洗剤を取り出し雑巾にかける。
直後、いきなり立ち上がった。もう一発、拳銃をぶっ放す。
暴徒たちは銃声を聞き、反射的に後ずさった。その瞬間に、加藤は雑巾に火をつける。
前転して移動しつつ、燃え上がった雑巾を車の下へと放り投げた。
さらに拳銃を撃つ。弾丸の無くなった拳銃を構えつつ、素早く床下収納庫に入り込んだ。
暴徒たちは、何が起きたのかと顔を見合わせる。その時、車が燃え上がった。
凄まじい燃え方に、彼らの狂気も止まったらしい。この火をどうするか、右往左往している。
そんな彼らの反応は、あまりにも愚かなものだった。突然、車が大爆発を起こす──
瓦礫の山と化した店の床下から、加藤はどうにか這い出る。周囲は、大勢の人間が倒れていた。生きているのか死んでいるのかはわからないが、当分は放っておいても大丈夫だろう。
だが、信者たちはまだまだ残っている。彼らは、ジリジリと近づいてきた。完全に囲まれている。
ここまでか。
加藤は苦笑した。こうなったら仕方ない。あとは、白兵戦で暴れるだけ……そう思った時だった。
突然、悲鳴があがる。信者たちが、次々と空中にぶん投げられていくのだ。その様は、滑稽ですらあった。成人した男たちが、軽々と宙を舞っていくのだから……。
そんなことのできる者は、加藤の知る限りひとりしかいない。
「エ、エイドリアン……」
加藤は、唖然とした表情で呟いた。なぜ、あいつがここにいるのだろうか。
いや、それよりも大事なことがある。エイドリアンがここにいる、ということは?
加藤は、すぐさま振り返る。と、そこにいたのは美鈴と玲奈だった──
「な、なんで戻ってきた!」
怒鳴る加藤だったが、美鈴は怯まない。
「玲奈が言ったのよ! このままだと、あんたが死ぬって! 助けに行こうって!」
美鈴が答えた時だった。いきなり後ろからの一撃をくらい、加藤は倒れる。
そこには、木刀を構えた信者が立っていた──
「貴様……よくも、我が師兄を! 大田の仇は討たせてもらう!」
喚きながら、信者は木刀を捨てた。腰に下げていたナイフを抜き、加藤の体に馬乗りになる。
信者は、ナイフを突き刺そうと振り上げた──
その時、美鈴が飛び出した。彼女は木刀を振り上げ、信者の頭をブン殴る。不意を突かれ、信者はバタリと倒れた。
美鈴が木刀を振り上げさらに追撃しようとした時だった。加藤は立ち上がり、美鈴の腕を掴み怒鳴る。
「駄目だ! あんたは、これ以上手を汚しちゃいけねえ! 玲奈のところに行け!」
叫ぶと、加藤はナイフを取り上げた。喉めがけ振り下ろす。
信者の首から、血が吹き出した。断末魔の悲鳴をあげたいが、声が出せないのだ。
吹き出た血は、加藤の手をも赤く染めていく。
汚れるのは自分だけで充分だ。美鈴と玲奈の手は、絶対に汚させない。
その時、荒牧がメガホンで叫んだ。
「我が教団に仇なす怪物が現れたぞ! 師父の予言通りだ! あの怪物を殺せ!」
その声と同時に、ふたりの信者が何かを抱えて車から降りてくる。
それは、重機関銃であった。鉄板ですら、掃射後にはボロ切れのようになるほどの威力である。信者たちは、手際よく重機関銃をセットしていった。
その姿を見て、加藤は表情を歪める。あれをまともに食らえば、エイドリアンとて殺されてしまう──
「さあ、その機関銃であの怪物をバラバラにしてしまえ!」
言われた信者は、すぐに配置につく。射撃の体勢に入り、銃口をエイドリアンへと向けた。
その時、加藤が叫ぶ。
「エイドリアン! 先にあれをぶっ壊せ!」
直後、重機関銃を指差した。さらに、飛び上がり踏んづけるような動きをする。
その言葉が、理解できていたのかはわからない。だが、加藤の思いは届いたらしい。
エイドリアンは、その場から上空に飛び上がったのだ。重機関銃の射手は、慌てて銃口の向きを変える。
だが、エイドリアンは着地していた。重機関銃との間合いは詰まっている。射手は、また銃口の向きを変える。
エイドリアンは、また飛んだ。十メートルを超える距離を一気に飛び、ドスンと着地する。
しかも、着地と同時に重機関銃をも踏み潰していたのだ。
次の瞬間、エイドリアンはブンと腕を振るう。射手は、その一撃でべチャリと潰れた。
「な、なんだと……この化け物が……」
荒牧は、そう言うことしかできなかった。
無論、怪物の話は聞いている。だからこそ、重機関銃まで用意してきたのだ。しかし、こんなにあっさり壊されてしまうとは……。
その時、エイドリアンは彼の真正面に移動してきた。
何の躊躇いもなく、腕を振るう──
次の瞬間、荒牧は潰された。もはや人の原型すら留めていない。ただの肉の塊でしかなくなっていた。
それを見た信者たちは、恐怖に震え叫びだす。
「ば、化け物だ!」
「こんなの聞いてねえよ!」
「逃げろ!」
口々に言いながら、信者たちは我先にと逃げ出して行った──
そんな無様な信者たちの姿を、黒川は虚ろな表情で見ていた。
「お前たちは、何をしているのだ……」
思わず呟いた。
己との闘争を続け、己のエゴを殺していく……それこそが、黒川の教えであったはずだ。
ところが、信者たちの姿はどうだ。己をコントロールできず、先ほどまでは集団で加藤ひとりに群がり惨殺しようとしていた。
そして今は、現れた怪物への恐怖に怯えパニックに陥り逃げ惑っている……人間の、もっとも醜い瞬間ではないか。
黒川は傭兵時代、人間が獣と変わる瞬間を何度も見てきた。紳士面した地元の名士が、戦場と化した村で、幼い子供たちを車で跳ね飛ばし逃げていく姿を見た。
また、神の慈愛を説いていた牧師が、ひときれのパンを奪うため人を殴り殺した場面も見た。
あの時、黒川ははっきり理解した。人間こそが悪魔なのだと……。
そんな時、神を見て声を聞いた。
(闘い続けよ。それこそが、人間を高みに引き上げる唯一無二の行動なのだ。闘争こそが、お前の喜び。闘争こそが、お前の使命)
だからこそ、黒川は信者たちに闘争の重要性を説いていったのだ。
しかし、今目の前にいる信者たちは……まさに、戦場で見た悪魔そのものであった。
止めたかった。だが、体が思うように動かない。麻酔薬が効いているのだ。まぶたが重くなっていく。
このままでは、眠ってしまう──
俺は、いったい何をやってきたのだ。
信者は、何も変わっていないではないか。
自問する黒川。気がつくと、信者たちは全員いなくなっていた。怪物の姿に怯え、逃げ去ってしまったのだ。
「なんと醜く、情けない者たちなのだ。俺は、できる限りのことをしてきたはずだった。それが、このザマか……」
呟いた時、彼の視界に見慣れたものが飛び込んできた。
あの白い仮面が、地面に落ちている。
どういうことだ?
黒川は愕然となった。この仮面は、確かに部屋に置いてきたはずだった。
それが今、目の前にあるのだ。まるで、さあ被ってみろとでも言わんばかりに……。
「そうか。それが、神のお考えなのだな。仮面の力で、奴らと戦えと……」
そう、このままでは眠ってしまう。
こうなった以上は、奴らと死力を尽くし闘いたい。闘争の果てに死ぬなら本望だ。
それには、仮面の力を使うしかなかった。
黒川は眠気に耐え、仮面を掴む。震える手で、頭から被った。




