加藤の作戦と、密かな決断
「何それ……どういうこと?」
眉間に皺を寄せ聞いて来た美鈴に、加藤は答える。
「どういうことって、そのまんまだよ。エイドリアンなら、あんたらふたりを抱えたままでも馬なみのスピードで走れるだろ。それにさ、こんな頼りになるボディーガードはいないぜ」
言いながら、加藤はエイドリアンの腕をピタピタ叩いた。
エイドリアンは、今回は何も反応しなかった。じっと加藤を見下ろしているだけだ。
一方、加藤はさらに語り続ける。
「それに、あいつと……黒川とは、きっちり決着をつけたいんだ」
「決着? どういうこと?」
「うまく言えないんだけど、黒川とは……なんか因縁みたいなものを感じるんだ。ここで決着をつけなきゃいけない、そんな気がするんだよ」
「何言ってるのか、さっぱりわからない」
納得いかない、という表情で美鈴は返した。加藤としても、この気持ちは上手く言葉にできない。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。
「とにかく、あんたらはここから逃げろ。あとは、俺が引き受ける。一回は言ってみたかったんだよな、このセリフ」
そう言って笑ったが、美鈴はニコリともしていない。
「そんなこと、できるわけないでしょ!」
「じゃあ、どうするんだ? あと三十分もすれば、教団の連中は総攻撃を仕掛けてくるんだぞ。その時、あんたらはどうする気だ?」
冷静な口調で尋ねてきた加藤に、美鈴は言葉につまりながらも答える。
「み、みんなで戦えばいいじゃない!」
「玲奈に、暴力と死体の山を見せたいのか? ただでさえ、玲奈はここに来てから見なくてもいいものを、腐るほど見てきた。この上、さらなる地獄を見せたいのか? 暴力と悲鳴と、血まみれの世界を体験させたいのか? 一生残るトラウマになるかもしれないんだぞ」
「だ、だったら全員エイドリアンに運んでもらえばいいでしょ! みんなで逃げればいい!」
美鈴はなおも言い返す。が、加藤はあくまで冷静だ。
「その場合、出てきたエイドリアンが皆に狙われる。あいつらだって銃器を持ってるし、集中砲火を受けたらどうなる? エイドリアンは平気かも知れないが、流れ弾丸に誰かが当たるかも知れないんだぞ。玲奈に当たったらどうする? だから、外にいるバカどもの視線を釘付けにする何かが必要なんだ」
その言葉に、美鈴は何も言えず目を逸らす。だが、加藤はさらにたたみかける。
「今、あんたが最優先で考えるべきは何だ? 玲奈のことだろうが。だったら、玲奈の安全をまず第一に考えろ。俺のことなんか考えるな。俺はここで数時間前に会った、頭のおかしい戦闘バカだとでも思えばいいんだよ。そんなバカが、死のうが生きようがあんたに関係ないだろうが。それよりも、あんたが心配すべきは玲奈のことだ」
そこで、加藤は言葉を止めた。
少しの間を置き、再び語り出す。
「それによ、俺だって死にたくはないさ。また、ここで死ぬ気もない。一応、作戦も考えているんだよ」
「作戦? どういうこと?」
「あの黒川烈道の性格からして、全てを手下にやらせるとは思えない。必ず、あいつもここに姿を現すはずだ。そこで、俺が素手喧嘩での一対一の勝負を持ちかける。黒川は、必ず乗ってくるはずだ」
そう、黒川という男は……こういう勝負を挑まれれば、嫌だとは言えない男だ。その上、信者たちの目もある。断れないだろう。
生き延びるためには、そこを突くしかない。
「さらに、俺はこう言う。俺が勝ったら、手下を連れて引き上げろ……ってな。俺が負けたら、親子を引き渡すという条件もつける。奴は、全てを飲むだろう。そうなりゃ、あとはこっちのもんさ。俺と黒川が闘うとなれば、全信者の目が俺たちふたりに向くはずだ。あとは、奴をぶっ倒せば全て丸く収まる」
「本当に?」
「俺が、あんな奴に負けると思うか? もちろん、あいつも強いだろうよ。だがな、根本的な部分に甘さがある。でなきゃ、サシのステゴロ勝負なんか受けない。そこを突けば、必ず勝てる」
そこで、加藤はニヤリと笑ってみせる。
「それにな、俺は常人なら二十回くらいは死んでるような修羅場をくぐってきたんだ。つまり、俺は不死身なんだよ。絶対に勝つ」
「ひとつ約束して」
突然の言葉に、加藤は困惑しつつも聞き返す。
「約束? 何だよ?」
「この件が片付いたら、必ず会いに来て」
真顔でそんなことを言ってきた美鈴を前に、加藤はさらに混乱した。
「はあ? どこに行けばいいんだよ? あんたらがどこに住んでるかなんて、わかるわけねえだろ」
「いいから約束して! 全部片づいたら必ず会いに来るって……私だけじゃなく、玲奈にも約束して!」
「む、無茶言うな──」
「約束しないなら、私たちは逃げない。ここに残る」
その言葉の奥には、本気の決意があった。絶対に引かない、そんな気迫がある。
加藤は、仕方なく頷いた。
「わかったよ、約束する。全てが片づいたら、必ずあんたらに会いに行くから」
そう言うと、加藤はしゃがみ込む。玲奈に向かい微笑んだ。
「玲奈、全てが終わったら、また会いに行くよ。だから、先に逃げててくれ」
加藤の言葉を、美鈴が手話で通訳する。
すると玲奈は、加藤をじっと見つめる。全てを見透すかのごとき目力に、加藤は思わず目を逸らした。
ややあって、玲奈は拳を突き出してきた。ただし、小指は伸ばしている。
「えっ? 何これ? どういうこと?」
またしても困惑している加藤に、美鈴は静かな口調で答える。
「指切りだよ。約束のしるしだよ」
「ゆ、指切り?」
素っ頓狂な声を出した加藤だったが、玲奈はなおも小指を突き出してくる。その目からは、純粋な思いが感じられた。
その圧力に押され、加藤も仕方なく小指を絡ませる。
その時、美鈴が口を開く。
「もし約束を破ったら、私はあんたを許さないからね。玲奈も、あんたを許さないよ」
「わかってるって」
本音を言えば、加藤はこの作戦が上手くいくとは思っていなかった。
確かに、黒川には甘い部分がある。ステゴロの勝負を挑まれれば、受けて立つとは思う。
問題は、その勝負に勝ち目が薄いということだ。会話をしただけで、既にわかっていたことだった。
黒川は、素手の勝負でも恐ろしく強い。まず体格的に、加藤よりも上だ。体格差は、素手の闘いでは重要な意味を持つ。ボクシングでは、体重の差が二十キロあると勝負にすらならないと言われている。
さらに、黒川とて生きるか死ぬかの修羅場を何度も潜り抜けているだろう。醸し出している空気が、他の信者たちとはまるで違うのだ。いや、裏の世界にもあそこまでの者はいなかった。
あの怪物を相手にして、勝てる自信はなかった。そう、加藤と黒川が闘えば、おそらくは黒川が勝つ。
そうなれば、加藤は間違いなく殺されるだろう。
俺の予定通りじゃねえか。
そう、加藤に生き延びる気など最初からなかった。
これまでの加藤の人生は、荒涼とした砂漠のようなものだった。どこを向いても、同じものしかない。綺麗な川もなく、美しい緑もなく、見えるものは灰色の砂だけだ。
過去は苦しみばかりだったし、未来には何の希望も見い出せない。人を傷つけたり殺したりして、生活の糧を得る毎日。将来もなく、友も恋人もなく、居場所と呼べるものもない。
そんな人生が、心底から嫌になってきた。
もう、終わらせようか──
そんなことを思うようになったのは、ここ一年くらいだろうか。
初めは、気まぐれな思いつきだった。だが、その考えは少しずつ根を張っていき、やがて強固なものになる。
こうなったら、奴らも道連れだ──
どうせ死ぬなら、俺の人生を滅茶苦茶にした元同級生たちも殺す。
あいつらのやったことを告白させ、ネットに晒した上で皆殺しにする。
その後で、俺も人生を終わらせる──
一度そう決めてしまうと、気が楽になった。復讐を果たせば、さっさと自分の人生を終わらせられる……そのつもりだった。
それが、こんなことになってしまった。
始まりは、浅田親子が現れたことだった。復讐劇の舞台に、何の前触れもなく乱入してきたふたり……あの時ドアを開けなければ、見知らぬ人のままでいられただろう。見知らぬ人なら、どうなろうが関係なかった。
しかし、加藤はドアを開けてしまった。元同級生を殺害しようとしている場所に、浅田美鈴と浅田玲奈を招き入れてしまったのだ。
あの時、玲奈は手話でこう言っていた。
(あなたの胸には大きな穴が空いてるね)
その通りだった。
加藤の心には、確かに穴が空いている。この部分は、とうの昔に死んでいた。心を殺さなければ、生きてこられなかったのだ。
そして加藤は、玲奈のこれまでの人生を知ってしまった。まだ幼い身でありながら、拷問にも等しい目に遭わされる毎日……。
中学生の時の加藤と同じだ。加藤は同級生の憂さ晴らしのため、玲奈は教団のため、ひたすら苦痛を受け続けた。
玲奈には、自分のような傷を負って欲しくない。自分の味わえなかった、明るく健やかな青春を体験して欲しい。
問題は、もうひとつある。
あの親子を見ていると、決意がグラついた。このふたりと、一緒に生きてみたい……そんな気分に襲われるのだ。
そんなものは、幻想にすぎない。だからこそ、最後にあの親子を遠ざけたかった──
俺の命を、あいつらのために使えるなら……我が生涯、一片の悔いなしだよ。
ありがとうな。
俺の死に、意味を与えてくれて──




