新たなる乱入者と、黒川の決断
それは、あまりにも突然にやって来た──
なんだこれ!?
加藤は、異様な感覚に襲われた。
目の前では美鈴と玲奈が人質にとられており、元同級生の女たちがナイフを押し当てている。絶対絶命の状況……であるはずだった。
にもかかわらず、加藤の心を強烈な何かが襲う。いや、心というより勘と言った方が正確か。
具体的に何なのかはわからない。だが、自分の理解を超えた存在が近づいているのだ。
真っ直ぐ、こちらに向かっている──
「おい加藤! どうすんだよ! おとなしくしねえと、このふたりの顔が傷だらけになっちまうぞ!」
勝田が叫んだ時だった。突然、恐ろしい破壊音が響き渡る──
レストラン『山猫亭』の壁はコンクリート製だ。当然ながら、多少の衝撃ではビクともしない。
その頑丈な壁が、一瞬にしてぶち破られてしまったのだ。まるで、ブルドーザーでも突っ込んできたかのようである。
しかし、壁に穴を開けたのはブルドーザーではない。
誰も見たことのない生物であった──
その生物は、存在だけで周囲の者たち全てを圧倒していた。
理屈ではなく、動物としての本能が叫ぶのだ。生物としての格の違いと、捕食者に出会った時の恐怖。誰もが、見た瞬間に悟るのだ。
身長は二メートルを超え、全身が銀色の鱗に覆われていた。手足は長く、頭部はトカゲのようである。
尻尾は、それだけで大蛇のような太さと長さを備え、一薙ぎするだけで床材が砕ける。その先端は剣のように尖り、静止していても空気を裂く音が微かに響いた。
指から伸びた鉤爪は、骨と金属が融合したような構造になっていた。その爪の一本一本が、刃物のようなインパクトを醸し出している。
まさに、悪魔が気まぐれで作り上げた生物。爬虫類と人間を力ずくで合成させ、世に放ったのでは……と思わせる存在だ。
皆、あまりの衝撃に動けずにいた……はずだった。
だが、ひとりだけ例外がいた。加藤は、この機とばかりに動き出す。音もなく接近し間合いを詰め、勝田の右手を掴む。ナイフを握っていた手だ。
次の瞬間、一気に捻りあげる──
勝田の口から悲鳴があがった。加藤の腕力で捻じられたことにより、肘関節をへし折られてしまったのだ。
さらに加藤は、玲奈の体に腕を回す。あっという間に、勝田の手から玲奈を奪い去った。
そこに来て、乱入してきた怪物が吠える。これまで、誰も聞いたことのない咆哮だ。何と言っているのか、誰もわからない。だが、意味はわかった。生物の本能に訴えかけてくる音。
これは、殺戮開始の雄叫びだ──
怪物は動いた。鉤爪の付いた手を、無造作にブンと振る。
たったそれだけの動きで、ふたりの人間が吹き飛んで行った。壁に叩きつけられ、ベチャッという音を立てる。
一方、加藤は動き続けていた。まるでラガーマンのように、玲奈を抱きかかえたまま女たちに体当たりを食らわす。こちらも凄まじい威力だ。
怪物の動きに目を奪われていた女たちは、完全に不意を突かれた。バタバタと倒されていく。
加藤は、女たちには目もくれない。手を伸ばし、ダクトテープで縛られた美鈴を片手で担ぎあげる。あとは逃げるだけ……のはずだったが、そこで足が止まった。
室内を、静寂が支配していた。しんと静まり返っている。
加藤は、思わず息を呑んだ。わずか数秒の間に、元同級生たちの全員が倒されていたのだ。ある者は壁で潰れた虫のようになっており、ある者は床にて血まみれで倒れている。
怪物というと、こちらをじっと見つめていた。その小さな瞳からは、何を考えているかは窺い知れない。
しかし、目の前にいる怪物は、この場にいる人間全てを瞬時に殺してしまったのだ。自分たちだけ見逃してくれるとは思えない。
こうなれば、自分が命を捨てるしかない。どうせ、先の人生に希望などないのだ。ならば、せめて美鈴と玲奈だけは守る。
自分のために泣いてくれた唯一の人なのだから──
「美鈴さん! 玲奈つれて逃げろ!」
叫んだ直後、怪物へと向き直る──
「オラァ! かかって来いよ! 俺が相手してやる!」
喚きながら、素早く移動し怪物の正面に立つ。無論、勝ち目などあるはずもない。
だが、今の加藤のなすべきは怪物を倒すことではない。
親子の逃げる時間を稼ぐことだ。
「どうした! あいつらじゃ物足りねえだろ! 俺と闘えや! ボコボコにしてやっからよ!」
喚きながら、足元の死体を蹴り飛ばす。とにかく、今は大きな音とアクションでこいつの注意を引きつける。それしかない。
さらに床を踏みつける加藤だったが、背後から声が聞こえてきた。
「それ、友だちなんだって……」
美鈴の声だ。まだ逃げていなかったらしい。加藤は、怪物から目を離さずに怒鳴りつけた。
「何をやってるんだ! さっさと逃げろと──」
「だから、そこにいるのは味方なんだって! 玲奈が友だちだって言ってる!」
怒鳴り返した美鈴。加藤は一瞬、何を言っているのかわからなかった。
だが、言われてみれば、先ほどから怪物に殺気を感じないのだ。こちらを見る目も、心なしか困っているように見える。
加藤は、ゆっくりと玲奈の方を向いた。
「本当か? 本当に、こいつ友だちなのか?」
尋ねたが、当然ながら玲奈には聞こえない。本来なら通訳係であるはずの美鈴も、手を縛られていて動くことができない。
それでも、怪物に動く気配はなかった。こちらを、じっと見つめているだけだ。玲奈もまた、落ち着いた表情で加藤を見ている。
そういえば……。
加藤は思い出した。勝田にナイフを突きつけられていた時、玲奈は妙に落ち着いていた。怖がる様子もなく、ただ加藤に何か言いたげな視線を向けていたのだ。
今にして思えば、玲奈は怪物が助けに来てくれることを既に知っていた。だから、あの状況でも落ち着いていられたのだ。
加藤は苦笑し、安堵のあまりその場に崩れ落ちる。
「驚いたよ……玲奈、お前は本当に凄いな」
・・・
その頃、ガイア救済教会では──
屋上にて、ひとり酒を飲んでいた黒川だったが、荒牧と拝み屋ジョーが息せき切って階段を駆け上がってきた。
まず、荒牧が報告する。
「大変です! 信者からの報告によれば、レストランに化け物が出たそうです! コンクリートの壁をぶち破り、内部に侵入した模様!」
信者から報告を受け、黒川の表情が変わる。
「なんだと!? 映像はあるのか!?」
「はい! これです!」
そう言うと、荒牧はタブレットの画面を見せる。
映像は少し不鮮明ではあったが、それでも銀色の何かが森の中から走って来るのが映っていた。
銀色の何かは、体当たりによる一撃で壁を突き破る。だが、後は静かなものだった。穴が空いたこと以外、何も変化がない。
「これは何だ? 見た者は、何と言っていた?」
黒川の問いに、荒牧はかぶりを振った。
「それが、本当に一瞬の出来事だったようで……ただ、こいつはまだ外に出ていないのは確かです」
その時、拝み屋ジョーが口を挟んだ。
「黒川さん、こいつが前に言っていた宇宙生物ですよ」
「そうなのか?」
「はい。こないだ根津湖に落ちた隕石ですがね、あれは宇宙生物の卵だったと言っている霊能者がいたんですよ。そいつは、こうも言っていました。卵から生まれた者は、いずれ人類に仇なす存在になるかも知れない……とも言っていました」
「卵? あの隕石は、卵だったのか?」
「ええ。まあ、普段ならバカ言うなって頭ハタいて終わりなんですがね、今回はえらい真面目な顔で言ってたんですよ」
「その宇宙生物と玲奈と、どんな関係があるのだ?」
「これは……俺の勘ですがね、玲奈が呼んだのかもしれません」
「玲奈が? どういうことだ?」
「あいつ、動物と妙に仲が良かったんですよ。玲奈が森に入ると、鳩やら雀やらが舞い降りてきて……ひょっとしたら、動物と意思を通わせることができたのかもしれなかったんです。あと、玲奈はここ最近、たまに何かと交信してるような目をすることがあったんです」
そう、拝み屋ジョーは以前より玲奈を特別視していた。だからこそ、この教団にも何かと理由をつけては足を運んでいたのである。
「つまり、あれこそが宇宙の意思だというのか?」
訝しげな顔の黒川に、ジョーは語り続ける。
「断言はできません。ひょっとしたら、何の関係もなく、たまたま現れた可能性もあります。今ごろ加藤と親子は食われちまっているかもしれません。ですが、俺の勘が正しければ……奴ら三人は生きています」
「いずれにせよ、その宇宙から来た生物はまだレストランの中にいるのだな?」
黒川は、荒牧の方を向き尋ねた。
「そのようですね」
「では……監視は続行だ。一時間後、攻撃を開始する。もはや、玲奈を生きて連れ戻すなどということは考えなくていい。皆殺しにして構わん。加藤も浅田親子も、生きていたなら全員殺せ」
「わかりました。では、攻撃の準備をしておきます」
そう答えると、荒牧は降りていった。
同時に、ジョーが黒川に食ってかかる。
「本気ですか? いったい何のために? もし三人が宇宙生物に殺されていれば、あなたの戦う理由はないでしょう」
「だが、三人は生きているかもしれぬのだろう?」
「その場合、さらに厄介なことになりますよ。加藤は命知らずの不死身野郎です。その上、コンクリートの壁をぶち破る宇宙生物が助っ人になった。玲奈の能力だって侮れません。あいつが本来の能力に目覚めれば、どれだけの被害が出るかわかりません」
「では、どうしろと言うのだ?」
「俺の意見を聞きたいですか? 敢えて言いますが、あの親子のことは諦めたらどうです? 仮にヤクザの件を警察に言われたところで、知らぬ存ぜぬで押し通せば問題ないかと。死体も始末していますし、顧問弁護士もいます。それよりも今、あのレストランに攻撃を仕掛けたら……教団は、致命的なダメージを負いかねません。ここは、潔く撤退すべきでは? 時間さえくれれば、玲奈の代わりは必ず見つけますよ」
「確かに、お前の言うことは正しいのだろう」
言った後、黒川は空を見上げる。
少しの間を置き、再び語りだした。
「だがな、俺は奴らと戦ってみたいのだよ。こんな気持ちは初めてだ。それに、これは神が与えたもうた最高の試練ではないだろうか」
「最高の試練?」
思わず顔をしかめ尋ねたジョーに、黒川は頷いた。
「ああ。神の子である加藤と玲奈、そして宇宙からのメッセージの体現者……あれらは、今までで最強の敵となるだろう。そして、これこそ神が与えし最高の試練。これに打ち勝ってこそ、俺は神ともう一度語り合える……そんな気がするのだ。ここで死ぬとしたら、それは神の定めたもうた運命だろうな」
「あ、あなた正気ですか?」
唖然となりながら、とんでもない言葉を絞り出したジョー。これは完全な暴言だ。他の信者に聞かれたら、殺されても文句は言えない。
しかし、黒川の表情は変わらなかった。
「正気だと? そんなものは、とうの昔に捨てた。正気など保っていては、神に近づくことなどできん」
その言葉を聞き、ジョーは頭をポリポリと掻いた。
直後、恭しい態度で一礼する。
「だったら、仕方ないですね。俺は、ここで降ろさせてもらいます。まだ、死にたくないですからね」




