幸せと、反乱
「な、何これ……」
加藤の持ってきた箱を見るなり、美鈴は唖然となる。
それも当然だろう。箱の中には、あんパンやチョココロネといった菓子パンが詰め込まれていたのだ。二十個ほどはあるだろう。
「黒川のおっさんがくれたんだよ。若い者が先走ったお詫びだってさ。早く食べなよ」
そう言うと、加藤は玲奈の方を向いた。
「玲奈、何でも好きなもの食べていいぞ。飲み物は水しかないけどな、行って汲んでくるから」
すると、美鈴が手話で彼の言葉を伝える。
途端に、玲奈は笑顔で両手を上げてみせた。バンザイ、のジェスチャーだろうか。嬉しいという気持ちを、全身で表しているように見える。
加藤は、思わず笑ってしまった。玲奈の仕草は、あまりにも可愛い。
人が喜ぶ姿を見ただけで、自分も嬉しいと感じる……こんなことは初めてだ。
(誰かを幸せにしてあげたら、自分も幸せになる)
かつての美鈴の言葉が蘇り、加藤は口元を歪める。
彼女の言ったことは間違いではない。でも、俺が幸せにしたいのは、美鈴と玲奈だけだ……そんなことを思いつつも、加藤は立ち上がった。
「そっか。喜んでくれて嬉しいよ。じゃ、今水を汲んでくるから、お腹いっぱい食べろよ」
言った後、加藤はキッチンへと向かった。
まず、ピッチャーに水を入れた。グラスを持ち、ふたりのいる部屋へ戻ろうとした時だった。
「か、加藤、外がなんか変なんだよ。来てくれ」
言ってきたのは、奥村和博だ。中学生の時はボクシングをやっており、加藤とすれ違うと必ずボディーブローを入れてきた男だ。
高校そして大学とボクシング部に入っていたのだが、万年補欠部員で一試合もできず辞めてしまった。
そんな奥村を、加藤は冷めた表情で見つめる。
「変だと? 何が変なんだよ?」
「あの、変だとしか言えないんだよ」
「そんなもん知るか。お前らだって九人いるんだぞ。そんだけ集まりゃ何とかできるだろ」
「いや、俺たちじゃ無理だ。とにかく来てくれよ。頼む」
懇願する奥村に、加藤は溜息を吐きながら答えた。
「後で見に行ってやる。もし嘘だったら、お前ら全員今すぐ殺すからな」
ピッチャーとグラスを親子のいる部屋に置くと、加藤は奥村の後に付いていく。
大広間には、残り八人がいた。うち四人が立ち上がり、加藤らと共に歩きだす。奥村も含めると五人だ。全員が男である。残り四人の女たちは、座りこんだままだ。
「おい、お前らどういう風の吹き回しだ?」
加藤の問いに、石川が口を開く。
「いや、あの、俺たちも一緒に闘うよ。外にいる奴らは、普通じゃないみたいだからな」
そう言って、笑みを浮かべる。だが、どう見ても不自然であった。何か企んでいそうだ。
「で、変な音ってのはどこから聞こえてくるんだ?」
さらに尋ねた加藤に、今度は奥村が答える。
「あの入口のところだよ。床の下から変な音が聞こえてくるんだ」
「そうか。じゃあ、行ってみるか」
言いながら、加藤はバリケードを乗り越えた。入口から、外を見てみる。
何も変わったところはない。外の景色に変化はないし、何も聞こえて来ない。
その時、他の男たちもバリケードを乗り越えてきた。加藤に近づいてくる。
明らかに、おかしな様子だ。
ほう、やっと来る気になったかい。
加藤は、ニヤリと笑った。
実のところ、加藤は彼らの思惑に気づいていた。
大広間に来た時からわかっていた。元同級生たちの空気が、完全に変わっているのだ。さっきまでの怯えが消え、代わりに殺意が感じられる。こんなところに呼び出された挙げ句、ろくに食事も与えず何時間も閉じ込められていたのだ。ストレスも溜まるであろう。
それが今、爆発しようとしている──
バカな連中だ。
この程度の人数で、俺を押さえられるとでも思ってんのかよ。
そんなことを思いつつも、加藤は周りの男たちを睨みつけた。こうなれば、全員殺してやる。
最初から、そのつもりだったのだから──
「おい、何が変なんだ? 言ってみろよ?」
強い口調の加藤に、川俣が近づいていく。まあまあ、とでも言いたげな表情で、馴れ馴れしく加藤の肩に触れた。
「そこだよ、そこ。変な音がしたんだ……」
言った直後、いきなり加藤の腕をつかんだ。手首と肘を捻りあげようとする。おそらく、合気道か何かの技だ。
と同時に、川俣は叫ぶ。
「今だ! みんなも来い!」
その声と同時に、皆が一斉にかかってきた。だが、加藤はニヤリと笑う。
「お前ら、究極のバカだな」
ボソリと呟くと、反撃を開始する──
川俣は、加藤の腕をつかみ関節技をかけようとしていたのだ。動画で見た護身術の技である。
技をかけ動きを封じた直後、他の者たちが飛びかかり制圧する計画であった。
しかし、関節技の型に入る前に、加藤は腕を力任せに振った。
その腕力は、川俣の想定を遥かに超えるものだった。片腕だけの力で、簡単に技を外され振り回される。
その時点で、彼らの計画は破綻していた。ところが、動き出した群れは止まることができなかった。まず奥村が、間合いを詰め左のジャブを打つ。
しかし、そのジャブを受けたのは加藤ではなく川俣だった。加藤は腕をブン回し、川俣の体を盾として使ったのだ。
顔面に拳を受け、川俣の顔が歪む。だが、殴った側の奥村も激痛に顔をしかめる。奥村の拳は、川俣の口に当たっていた。そのため、前歯が折れ奥村の指に刺さってしまったのだ。
次の瞬間、加藤は思いきり川俣を突き飛ばした。人間離れした腕力で押され、ふたりとも抵抗できず倒れた。
加藤は、そこからさらに追撃をかける。足を上げ、川俣の首を思い切り踏みつけた。
グシャッという音とともに、川俣の頚椎が砕ける。当然ながら即死だ──
続いて加藤は、立ったまま震えている石川へと向かっていく。
襟首をつかみ、顔面に額を打ち込んだ。
石川は、大前ほどではないが喧嘩の強さには定評があった男だ。しかし、加藤とはレベルが違いすぎた。頭突き一発で、よろめき後ずさる。
しかし、加藤はそれで終わらせなかった。首を片手で掴み、思い切り壁に叩きつける。と同時に、その人間離れした握力にものをいわせ、瞬時に握り締める。
加藤に首を絞められ、石川の首は一瞬でへし折れた。
この間、一分ほどしか経っていない。残るは、あと三人……と思った瞬間、加藤は自分のミスに気づいた。
大広間には、他に四人いたはずだ。その全員が女である。
彼女たちは、何をしているのだ?
その瞬間、加藤は動いた。男たちを無視してバリケードを乗り越え、ふたりのいる部屋に向かう。
だが、すぐに急停止した。ギリリと奥歯を噛みしめる。己の甘さに、自身の頭を壁に叩きつけたくなった。
大広間には、四人の女たちがいる。美鈴の両腕をダクトテープで縛り、玲奈を抱き上げているのだ。
しかも、ふたりの喉元にダガーナイフを突きつけている。このナイフは、襲撃に来た信者が持っていたものだ。
加藤は、己のバカさ加減を呪った。どこまで迂闊だったのだろう。こんな武器を、放置しておくべきではなかったのに……。
「このクズどもが……」
低く唸る加藤を、勝田麻理恵がせせら笑う。
「クズはどっちだよ! この人殺しが! 下手に動いたら、この子の顔に傷がつくよ!」
毒づく勝田は、左手で玲奈を抱え込んでいる。右手にはナイフを握り、玲奈の頬に押し当てているのだ。
この勝田もまた、クラスのカースト上位にいた。教師の前では真面目な態度を装い、陰で弱い者イジメをするタイプだ。
加藤のことを「ゴミ箱」と呼んでおり、制服のポケットや口の中にゴミを突っ込んだりしていた女である。
ただ加藤へのイジメだけは、隠そうともしていなかった。なぜなら、担任教師ですら笑いながら見ていたからだ。つまりは共犯者だと判断していたのである。
その時、美鈴が静かな表情で口を開く。
「確かに、加藤くんのやったことは犯罪だよ。でもね、あなたたちも犯罪者なんだよ」
「は、はあ? 何言ってんだよ?」
「中学生の時にあなたたちのやっていたことは、イジメなんて言葉で語れるものじゃない。立派な犯罪だよ。傷害に暴行、それに殺人未遂……あなたたちに、彼を犯罪者だなんて言う資格はないんじゃないの?」
美鈴は、淡々とした口調で語った。その態度に、勝田は凄まじい形相で睨みつける。
「うるせえんだよ、このババア! 殺すよ!」
そのセリフに、美鈴はクスリと笑った。
「ババア、か。私二十八なんだけど、ババアって言われちゃうのか。でもね、そのババアから忠告させてもらうよ。今の状況で、こんなことして何になるの? 外にいる連中は、あなたたちを逃してくれると思う?」
「うるせえって言ってんのが聞こえないのか!」
怒鳴ったのは若林史菜だ。クラス内カースト上位者の後ろをついて歩くタイプの女子である。
こういうタイプほど、自分より下だと判断した者には容赦がない。加藤に対しても、勝田らと一緒になりゴミ箱扱いしていた。
そんな若林だが、美鈴の冷静な態度に腹を立てたらしい。頬を思い切りひっぱたいた。
すると、加藤が一歩前に進み出る──
「そのふたりを傷つけたら、お前らに地獄を見せてやる。早く殺してください、って俺に頼むことになるぞ」
低い声で凄んだ。すると、男たちが彼に近づいていく。
「な、何を言ってんだよ。この人殺しが」
言ったのは奥村だ。しかし、加藤の手の届くところまでは接近しようとしない。この状況下でも、加藤を恐れているのだ。
見ていた勝田が、苛立った表情で怒鳴る。
「何やってんの! さっさと加藤を縛っちゃいなよ!」
「うるせえな! こいつはガチでヤベえ奴なんだよ! 今だって、あっという間にふたり殺っちまったんだぞ! そんなに言うなら、お前やってみろや!」
怒鳴り合うふたりを無視し、加藤は玲奈を見つめる。お前は何もするな、という意思を目で伝えるつもりだった。
元同級生たちは、しょせん素人だ。しかも、チームワークも良いとは言えない。さらに、修羅場にも慣れていない。いずれは隙ができる……はずだった。
だが、そこで違和感に気づいた。玲奈が妙に落ち着いているのだ。頬にナイフを押し当てられているのに、平然とした態度である。
あいつ、何を考えているんだ?




