黒川の説法と、加藤の怒り
加藤と玲奈のやり取りが終わった時だった。美鈴の目が、加藤のシャツの染みを捉える。
「あんた、ケガしてるよね?」
険しい表情で聞いてきた美鈴に、加藤は何のことかわからずキョトンとなった。だが、自身のシャツに血が付いていることを思い出した。
拳銃で撃たれた傷痕だ。しかし、それを正直に言う気にはなれなかった。
「えっ? ああ、大丈夫。大したことないよ」
「大丈夫じゃないでしょ! 血が出てるんだよ!」
美鈴に怒鳴られ、加藤は思わず本当のことを言ってしまう。
「だから大丈夫だって。拳銃で二回撃たれただけだから──」
「だけじゃないでしょ! 拳銃で撃たれりゃ死ぬんだよ! ちゃんと手当てしなきゃ!」
言うなり、美鈴は加藤の腕を掴んできた。
加藤はうろたえた。美鈴の迫力に押され、表情が歪む。
が、すぐに矛先を逸らす手を思いつく。
「い、いや、俺のことより玲奈を心配しろよ。だいたい、この子は朝から何を食べたんだよ?」
「あの、朝に教団で出た食事を食べたきり……」
途端に、美鈴はしゅんとなった。
「じゃあ、腹減ってんだろ。しかも、さっきは吐いてんだぞ。栄養のあるものを食わねえと」
そう言うと、加藤は玲奈の方を向いた。
「どうなんだ玲奈? 腹減ってんだろ?」
いきなり話を振られた玲奈は、えっ? とでも言いたげな表情をした。
だが、美鈴がすぐさま手話で通訳する。と、玲奈はウンウンと頷いた。
加藤は苦笑し、ポケットからチョコレートバーを取り出す。既に粉々になっているが、一応は食べられる。
これでラストだが、仕方あるまい。
「粉々のチョコレートバーで申し訳ないが、これで良ければ食ってくれ」
言いながら手渡した時だった。突然、外から声が聞こえてきた──
「今より、ここに我らが師父である黒川烈道さまが直々にお出ましになる! もう一度、加藤亜嵐と話し合いたいとのことだ! 覚悟して待て!」
途端に、加藤は立ち上がった。
「黒川だと!? 何しにきやがるんだ!?」
「どうするの?」
美鈴が、震えながら尋ねた。両腕には、しっかりと玲奈を抱きしめている。
そんな親子に、加藤は顔をしかめながら答える。
「いいか、あんたらふたりはここで待ってるんだ。いざとなったら、俺が黒川を殺る。教祖さえ死ねば、他の信者たちもおとなしくなるかも知れない。あと……」
加藤はしゃがみ込むと、玲奈の目を見つめる。
「玲奈、俺の身に何があろうと力を使うな。約束してくれ」
その言葉を、美鈴は手話で娘に伝えた。
玲奈は、じっと加藤を見ていたが……少しの間を置き、こくんと頷いた。
「じゃあ、行ってくるぜ」
そう言うと、加藤は歩きだした。
大広間には、九人の同級生たちがいた。皆、不安そうに加藤を見ている。何か言いかけた者もいた。
だが加藤は、それら全てを無視して進んでいった。彼らの存在は、ただただうっとおしいだけだった。殺さない理由はというと、こんな連中に構っている場合ではないから……ただ、それだけだった。
お前ら、さっさと死んでくれよ。
そんなことを思いつつ、外に出ていった。
入口には、既に黒川烈道が来ていた。
前に会った時と変わらず、ズタ袋のような服をまとい、堂々たる姿勢で立っている。ただ、そこにいるだけで周囲の空気すら変えてしまいそうだ。
加藤は圧倒されるものを感じつつ、それでも軽薄な表情を作り口を開く。
「へいへい教祖さまよう、さっき二時間の猶予をくれるって言ってたよな。それから一時間もしねえうちに、おたくんとこの信者が三人カチコミに来たぜ。まさか、あんたが約束を破るとはな。ガッカリだね」
「あれは、若い信者たちが先走っただけだ。だが、それもしょせんは言い訳でしかないな」
言った直後、黒川はとんでもない行動に出た。
不意に、自らの左手のひらを突き出す。そこから、指を折っていき拳を作る。ただし、小指だけは折っていない。伸びた状態のままだ。
その左小指を、自分の口元に持っていく。
次の瞬間、噛みちぎってしまった──
「し、師父!」
ひとりの信者が、慌てて駆け寄ろうとする。だが、黒川はそれを片手で制した。
次に口を開け、プッと何かを吹き出す。
吹き出されたものは、まっすぐ加藤めがけ飛んでいく。だが、加藤はそれをキャッチした。
そして、吹き出されたものをまじまじと見つめる。言うまでもなく、それは黒川のちぎれた小指だった……。
「古来、日本のヤクザはミスをした時、自身の小指を切断したという。俺にとって、信者は自分の子も同然だ。子の犯したミスは、親である俺が始末をつけねばな」
当の黒川は、平然としている。駆け寄ってきた信者からの応急手当てを受けているようだが、表情ひとつ変えていない。
なんて奴なんだよ。
この化け物が……。
加藤は、改めて黒川という男の恐ろしさを知った。だが、口から出たのはこんな言葉だった。
「あのな、こんな小指もらっても一文の得にもならねえんだよ。でもまあ、こいつに免じてカチコミの件はチャラにするよ」
その言葉に、黒川は微笑んだ。
「先ほども言ったが、お前のことは調べさせてもらった。お前は中学生の時、凄まじいイジメに遭っているようだな」
「はあ? だからなんだよ? 可哀想だとでも言いたいのか?」
詰め寄る加藤だったが、黒川は動じる様子もなく話を続ける。
「違う。お前は、自分でおかしいと思わなかったのか? 冗談でも何でもなく、お前は常人なら二十回は死んでいるような目に遭っているのだぞ」
「えっ……」
それきり、加藤は何も言えなくなっていた。
確かに、他の者からも似たようなセリフを言われたことがあった。他ならぬ拝み屋ジョーだ。
かつて一緒に仕事をした時、ジョーは呆れた顔で言っていた。お前、不死身かよ……と。
単なる冗談かと思い、聞き流していたのだ。
沈黙する加藤に、黒川は語っていく。
「今まで気がついていなかったようだな。お前は、常人離れした肉体の持ち主なのだよ。まさに、神の子なのだ」
「か、神の子ぉ?」
「そうだ。先ほども言った通り、お前は常人ならば何度も死んでいるような目に遭わされている。にもかかわらず、お前は生き延びた。これこそ、お前が神の子である証拠だ」
「ふざけるなよ。俺が、イジメのフラッシュバックにどれだけ悩まされたか……てめえにわかんのかよ?」
怒りに震える声で尋ねた加藤に、黒川は余裕の表情で対応していく。
「らしいな。常人ならば、それからどうなるか想像するのは容易い。おそらく、家から一歩も出られず己の内にこもる生活を送っていただろう。だが、お前はそれを克服した。絶え間ない闘争によってな。違うか?」
「闘争?」
訝しげな表情の加藤に、黒川は頷いた。
「そうだ。かつて、お前の住んでいた施設。その近所にある公園では、夜な夜な鉄棒で懸垂をする少年がいたらしい。それも、数時間ぶっ続けでな。結果、その鉄棒は一年も経たぬ内に金属疲労により曲がってしまったと聞いた。言うまでもなく、これも普通の人間には不可能な芸当だ」
「な、なんでそれを知ってる……」
呆然となる加藤。
その、夜な夜な懸垂をしていた少年というのは、言うまでもなく加藤本人だ。フラッシュバックから逃れるため、狂ったように鍛えていた時期である。
まさか、そんなことまで知っていようとは……。
「お前の不死身ぶりに、興味を抱き個人的に調べていた者がいたのだよ。しかし、そんなことはどうでもいい。肝心なのは、お前はもともと常人離れした肉体の持ち主だった。その肉体を、絶え間ない闘争により鍛え上げ、最強の戦士となったという事実だ。これこそ、神の子である証拠だよ」
そこで、黒川の声が一段と熱を帯びてきた。
「人類の中から、まれにお前のような者が出現する。異能生存体、とでも言うべき人種がな。たとえば、ロシアの怪僧といわれたラスプーチンは、毒菓子や毒酒を平然と平らげ、銃弾を何発も受けたが生きていたという。最期は、縛られ川に落とされてようやく死んだと伝えられている。お前もまた、ラスプーチンと同類なのだ。間違いなく神の子なのだよ」
「あんたは、俺が神の子なんだと言う。そうなのかもしれないし、そうじゃないのかも知れない。バカな俺には、わからねえ話だよ」
そこで、加藤の表情が変わる。
「けどな、俺はあんたらが玲奈にしたことを聞いた。玲奈に、おかしな実験をしていたらしいな。あの子が吐くのも構わず、実験を続けてたそうじゃねえか」
「大いなる力には、大いなる責任が伴うものだ」
重々しい口調で答えた黒川に、加藤はなおも問い詰めていく。
「はあ? そのもっともらしいセリフと実験と、何の関係があるんだよ?」
「玲奈には、強大な力がある。だからこそ、彼女には責任があるのだ。己の力を完璧にコントロールし、人民のために使われなければならないのだ」
滔々と述べていく黒川だったが、加藤はなおも言い返す。
「だがな、美鈴は言っていたんだよ。玲奈に普通の暮らしをさせたいってな。普通の幸せを知って欲しいとも言ってた。その自由を、あんたらは奪った」
「ならば言おう。今の世の中は、昔と比べ遥かに安全で便利な生活ができている。それはなぜか? 力のあるものが、己の責任を全うし社会のために自身の力を用いたからだ。力のある者は、弱者のために己の力を行使せねばならん。それが、力ある者全ての義務ではないのかな。玲奈にしてもそうだ。お前と同じなのだよ。玲奈も、闘争によって己を鍛え上げ、弱者のためにその力を行使せねばならない」
「あんたの言うことは、正しいのかもしれない。だが、俺は従いたくねえなあ。あんな子に、俺と同じ思いをさせたくねえんだよ」
そう言うと、加藤は黒川を睨みつける。
「あんたらが正義なら、俺は悪で結構だよ。悪だからこそ、好き勝手にやらせてもらうだけだ。今、俺はあの親子をあんたらから逃したいと思っている。だから逃がすんだ。どっちが正しいとか悪いとか、そんなもん関係ねえ。やりたいからやる、それだけだ」
「そうか。やはり、俺とお前とは相容れぬ運命というわけか」
「ああ、そうらしい」
「あと一時間後、我々は総攻撃を開始する。できれば、お前には我が教団に入ってほしかったが、それは無理なようだ。ならば、これを持っていけ」
そう言うと、後ろに控えている信者たちに何やら合図する。
と、ひとりの信者が恭しい態度で運んできたのは、厳しい見た目のケースだ。
黒川が開けると、中には菓子パンが大量に入っている。あんパンやクリームパンといった類のものだ。
「何だよこれ?」
「玲奈に食べさせてやれ。先ほど、お前はウチの若い者に、玲奈に食べさせたいからピザでも注文してくれ……と言ったそうだな。さすがにピザは注文できなかったが、子供の好みそうなものを集めて入れておいた。これもまた、詫びの印だ」
「毒でも入ってるんじゃねえのか?」
「だったら、俺が毒味をしてやろうか?」
「そこまで言うなら、いいよ。信用する」
そう言うと、加藤は箱を担ぎ、レストラン内に入っていく。
去り際、加藤はひとり呟いた。
「あんたとは、違う形で会いたかったよ」




