いざ醸造
「準備よし」
僕は家のキッチンを借り、仕込みの支度を整えた。
必要な原料はそう多くない。
まずは粉砕された麦芽。ビールには何より重要な物だ。
次にホップ。苦みと香りをこれで決まる。
以上。
あとは道具とか水とかで、特別な物はない。
「もう作る用意が整ったのか」
偉そうな声は、例の女神様だ。この方はいつも唐突に現れる。手伝ってもらうために駆り出したエマがこないだと同じように固まっていた。どうやら時間が止められているらしい。
「大義であるぞ! ふふふ、ラガービール……」
メルティア様は、僕が揃えた原料を眺めながら、大きな胸をさらに大きく膨らませている。
え、ラガーなの。まさかメルティア様が飲みたいビールがラガーだったとは。
僕はため息をついた。
これから彼女に残酷なことを告げなければならない。
「残念ながら、たぶんラガービールはできないですよ」
「は?」
ギ、ギ、ギ、と不自然な動きで顔を向け、僕をにらんだ。
「なぜじゃっ!? 貴様まさか神を謀ったのかっ!?」
濡れ衣だよ。
「濡れ衣と言うなら説明せい。納得いく説明がないようなら、貴様の血を酒に変えてやるぞ」
女神様はアルハラを仕掛けてきた!
「分かりました、女神様。いいですか、酒を造るには酵母というものが必要です」
「用意されてないようじゃが?」
「目に見えないほどの微生物です。こればっかりはこの時代に作れる道具では管理できません」
「ほう、すると?」
「どんな酵母がつくかで発酵の仕方、つまり味や香りが変わるのですが、自然に存在するものがうまく定着することを期待するしかないので、どの種類が居着いてくれるか、やってみないと分かりません」
「それならラガービールになる可能性もあるのではないか?」
「地球でのラガー酵母は、低温でも発酵できるという特性から偶然発見されたんです。このあたりは温暖ですし、普通の酵母に負けると思います。したがって、完成するのはラガーじゃないビールということです」
僕の説明を聞いて、メルティア様はしばらく黙っていた。
「つまり、おぬしの説明によると、ラガービールを造るためにはそのラガー酵母を見つけて選別し、ほかの酵母に負けない温度環境を維持してやらねばならない、そういうことだな?」
「はい、そうです」
ご理解いただけたようだ。これで体中の血を酒に変えられて急性アルコール中毒死、などという死に方をしなくてよくなった。
「分かった」
言うやいなや、メルティア様は右手のひらで僕の額を強く叩いた。
すぱん、という破裂音がした。痛い。
「何するんですか!」
僕が抗議すると、メルティア様は腰に手をあてて胸を張った。素晴らしい二つのものがこれでもかと主張を強めてきた。
「喜ぶが良い、おぬしに神の加護を与えた」
「はい?」
「酒と酒の原料の温度を自在に変えることができ、その酵母とやらを分離保存できるようにしてやったぞ!」
「は、はい?」
「さぁこれでラガービールとやらの製造を試みるが良いっ!!」
もしかして、この人、酒を飲むためなら何でもするタイプ?
そこまでしてくれたなら、低温発酵を試してみるしかないだろう。
ラガー酵母、見つかるのかな。この辺にいなかったらどんな能力があったって無理なんだけど。




