イースターの約束
激闘を終え、シーズン中だけどちょっと一息のひととき
3月下旬のアムステルダムは、ようやく冬の重い雲が去り、街全体が「これから春が始まる」というポジティブな光に満ちていた。
イースター(復活祭)の休暇を利用して、彼女はオランダへと向かった。大学の最初の長期休み。
何より、夏以外にはなかなか会えない、1つ上の恋人に会える高揚感で、胸が弾んでいた。
「――だから、レンブラントは光をただ明るく描いたんじゃなくて、周囲の闇を深くすることで、その光を際立たせたの。それが彼の『明暗法』で……」
アムステルダム国立美術館、天井の高い展示室。
美術史を専攻するヘルミの言葉は、少しだけ早口だった。緊張しているのを隠すためだと、隣を歩く男――アヤックスのウインドブレーカーをスマートに着こなしたダンには、とうに意図を見抜かれているかもしれない。
「へえ、光を際立たせるための闇、ね。興味深いな」
ダンは、展示された大作『夜警』をじっと見上げながら、アスリート特有の鋭さと、理知的な光を宿した瞳で呟いた。
各国を転戦する彼の身体は、更に一回り大きく、どこか遠い世界に行ってしまったような佇まいも感じられる。
けれど、彼の視線はすぐ側、ヘルミの首筋に来た。
首元で、小さなモチーフが『夜警』のドラマチックな光を反射してきらりと揺れた。
「……それ、着けてきてくれたんだな」
彼女が身につけているのは、シルバーのネックレス。
高校卒業祝いにと、送ったものだった。シンプルながら上質なプレゼント。
今日のデートのために、彼女が大切にヘルシンキから着けてきたことに気づいたのだろう、ダンの目元が、少しだけ愛おしそうに緩んだ。
「当たり前よ。ダンが遠くに行くな、って意味で送ってきたんじゃなくって?」
「まあ、否定はしないよ。美術に関しては門外漢だけど、お前がいつかオランダに来たらここへ連れてこようって、ずっと考えていたから」
不意打ちの素直な言葉に、ヘルミは心臓が跳ねるのを感じた。
前回のヘルシンキ。せっかくの帰省でふたりで歩いたのに、手繋ぎ未遂。
(遠くには、行かないでよ)
心の声が、美術館に満ちる名画の光の中に溶けていく。
美術館の外へ出ると、ミュージアム広場には明るい夕暮れの光が広がっていた。風は冷たくもどこか優しく、これからの季節を予感させる。
「あ、イースターのマーケット」
広場に並ぶカラフルな屋台を見つけて、ヘルミが小さく声を上げる。
その時、ダンがふと足を止め、自分のウインドブレーカーの大きな右ポケットを少し広げて見せた。
「ほら」
「え?」
「手、入れとけ。オランダの春は、油断するとまだ冷えるから」
またヘルシンキの時みたいに、ぐずぐずして終わるのは嫌だった。
意を決して、彼の広げたポケットの中へ、少し震える右手を滑り込ませた。
「っ……」
ポケットの奥で、ヘルミの手は、迷いなく伸びてきた彼の大きな手にカチリと捕まった。
アスリートの、固くて、もの凄く温かい手のひら。
ヘルシンキの時はあんなにぎこちなかったのに、今回は驚くほどスマートに、彼女の指先をぎゅっと握りしめて離さなかった。ポケットの中で、2人の体温がひとつに混ざり合っていく。
ダンが少し照れくさそうに視線を前に戻しながら、穏やかな声で呟いた。
「アムステルダムまで会いに来てくれてひたすら嬉しいよ」
ポケットの中で繋がった手に、ぎゅっと少しだけ力がこもる。
運河の角、テラス席にランプが灯り始めたカフェへと、2人は引き寄せられるように入っていった。窓の向こうの空は、これから夏に向かっていく、明るくて長い夜の始まりを告げている。
「これからは、もっと近くに来いよ」
注文したハーブティーの湯気の向こうで、気品は残しながら誰よりも真っ直ぐな情熱を携えた先輩が、今度は逃げずに碧い瞳をじっと見つめていた。
これまでに強い印象を受けたのは、レンブラント「夜警」、青木繁「海の幸」。
あとカード1枚しかない笑




