第12話「牢獄の対話」
光の届かない暗く湿った地下空間。
壁に取り付けられた松明の炎が頼りなく揺れ、濡れた石壁に不気味な影を踊らせている。
空気はひどく淀んでおり、鉄錆と血の匂いが混ざり合った、死を予感させる悪臭が鼻をつく。
アルスは護衛の兵士たちを牢獄の外に待機させ、単身で最深部の特別牢へと足を踏み入れた。
太い鉄格子に囲まれた冷たい石の床の上で、レオンは両手首を重厚な鎖に繋がれたまま座り込んでいた。
金色の髪は泥と血にまみれ、若々しかった顔にはひどい疲労の色が濃く刻まれている。
だが、近づくアルスの足音を聞きつけると、その青い瞳には再び激しい憎悪の炎が燃え上がった。
「……何をしに来た、悪魔め」
ひび割れた唇から、呪詛のような声が漏れる。
アルスは鉄格子の前に立ち、無表情のままかつての弟子を見下ろした。
胸の奥で、千の針に刺されるような痛みが走る。
この手で育て上げた純粋な騎士を、このような惨めな場所に繋いでおかなければならない現実が、アルスの心を削り取っていく。
だが、ここで正体を明かすわけにはいかない。
セスの監視の目がどこにあるかわからない以上、ほんのわずかな隙がレオンの命を奪う結果に直結する。
「ルミナの残党を帝都に引き入れた手引き者の名を吐け。そうすれば、苦しまずに首を落としてやる」
アルスは冷徹な宰相としての声色を完璧に模倣し、静かに告げた。
レオンは血の混じった唾を石の床に吐き捨てる。
「ふざけるな。お前のような血も涙もない怪物に、教えることなど何一つない。お前たちのせいで、どれだけの無辜の民が死んだと思っている。どれほどの誇り高き騎士たちが、泥の中で無念の死を遂げたと思っている。アルス様はお前のような悪魔から国を守るために、最後まで剣を振り続けて死んだのだ。あの人の誇りを、これ以上踏みにじらせるものか」
レオンの叫びが、地下牢の石壁にこだまする。
自分の名前が、レオンの口から悲痛な叫びとして発せられた。
アルスの心臓が、見えない万力で締め付けられる。
己の死が、残された者たちにどれほどの深い絶望と怒りを植え付けたのか。
かつての教え子から直接突きつけられたその事実は、どんな鋭利な刃よりも深くアルスの魂を切り裂いた。
真実を口に出してしまいたい衝動を、アルスは奥歯を噛み砕くほどの力で抑え込む。
「アルス、だと。あの辺境の小国で、無様に泥水をすすって死んだ騎士のことか。あのような三流の剣術しか使えぬ男に、誇りなどという大層なものがあったとはな」
自らへの最大の侮辱を、わざと嘲笑を交えて口にする。
レオンの顔が怒りで朱に染まり、鎖を激しく鳴らして鉄格子へと身を乗り出した。
「アルス様を愚弄するな。あの人の剣は、誰よりも気高く、誰よりも強かった」
「気高い剣、か。笑わせる」
アルスは鉄格子に一歩近づき、声を極端に潜めた。
周囲の反響を利用し、外にいる兵士たちには聞こえない音量で、レオンにだけ届くように言葉を紡ぐ。
「ルミナの騎士は、右下段からの突きにこだわりすぎる。だから死ぬのだ。あの剣技は、踏み込む際の左足の動きが致命的に遅い。あれでは、帝国軍の重装歩兵の盾を抜く前に、脇腹をすくわれる」
レオンの動きが、唐突に停止した。
怒りに燃えていた青い瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれる。
それは、生前のアルスが、稽古の際にレオンに対して幾度となく指摘していた、彼だけの致命的な癖だった。
他国の、しかも魔法しか使わない帝国の宰相が、一介の騎士の太刀筋の欠点をここまで正確に指摘できるはずがない。
「三日後の深夜、この牢の看守は第三部隊から第五部隊へと交代する。第五部隊の巡回は隙が多い。北側の通気口の鉄格子は、熱を加えれば容易に歪む仕様になっている。あの突きを活かすなら、踏み込みの歩幅を半歩縮めろ。そうすれば、次の時代まで生き延びられるかもしれないな」
アルスはまるで独り言のように淡々と事実だけを並べ立て、鉄格子の隙間から小型の魔力バーナーと予備の鍵の束を、音を立てずにレオンの足元へと落とした。
レオンは足元に転がった道具と、立ち去ろうとするアルスの背中を、混乱と驚愕の入り混じった表情で見つめていた。
何も答えず、アルスは冷たい地下牢を後にする。
外に出ると、冷たい雨がまだ降り続いていた。
己の正体を明かせないまま、最も大切な教え子から憎悪の視線を向けられ続ける孤独。
雨粒がアルスの頬を伝い落ちるが、それが雨水なのか、それとも流すことを許されない涙なのか、アルス自身にもわからなかった。




