第十二話 封を切れなかった手紙
グレースからの手紙が届いたのは、いつものように、乾いた事務的な文面で始まっていた。だが最後の一文を読んだ瞬間、僕は椅子から立ち上がっていた。
『旦那様が、近く御結婚なさるとのことです。お相手は、屋敷の家庭教師とのこと』
結婚。その文字を、僕は何度も読み返した。ロチェスターが、結婚する。
最初に湧いたのは、単純な驚きだった。あの男が、また誰かを娶るのか、と。だがすぐに、もっと重く、もっと冷たい感情が、腹の底から込み上げてきた。
バーサは、どうなる。
彼は、まだ結婚しているのだ。僕の妹と。屋根裏に閉じ込められた、あの妻と。法律上、彼に新しい結婚など、できるはずがない。
だが同時に、僕は理解していた。ロチェスターという男は、法律や道徳を、都合よく踏み越えることのできる人間だということを。そして、この結婚が、密かに、誰にも知られぬまま進められようとしているのだということも。
僕は、あの家庭教師——ジェーン・エアという女性の顔を思い浮かべようとした。だが会ったこともない相手の顔など、思い浮かぶはずもなかった。ただ、彼女がこれから足を踏み入れようとしている闇の深さだけが、はっきりと想像できた。
彼女は知らないのだ。夫となる男に、すでに妻がいることを。その妻が、屋根裏で、何年も声を殺して生きてきたことを。
僕はグレースへの返事を書こうとした。だが何度もペンを取り、何度も止めた。何を書けばいい。「結婚を止めろ」と? だが僕にそんな資格があるのか。妹を差し出したのは、他ならぬ僕自身なのに。
ふと、去年届いた別の手紙のことを思い出した。バーサの様子を尋ねた僕に、グレースはこう書いていた。
『奥様は、時折、階下の話し声に耳を澄ませていらっしゃるようです。特に、家庭教師の方の声を』
あのとき、僕はその一文を、深く考えずに読み流してしまった。だが今、あらためて思い返すと、それは恐ろしい意味を持って迫ってきた。バーサは、知っていたのだ。あの家庭教師の存在を。そしておそらく、彼女が夫にとってどんな存在になりつつあるのかも。
妹は、屋根裏の暗闇の中で、何を思っていたのだろう。あの女性を、憎んでいたのだろうか。それとも——かつての自分を、重ねていたのだろうか。
僕はもう、これ以上逃げていられないと悟った。
結婚式の日取りを、グレースへの返信で尋ねた。三週間後だという返事が届いた。三週間。決断するには、あまりにも短い時間だった。だが同時に、これ以上先延ばしにする言い訳も、もう残されていなかった。
僕は、旅行鞄に荷物を詰めた。何年もかけて避け続けてきたイングランドへの帰還を、ついに決めた瞬間だった。
鞄の底に、僕は一枚の古い書類を忍ばせた。バーサとロチェスターの結婚証明書の写しだった。何年も前、父の死後の財産整理の際に、僕が保管しておいたものだ。まさかこれを、こんな形で使うことになるとは、あの頃の僕には想像もできなかった。
船に乗り込む前夜、僕はグレースに最後の手紙を書いた。
『結婚式に、僕も向かう。バーサのために、そして、あの家庭教師のために』
自分でも、その言葉に少し驚いた。バーサのため、というのは分かる。だがなぜ、会ったこともないジェーン・エアという女性のためにも、僕は動こうとしているのだろう。
おそらく、答えは単純だった。かつて僕は、一人の女性が、真実を知らされないまま、運命の中に引きずり込まれていくのを、黙って見過ごした。同じ過ちを、二度は繰り返したくなかったのだ。
船が港を出るとき、僕は甲板から、遠ざかる陸地を見つめていた。何年もかけて逃げ続けてきた場所へ、今、自ら向かっている。その皮肉に、僕は乾いた笑いを漏らした。
「バーサ、待っていてくれ」
風に向かって、僕はそう呟いた。今度こそ、逃げない。今度こそ、妹のために、そして、まだ何も知らないあの女性のために、僕は声を上げる。
イングランドの灰色の空が、水平線の向こうに見えてきた。




