106 二代目【変態】のルーツ
『分離脳』という言葉がある。
右脳左脳をつなぐ脳梁を切断することで分離脳にすることができ、重度のてんかん患者を助けるために行われてきた手術だ。
脳からの異常な電気信号を抑制するために行うものだが、それとは別に面白い作用を起こすのが分離脳である。
簡単に言えば、右脳と左脳が独立して動作する。
通常は脳梁で繋がっている二つが、分断されることで全く別の働きを見せるのだ。
右脳は想像力や直感を、左脳は論理的思考や計算を行い互いに独立する。
有名な実験に左目だけで見たものを言語化できなかった、というのがある。これは、左目が論理的思考ができない右脳と繋がっているせいで、見たものを言語化できなかったのだ。
逆に、論理的思考の可能な左脳と繋がる右目で見たものは言語化できたという。
この特性に目を付けた一人のサイコパスがいた。
彼女は自身の能力を使い脳をむき出しにした後、セルフ手術で脳梁を切断。そして右脳と左脳を別の場所に移した。
論理的思考を行う左脳は自分の体に。
そして、想像力や直感を司る右脳は――自分の子供、いや胎児に移植した。
【変態】の称号の力により、体の一部という扱いを受けた胎児は母体からの右脳を無理やり胸部に埋め込まれる。
そして左脳の持ち主、つまり【倉田 美紀】が死んだと同時に【変態】の称号はその子供に受け継がれた。
生存本能に駆られた右脳は、子供の左脳に寄生するような形で癒着し論理的思考を得た。
これが私、【凛】という人間のルーツだ。
私を産んだ母は、まるでおもちゃを弄ぶかのように私の体を改造した。戦闘を効率的に行えるように骨格を変え、射精と妊娠が両方できるように内臓を調整され、最後に精神的にも反抗させないように殺人まで行わせた。
無理やり私の神経回路に侵入し体を操作。私に見えるように殺人を行うことで心を壊し、最終的には自分がこの体の宿主になるつもりなのだ。
美紀『私が新しく生まれる瞬間だからさ。せっかくだしピエロの近くで殺ろうよ!』
などと訳の分からないことをほざきながら母は私をこんなところに連れてきた。そして、体で誘惑し無理やり呼び出した中年を殺そうとした辺りで異変が起こった。
まあ、異変というほどでもない。ただ、私が抵抗しただけだ。色々と人に言えないことはやってきたが、殺人まで黙って見ていられるわけではない。
だが、抵抗もむなしく結局私は体の主導権を奪われ、ただ見ていることしかできなくなった。
ついさっきまでは。
渚「正直、むかつくんだよね。なんで、誰かが勝手に決めた尺度でボクの限界を決めつけるのか。ボクの限界はボクが決める」
考えたこともなかった。私の体のことは、母が誰よりも分かっている。だから、これが限界で上限でピークだと信じて疑わなかった。
渚「……じゃあ、所詮血の繋がっただけの他人だってことを今から証明してあげよう」
でも、もしかしたら違うのかもしれない。
親だから、血がつながってるから、ずっと見られてきたから――そんな理由で自分の限界は客観的に分かるわけじゃないのかもしれない。
だって目の前には、親の期待と予想を裏切った幼い子供が立っているから。
美紀「頑張って、ね」
美紀は足に筋肉を集中させ、跳ねるように渚に飛び掛かった。
そして腕を刃物に変形させ、その凶刃を渚の首元におしつける。だが、私は見ていた。
彼女がまったく動揺せずに攻撃を目で追っていることを。
そして、少し体をひねり攻撃を腕で受けた。幼い右腕に鮮血が走る。
渚「……うッ」
苦悶の表情を浮かべるが、渚はためらわずに懐に飛び込んだ。そして鉄パイプを胸に向けて振り上げる。
美紀「だ~め。女の子がそんな危ないもの振り回しちゃいけないよ」
だが、渚の決死の攻撃をあざ笑うかのように、美紀は腹から生やした腕を器用に操って鉄パイプを奪った。
美紀「まあ、殺すのが中年か幼女の違いか。ばいば~い」
渚の腕に刺さった刃物に力を込め、そのまま肺を切り裂こうとする。
美紀「……動かない。邪魔しないでよ凛」
私は咄嗟に母の動きを止めていた。
凛「邪魔してるのはそっち。だってまだ、この子の目は死んでない」
美紀「武器もないのにどうや――」
美紀が言い終わらないうちに、渚は大きく口を開けた。
渚「人類最古の武器を教えてあげよう。牙だ!」
牙というにはあまりにも小さい、まだ生え変わってすらいない乳歯を見せながら渚は美紀の胸にかぶりついた。
美紀「……このガキ! 君に飲ませる母乳はないんだけど」
凛「私にも飲ませてくれなかったよね」
言いながら私は渾身の力を振り絞って母の右脳を移動させる。
美紀「凛! なにをしてるの」
凛「別に、ただ体内の異物を除去してるだけです」
運よく渚が嚙みついた場所には母の神経系が密集している場所だったようだ。普通なら体の主導権を奪えなかったが、今ならできる。
渚による外部からの攻撃と私の謀反、同時に降りかかったダブルワークに母は一瞬体を硬直させる。
その隙を見逃さずに渚は母の肉を嚙みちぎった。
子供が噛んだ傷跡だ、さして大きな穴ではない。
だが、私にとってそれは未来へ続く立派な突破口だ。
体内にある幾つかの内臓をめちゃくちゃに動かし波を作る。
生に飢えた母は案の定、体内の制御に力を分散させる。その隙に私は右脳を胸の穴から排出したのだった。
美紀「……あれ?」
母は右脳だけになっても自我を確立していた。もはや、人体の限界を超えた彼女は脳だけになっても口を作り空気を振動させる。
渚「…………キモい……」
さすがの渚も血を流しすぎたのかその場に倒れ込む。まだ右肩からは血が流れている。
凛「……ようやく、初めて対面しますね」
体液と共に排出された右脳を相手に、私は口を開く。
美紀「ねぇ凛? 私達家族でしょ? お願い、今すぐ私をあなたの中に戻して。もう改心したから、次はちゃんとあなたの意志を尊重する。だから、ね?」
右脳のみになっても、母はまだ生を諦めない。
凛「ずっと……あなたが嫌いでした。生まれた時から勝手に私の中に住み着いてきて、体を奪って、犯罪まがいのことも」
とてもじゃないが、これらの過去を許すことはできない。
凛「でも、少しだけ嬉しくて頼もしくもありました。だって、ずっと近くにいてくれたから」
私は、生まれた時から孤児だった。だから物心つくころから同じような境遇の子たちと暮らしてて、彼らはずっと親を探してた。
でも、私はずっと一緒だった。
寝てる時も、遊んでる時もずっと。それが少しだけ、嬉しかった。
美紀「そっか、じゃあ父親のことも知りたくない? 凛のパパはね私の同級生なの。名前とか知りたかったら、私を中に入れて!」
美紀の右脳は徐々に萎んでいく。新鮮な血液が回ってないのだろう。
凛「それに、あなたの生物に対する探究心も尊敬してた。寝ても覚めても、新しい生物の可能性を模索してましたし、その研究の集大成が今のあなたの姿なんでしょうね」
美紀「待っ……て。早く……中に……………助けて」
凛「人としても親としてもあなたは最低です。でも、生物の探究者としてずっと尊敬してます。あなたのもとに生まれて本当に運がよかった」
大きく礼をしてから私は右脳めがけて足を振り下ろす。
刹那、足に感触が伝わる前に母の声が聞こえた。
美紀「――なんだ結局、凜もこっち側だったってことね。…………うれしいよ」
無残に飛び散ったタンパク質になったことで、本当の意味で【倉田 美紀】は死んだのだった。




