赤い薔薇は憂鬱に咲く 24
結論だけ言うと、父様はエジェリーのことを気に入ってくれたんだと思う。
ニコニコと和やかに顔を合わせている。エジェリーの方は少し緊張してた。
「僕たちはまだ若すぎるから結婚は早いけど、いずれは……って、僕は思ってるんだ」
それが僕の正直な気持ちだった。
いや、その前にしなくちゃいけないことが山積みなのはわかってるんだけど、それでもね。もたもたしてたらエジェリーを取られてしまいそうで怖いんだ。
エジェリーは照れて頬を染めてる。
父様はなるほどねと言いながらも、僕にちょっとだけ厳しい顔をした。
「アンリ、女性を幸せにすることはとても難しいことなんだよ。中途半端な気持ちでできると思っちゃいけない。そのことだけは君自身と彼女のために覚悟しておくんだよ」
「はい」
父様はいつも母様をすごく大切にしてる。僕も父様をお手本に、そうありたいと思う。
母様は父様に寄り添ってうふふと笑ってた。はいはい。
僕たちの話が終わると、今度はクロードが待ってた。父様がなんて言うのか僕にはわからないけど、王子がご所望とあらば断れないのかな。ルミア、大丈夫かなぁ。
僕はここに残るべきかと思ったけど、お前はいなくていい、とクロードに追い払われた。僕はエジェリーを連れて自分の部屋に行く。ルミアはいなかった。クロードの話の当事者だからここにいる場合じゃないか。
物珍しそうに僕の部屋を眺めているエジェリーに僕はソファーを勧めた。
「初めてここに来た日は、そりゃあもうフリフリひらひらの可愛い部屋だったんだ。養女にする女の子のための部屋だったからね」
そう苦笑して僕はエジェリーの隣に腰を下ろした。エジェリーはクスクスと可憐に笑う。
「女の子と間違って引き取られたって本当なんですね」
「そうだよ。母様の悪ふざけのおかげでルイにひと目惚れされるし」
でも、とエジェリーはつぶやく。
「先にアンリエッタ様と出会っていたからこそ、私はアンリ様と出会った時にすごく気になってしまったんだと思います」
「へ?」
「アンリエッタ様のことを、こんなに綺麗な方は二人といないと思っていたのに、そっくりな男性が目の前に現れたんですもの。それは衝撃的でした」
ああ、そうなんだ……。
じゃあ女装もまったく無駄ではなかったのかな。
「僕より綺麗な人なら目の前にいるけどね」
正直に心から思うことを述べたけど、エジェリーはまたまた、とでも言いたげな目をして流した。
いや、本気なんだけど?
一瞬だけ、二人の間に沈黙があった。そうして視線が絡む。僕たちはお互いに二人きりだってことを今から意識し始めたのかも知れない。
「ねえ、エジェリー。僕は実の親に捨てられたような孤児で、周囲を欺いて生きて来た人間だ。これから必死でがんばるけど、本当に僕でいい? 僕を選んで後悔しない?」
彼女の返答が予測できる。できるから訊ねる。僕はずるい。
わかってるよ。それでも答えが聞きたいんだ。
すると、エジェリーは僕が予想したような答えを口にしなかった。にこりと笑おうとして失敗したような表情になる。
「エジェリー?」
その複雑な表情の理由が僕には理解できなかった。不安になったのは僕の方だ。
「アンリ様こそ、私でよろしいのですか?」
「え?」
質問返しに僕は戸惑った。
「もちろんだよ。なんで?」
なんでエジェリーはそんなことを訊くんだ?
そんな僕の困惑に、エジェリーは本気で泣き出しそうだった。ちょっとうつむいてポツリと言う。
「私、言えずにいたことがあるんです」
ギク。
実は男なんですとかいうオチだけはどうかありませんように!
この時、僕は産まれて初めて神様に真剣に祈ったかも知れない。
エジェリーの手をギュッと握ると、少しだけ緊張が解けたのか、エジェリーは語り出した。
「その――乗馬が好きというのはご存知だと思いますが、落馬したりで、見えないところには傷とかあるんです。そんな私で後悔されませんか?」
ああ、社交界デビューが遅れたのも落馬したからだったね。
今度は僕が笑った。
泣きそうな顔をして言うことが、そんなことかと。
「見えないところに傷が?」
「はい……」
「じゃあその傷を見るのは僕の特権でいい?」
「っ!」
エジェリーが耳まで赤くなった。僕はエジェリーの金髪を掻き上げるようにして首筋に指を差し込むと、柔らかな唇を味わうようにしてキスをした。クロードのヤツと同じ場所で同じことしてると思い出されて、それを脳内で振り払う。
ほんのり薔薇色に染まった首筋にも軽く唇を落とすとエジェリーはすごくびっくりしてた。
傷なんて気にならない。傷にもキスをして、大好きだって伝えてあげる。
僕がエジェリーにすることのひとつひとつに彼女が恥らうから、何か僕が苛めてるみたいな気持ちになる。でも、不思議なことに、それがすごく胸を躍らせる感覚がする。僕もクロードのこと言えないくらい性格が悪いんだ、きっと。
さて、僕はひと月屋敷にこもった。そうして、アンリエッタからアンリへ戻る。
社交界デビューのやり直しだ。
どこの馬の骨とも知れない男と駆け落ちしたアンリエッタの代わりに引き取られた兄のアンリ。どう育とうとやっぱり産まれの卑しい方は違いますわね、なんて誹謗中傷の中にぽつりだ。まあ風当たりは強いだろうと予測してたけど。
僕は一ヶ月で社交界マナーを叩き込んだっていう設定。
一ヶ月な。適当に粗野な部分も出しておくべきなのかとも思ったけど、やっぱり止めた。できる限り背筋を伸ばし、まっすぐに前を向く。結局髪はまだ切ってないからひとつにリボンでまとめてる。その方が貴族っぽいってクロードが言ったから。
えっと、クロードはひと月、うちに来てはそれはそれはしつこく――コホン、情熱的にルミアを口説いてた。ルミアは仕事中ですとすげなくあしらってはいたものの、無視するとすぐに手が伸びて来ることを悟り、適度に返事をしていた。そんなやり取りをもクロードは楽しんでいるように思う。あれはきっと時間の問題だ……。僕の有能な侍女の後釜をそのうち探さなくちゃいけないんだろうか。
ヒソヒソヒソ、リュシエンヌたちの僕を見る目は大層厳しかった。ジョゼたちはボスを失ってちょっと肩身が狭くなった。うん、ごめん。
そんなジョゼたちを気遣ってくれたのはエジェリーだった。優しく話しかけて笑顔を向ける。ジョゼたちは僕の取り巻きをしていた頃よりも優しく笑った。
「あなた、アンリエッタさんの代わりに引き取られたのですってね。アンリエッタさんは恩義のある公爵家に泥を塗ったのですわ。兄ということはその顔を見れば誰でもわかりましてよ。よくもまあ平気な顔をしてここに来られますわね」
リュシエンヌはアンリエッタに酷似した僕の顔を見るとイライラするんだろうな。扇を忙しなくパタパタしながら言った。リュシエンヌの背後の取り巻きたちは僕に好奇の目を向けてる。……大丈夫、正体がバレてるんじゃない。興味があるだけ。
僕はアンリエッタの時にはしたこともないような好意的な笑顔を浮かべて見た。
「そうだね。アンリエッタが迷惑をかけた分、僕が取り戻して行けるようにがんばるよ」
自分の顔がこういう時有利に働くことくらい、僕はわかってる。同性であった時は疎ましかったとしても、僕はもう異性だから。リュシエンヌも一瞬僕の顔に見とれたことを隠すようにして、フン、とそっぽを向いて去った。取り巻きたちは何度も僕の方を振り返るから、僕は笑顔を貼りつけておいた。
僕はそれから父様母様に連れられて国の要人たちにひと通り挨拶をした。ほんとはハジメマシテでもないんだけど。みんな最初はやっぱり胡散臭そうで父様のことを正気かって疑ってるくらいだった。
でも、父様は役者だった。
あの子の気持ちを酌んであげられなかった自分が悪いんだ、アンリを引き取ったのはアンリエッタへのせめてもの罪滅ぼし、どこかで幸せに暮らしていると願うばかりだって。ヨヨヨ、と泣き真似までする。
もともと人格者で通ってる父様だから、みんな疑わないしむしろ可哀想って目をしてた。
隣の母様がゲラゲラ笑い出さないかだけが僕は気がかりだった。
それから、ルイなんだけど面白いことになった。いや、面白いとか言っちゃ駄目か?
婚約者をあてがわれたんだ。それが、現在十歳。隣国の姫君だ。一度だけ僕も会ったんだけど、そりゃあもう、ちまっとして純粋で可愛らしい姫だった。素直にルイを慕ってる。あんまりにも素直だからルイも邪険にはできないらしく、とりあえず困った顔で接してる。
彼女が一人前の淑女になる頃にはルイももうちょっとシャンとしてるだろ。丁度いい期間だ。
婚約者が決まったせいか、クロードが王位には興味がないとあからさまに示すせいか、ぼちぼちルイの立太子の儀も執り行われるとかなんとか。
まあ、なんとか方々が丸く収まりそうだ。
僕はホールに流れる音楽に逆らわないように自然に、ロランよりも素早くエジェリーにダンスを申し込んだ。エジェリーはすぐに微笑んで僕の手を取らなかった。ちょっと考え込むような難しい顔をしてから手を重ねたんだ。……なんで?
ワルツが始まって体を寄せ合うと、エジェリーはぽつりとつぶやいた。今日のライラックのドレスもすごく似合う。
「他のお嬢様方に愛想よく微笑まれるのってどうなのでしょう……」
「え?」
「私、不安になります。他の方がアンリ様に夢中になったらどうしたらいいのか」
そんな可愛いこと言ってくれる。僕は嬉しくて顔が緩んだ。
「僕の気持ち、わかった?」
「ど、どういうことですか?」
「君が誰か他の男と踊るたび、僕もそういう気持ちになってたから」
エジェリーは、複雑な面持ちでうつむく。僕はそんな彼女の耳もとで言ったんだ。
「まあいいや。僕はずっとこうして君と踊りたかった。やっとその夢が叶ったんだからね」
■
社交界の中に咲き誇った赤い薔薇。
その散り際も鮮やかに、人々の前から姿を消した。
けれど赤いドレスを忌避する令嬢たちの多いこと。
人々の脳裏にはそれだけ鮮やかに、赤は彼女の色と印象づいたのだった。
今後、真っ赤なドレスを着て社交界デビューを果たす娘が現れたとするなら、それはもしかすると――?
【FIN】
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!




