↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春を届ける船  作者: みやしー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/5

壊す順番


 氷は、白い板ではなかった。


 近くで見ると、幾つもの層に割れている。


 重なったもの。端だけ浮いたもの。海水の中へ沈み、色が青くなったもの。


 作業艇の脇を、小さな塊が擦っていく。


 船の上から見た海より、ずっと狭かった。


「右、半分だ」


 バルが言った。


 セトは右の櫂を浅く入れた。


「引くな。押して離せ」


 言われた通りにする。


 櫂の先が氷へ当たり、腕に硬い振動が返ってくる。


 イオは舳先に座り、緑の灯を低く掲げていた。


 灯の近くでは、氷の表面から細い水が走る。


 けれど、大きな塊が消えるわけではない。


「もっと強くできないんですか」


 セトが尋ねると、イオは首を振った。


「強くしすぎると、動く氷が増えるだけ。道ができるとは限らないよ」


 灯の瓶の中には、小さな金色の欠片があった。


 昨日見せてもらった、春のカケラだった。


「残りはあとに取っておこう。人を運ぶとき、手が動かなくなる方が困るからね」


 セトは櫂の柄を握り直した。


     *


 観測所の窓に、人影が見えた。


 一人が腕を振った。


 バルが片手を上げる。


 艇は岩の南へ回り、小さな桟橋へ近づいた。


 桟橋は、半分沈んでいた。


 脚の一本が傾き、上の板も波に合わせて動いている。


「そこはダメだ!」


 上から声がした。


「端が抜けるぞ!」


 セトは板の色を見た。


 濡れて黒いだけではない。


 木の繊維が、縁で裂けていた。


「あの柱なら」


 セトは奥を指した。


「根元はまだ立ってます。縄を掛けるならあっちです」


 バルが見た。


 一度、艇を離す。


 回り込んで、柱へ縄をかけた。


 上にいた若者が受け取り結ぶ。


「動けるか?」


 バルが叫んだ。


「一人、足をやってる」


「分かった。先にそいつからだ」


     *


 三人いた。


 ラナの兄のニル。


 観測所を預かる年配のロム。


 それから、手伝いのカイ。


 足を痛めていたのはロムだった。


 昨夜、氷道の割れ目を確かめようとして、倒れた板に挟まれたという。


 イオが灯を持って上がった。


 セトはそのあとへ続いた。


 板の中央を踏まず、脚の上だけを選ぶ。


 観測所の中はひどく冷えていた。


 薪は隅に残っていたが、竈の煙道が雪で塞がれ、火を使えなくなっていた。


 ロムは毛布にくるまっていた。


「手が利かんのだ」


 イオが灯を近づける。


 緑の光が毛布の端を照らした。


 しばらくして、ロムの指が動いた。


「春か」


「端だけです」


「贅沢な迎えだな」


 イオは笑わなかった。


「帰ってから、もう少し贅沢してください」


     *


 戸板を外し、ロムを載せた。


 ニルとバルが運ぶ。


 セトは前を歩き、足を置く場所を示した。


 艇へ下ろすと、船体が低く沈んだ。


 カイが乗る。


 イオが乗る。


 ニルが、観測所を振り返った。


「帳面を——」


「置け!」


 バルが言った。


「でも、一年分も——」


「命より重いものなら俺が戻ってやる! そうでないなら、乗れ!」


 ニルは歯を食いしばり、艇へ下りた。


 セトは最後に綱を解いた。


 そのとき、波が来た。


     *


 艇の舳先が持ち上がり、桟橋の下へ入り込んだ。


 板が、頭上で鳴った。


 バルが櫂を突く。


「後ろへ!」


 セトも櫂を入れた。


 動かない。


 船縁へ、桟橋の横木が掛かっていた。


 潮が上がるたび、艇が下から押しつけられる。


「荷を、後ろへ寄せろ!」


 バルの声がした。


 けれど、六人乗った艇は、思うほど傾かなかった。


 木が軋んだ。


 セトは頭上を見た。


 横木の片側に古い鉄の鎹があった。


 もう片方は脚ごと折れている。


 以前、解体場で似たものを見たことがあった。


 引っ掛かった廃材へ無理に力を掛けてはいけない。


 力の逃げる向きを先に。


「艇じゃなく、上を外します!」


 セトは言った。


 バルがこちらを見た。


「どこだ!」


「あの鎹です! 片側を抜けば、横へ落とせます!」


 セトは道具袋へ手を突っ込んだ。


 短い釘抜きがあった。


 手袋をしたままでは、うまく握れなかった。


 片方を口で引き抜く。


「波が下がってからだ!」


 バルが櫂で横木を支えた。


 艇が下がる。


 セトは立ち上がり、釘抜きを差し込んだ。


 動かない。


 もう一度。


 指が滑った。


 木の棘が、掌へ刺さる。


「下がれ、来るぞ!」


 セトはしゃがんだ。


 波が艇を押し上げた。


 頭上で、太い音がした。


 横木に、新しい裂け目が走っていた。


 次に上がれば、艇の縁が割れるかもしれない。


 セトは鎹を見た。


 片脚は、少し浮いていた。


「もう一回!」


 バルは返事をせず、櫂の角度を変えた。


 波が引く。


 セトは釘抜きを奥まで差し、両手で引いた。


 抜けた。


 横木が傾く。


「離れろ!」


 バルが櫂を押した。


 艇が、後ろへ滑った。


 次の波が来る前に、桟橋が横へ崩れた。


 水が顔へ掛かった。


 セトは座り込んだ。


 手の中に、曲がった鉄が残っていた。


     *


 帰り道には、霧が出た。


 町も、船も見えなかった。


 イオの灯は、来たときより小さくなっていた。


「左だ、ゆっくり」


 バルの声も、少し掠れている。


 セトは櫂を引いた。


 どちらへ進んでいるのか、分からなかった。


 そのとき、音がした。


 かん、かん。


 少し間を置いて、もう一度。


 ラナの鐘だった。


 バルが顔を上げる。


「聞こえたな」


「はい」


「なら、まだ漕げる」


 セトは頷いた。


 掌が痛んだ。


 それでも、今度は櫂を握る場所が分かっていた。


 霧の向こうで、鐘が鳴った。


 セトはその音へ向かって、もう一度、腕を引いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。