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春を届ける船  作者: みやしー


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3/5

冬の向こう岸


 岸へ渡ったのは、ディナとイオ、そしてセトだった。


 セトは荷物持ちとして連れていかれた。


 イオの道具箱は見た目よりずっと重かった。


 港の石段は凍っていた。


 一段ずつ足を置いていると、上から声がした。


「そこ、右へ寄ってください。左は欠けてますから」


 短い外套を着た少女が、手すりの脇に立っていた。


 年は十五、六ほどに見える。


 片手に、赤い布を巻いた棒を持っている。


「ありがとう」


 セトが言うと、少女は頷いただけだった。


 目は、沖へ向いていた。


     *


 港長の名はオルドといった。


 詰め所へ入ると、濡れた上着を脱ぐ間もなく、地図を広げた。


 ディナはその向かいへ立った。


「正式な引き取り拒否なら、理由を聞きたい」


「春が来たら、氷道が落ちちまう」


 オルドは湾の奥を指した。


 港のある岸から、対岸へ一本の線が伸びていた。


 地図では、橋のように見える。


「冬の間だけ渡れる道だ。氷が厚くなれば荷橇も通せる」


「まだ使っているのか」


「使わなければ、向こうが困るんでな」


 セトは地図を覗いた。


 対岸には、小さな集落の印があった。


 町より、ずっと奥にある。


「船はどうした?」


 ディナが尋ねた。


「渡し船は、去年の風渡りで失っちまった」


 オルドが答えた。


 春が根づくと、この湾には強い風が続く。


 小舟では対岸へ安定して通えない。かつては、幅のある屋根船が人も荷も運んでいたという。


 しかし、その船は戻らなかった。


 セトは、壁に掛けられた古い絵を見た。


 ずんぐりした船が、荷車を載せている。


 解体場で見たことのある形だった。


「次の船は」


「まだだ」


 オルドの返事は短かった。


 ディナは地図から手を離した。


「だから、冬を残すと?」


「向こうには、畑も、家も、人もいる」


「こちらにも畑があるが。春を遅らせれば、そのぶん種を播ける日が減るだろう?」


「分かっている」


 オルドの指が、机の縁を押さえた。


 セトはどちらを見ればよいか分からなくなった。


 春を渡せばいい。


 船に乗る前は、それだけの仕事だと思っていた。


     *


 詰め所を出ると、さっきの少女が待っていた。


「春、置いていくんですか?」


 ディナは足を止めた。


「まだ、決まっていない」


「開けないで…ください」


 少女は言った。


 イオがこちらを見る。


「港長の娘さん?」


 少女は頷いた。


「ラナです」


 ディナは、視線を少女の高さへ下げた。


「誰か、向こうにいるのか」


 ラナは答えなかった。


 沖を見た。


 対岸ではない。


 岬の先に、小さな白い建物が見えていた。


「あそこで、煙が上がるはずなの」


 セトは目を細めた。


 岩の上に建つ観測所だった。


「昨日の朝まで出てた。でも、今日は出てない」


「誰がいる」


「兄と、他に二人。風と氷を見る人たち」


 ディナの顔が変わった。


     *


 観測所への氷道は、昨夜割れていた。


 港から救助に出した小舟は、浮いた氷に押され舷側を傷めて戻ってきた。


 オルドは人を集めて次の方法を考えていた。


「その話を先にしてくれ」


 ディナが言うと、オルドは目を伏せた。


「春を下ろされちまったら、残った氷も保たなくなるだろう」


「だからといって、船を追い返している場合か」


 詰め所の空気が張り詰めた。


 セトは道具箱の持ち手を握っていた。


 ディナはすぐに地図へと戻った。


「潮が緩むのは」


「日没前だ。一度だけ。長くは続かん」


「岩の南へ回れば、舟を寄せられるか」


「そこは浅い。大きな船では無理だ」


「作業艇を使う」


 オルドが顔を上げた。


 ディナはイオを見た。


「灯を持て。バルに艇を出させる」


 セトは思わず口を開いた。


「俺も行きます!」


 全員がこちらを見た。


 ディナの目が、冷たくなる。


「理由は?」


「荷物を、運べます。綱も」


「それだけならほかにも船員はいる」


 セトは唇を噛んだ。


 地図の端に、観測所の桟橋が描かれている。


 古い木の足場だった。


「壊れた足場の上で働いたことがあります。腐った板も、これまでたくさん見てきました。

 どこへ体重を掛けたらまずいかは少し分かります」


 ディナは返事をせず、セトの足元を見た。


 それから、バルを呼びに走った船員へ顔を向けた。


「本人に判断させる。無理なら、置いていく」


     *


 桟橋で、バルはセトの上着を掴んだ。


「俺の指示が聞けるか」


「はい」


「人より先に荷物を拾うな。落とした物は追うな。戻れと言ったら戻れ」


「はい」


「春を見に行くんじゃないぞ」


 セトは頷いた。


 今なら、その違いが少し分かった。


 作業艇には、イオが先に乗っていた。


 手の中に、小さな灯がある。


 炎は赤くなかった。


 若い葉を透かしたような、淡い緑だった。


 ラナが、岸から声を掛けた。


「鐘、聞こえますから!」


 セトが振り向く。


「戻ってくるときこっちで鳴らします。霧が出ても聞こえますから!」


 バルが頷いた。


 艇が、岸を離れた。


 セトは櫂を握った。


 手袋の内側は、もう汗で濡れていた。


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