第2話 99.9%なら、幸せになれる?
あれから、二人は「一回だけ」のはずだった再会を、なぜか毎週のように重ねていた。
理由はいつも適当だった。
> 直哉:『PAIRがこの店を勧めてきた』
>
> 美月:『そんな店まで勧める機能あったっけ?』
>
> 直哉:『あった気がする』
>
> 美月:『絶対ない』
>
> 直哉:『じゃあ行かない?』
>
> 美月:『行く』
三秒で返信した自分に、美月自身も少し呆れた。
それでも「検証だから」と思えば、特に問題はなかった。
たぶん。
そのうち、PAIRのお節介は明らかにエスカレートしていった。
《明日のデートに向けて、十分な睡眠を推奨します》
直哉がスマホの画面を見せる。
「これ、俺に早く寝ろって言ってる?」
「遠回しに疲れた顔で来るなってことじゃない?」
「AIって結構失礼だな」
直後、美月のスマホも震えた。
《服装について迷っている場合、普段より少しだけ自信を持てる選択を推奨します》
「……余計なお世話」
「俺よりだいぶ優しいな」
「日頃の行いじゃない?」
「AIまで敵なの?」
そんな調子で迎えた四回目のデート。
場所は、なぜか公園のスワンボート乗り場だった。
「なんでスワンボート」
ペダルを漕ぎながら、美月が聞く。
「PAIRが『共同作業は親密度の上昇につながります』って」
「共同作業って、これ?」
「知らない。ただの筋トレだと思う」
直哉は真顔で漕ぎ続けていた。
額にはうっすら汗が浮かんでいる。
周囲には親子連れのボートが数艘浮かび、遠くで水鳥が羽ばたく音がした。
美月のスマホがまた震える。
《五秒間見つめ合うことで、心理的距離が縮まる可能性があります》
「スマホ、池に投げていい?」
「やめとけ。俺のにも同じの来てる」
「じゃあ二台まとめて」
二人は同時に吹き出した。
その拍子にペダルを漕ぐ足が止まり、スワンボートは平和な池の真ん中でゆっくりと回転した。
「ちょっと、どこ行ってるの」
「知らない。運命に聞け」
「雑すぎるでしょ」
帰りに、二人は駅前のファミレスへ入った。
PAIRが勧めてきたのは、夜景の見える小洒落たレストランだった。
二人とも無視した。
ドリンクバーのメロンソーダを飲みながら、直哉がぽつりと言う。
「AI、ここは勧めてこなかったな」
「夜景の見えるレストランを三回くらい推してきてたわね」
「そっちじゃなくてごめんね、PAIR」
隣のテーブルでは、子どもが「ポテトまだー!」と叫んでいる。
運命のデートという言葉からは、かなり遠い。
なのに、話は途切れなかった。
むしろ美月は、PAIRが選んだ店より、こういう場所の方が気楽だと思っていた。
ふと、直哉がストローから口を離した。
「なあ」
「ん?」
「今も書いてる? 小説」
美月の手が止まった。
◇
「……書いてない。もう十年以上」
「そっか」
直哉は少しだけ黙った。
「もったいないな」
美月は彼を見る。
「それ、昔も言った」
「ああ」
「そのあと、もっと余計なことも言った」
「『傷つくのが怖いだけじゃん』」
「それ」
直哉は顔をしかめた。
「今思い出しても、当時の自分の胸ぐら掴みたくなる」
美月は思わず噴き出した。
「高校のとき、最悪だったから。あなた」
「知ってる」
「反省してる?」
「してる」
「どのくらい?」
直哉は残り少なくなったアイスコーヒーを見つめた。
「……十一年分くらい」
「長いわね」
「それだけ反省してるってこと」
美月は少し黙った。
「でもさ」
直哉が続けた。
「今なら分かるんだよ」
「何が?」
「書いたものを誰かに見せるのって、怖いだろ」
美月は何も言わなかった。
高校生だった直哉は、そんなことを言わなかった。
才能がある。
だから出せばいい。
怖がっているだけだ。
正しいか間違っているかだけで、人の気持ちを切り分ける男だった。
「俺、あのとき、お前が怖いってことを全然考えてなかった」
直哉は苦笑した。
「正しいこと言ってるつもりだったんだよな」
「最悪」
「うん」
「本当に最悪」
「そこまで言う?」
「十一年分」
直哉が笑った。
美月も、つられて笑った。
その夜。
部屋に戻った美月は、いつもならそのままベッドへ倒れ込むところを、机の前に座った。
クローゼットの奥から古いノートパソコンを引っ張り出す。
電源を入れる。
十年以上前のファイルが、いくつも残っていた。
そのうちの一つを開く。
拙い。
恥ずかしい。
今なら削除したくなる表現ばかりだった。
それでも。
画面の向こうに、十八歳だった自分がいた。
書きたくて仕方がなかった自分。
スマホが光る。
《夜更かしによる明日のパフォーマンス低下が予測されます》
美月は通知を見る。
「今日はいいの」
PAIRを閉じた。
そして、新しいファイルを作った。
白い画面にカーソルだけが点滅している。
しばらく見つめてから、
一行目を書いた。
◇
数日後。
仕事帰りに直哉と食事をしたあと、二人が店を出ると、雨が降り始めていた。
「うわ」
美月が空を見る。
さっきまで降る気配などなかったのに、雨脚はあっという間に強くなった。
「ちょっと待ってろ」
直哉が近くのコンビニへ走る。
数分後。
戻ってきた彼の手には、ビニール傘が一本だけあった。
「一本?」
「最後の一本だった」
「本当に?」
「本当に」
美月は半目で直哉を見る。
「何」
「PAIRに一本だけ買えって言われたんじゃないでしょうね」
「さすがにそこまで従わない」
「どうだか」
直哉が傘を開く。
美月は少し迷ってから、その中へ入った。
狭い歩道を二人で歩く。
人とすれ違うたび、どちらかの肩が傘の外へ出た。
「もうちょっとこっち寄れよ。濡れてる」
「そっちが寄れば?」
「そうするとお前が濡れるだろ」
「じゃあ傘が小さいのが悪い」
「傘にキレるなよ」
言い合いながら、結局二人は少しずつ傘の中心へ寄っていった。
肩が触れる。
離れる。
また触れる。
アーケードを抜け、静かな路地へ入ると、街の音が遠ざかった。
傘を叩く雨音だけがやけに大きく聞こえる。
「ねえ」
美月が言った。
「ん?」
「99.9%って、やっぱりすごいのかな」
直哉は少し考えた。
「知らない」
「夢ないわね」
「数字じゃなくてさ」
直哉は前を向いたまま言った。
「俺は今日、楽しかったけど」
美月の足が止まった。
直哉も立ち止まる。
傘が少し傾き、雨粒が美月の肩に落ちた。
直哉が気づいて、傘をこちらへ寄せる。
その分、彼の肩が濡れた。
美月はそれを見た。
「……私も」
小さく答えた。
直哉が美月を見る。
雨の音だけが、しばらく二人の間にあった。
どちらが先だったのか、美月には分からなかった。
ただ、気づいたときには、
二人はキスをしていた。
◇
翌日。
昼休みのオフィス。
コンビニのサラダと惣菜パンを机に並べ、美月は少しだけ浮かれた気分でスマホを眺めていた。
昨夜のことを思い出すたびに、口元が緩みそうになる。
それをごまかすようにPAIRを開いた。
榊直哉 99.9%
今まで何度見ても腹が立った数字だった。
今日は少し違って見えた。
なんとなく検索窓を開く。
「PAIR 99.9% 結婚」
と入力した。
いくつかの記事を眺めているうち、古いインタビューが目に留まった。
PAIRがまだ正式サービスになる前の、開発責任者へのインタビューだった。
美月は何気なく開いた。
読み進める。
そして、ある一文で指が止まった。
「この指数は、必ずしも幸福度を意味するものではありません」
「……え?」
美月はパンを持ったまま固まった。
記事には、それ以上詳しい説明はなかった。
気になって検索を続ける。
いくつかリンクを辿った先で、PAIRの技術資料を見つけた。
小さな文字が並ぶページ。
その中に、見慣れない名称があった。
<<LIFE IMPACT SCORE>>
日本語表記。
人生変動影響指数。
美月は読み進める。
PAIRが一般向けに「相性スコア」と呼んでいる数値。
その本来の意味は、
「対象人物との継続的接触によって、その人の人生に重大な変化が生じる可能性」
だった。
美月は何度も読み返した。
幸せになる確率ではない。
結婚する確率でもない。
長く一緒にいられる確率でもない。
人生が、
変わる。
ただ、それだけ。
資料にはさらに、小さく記されていた。
変化には、肯定的・否定的双方の結果を含む。
転職。
移住。
結婚。
離婚。
成功。
挫折。
そして、
重大な喪失。
昨日まで胸の奥にあった温かいものが、急に別の形へ変わった。
美月はスマホを置いた。
サラダのドレッシングが机に一滴落ちている。
それに気づくまで、しばらく時間がかかった。
その夜。
美月はPAIRのチャット欄を開いた。
> 「榊直哉と一緒になれば、私は幸せになりますか?」
数秒後。
《回答不能です》
美月の指が止まる。
> 「じゃあ、彼は私の運命の人じゃないの?」
《榊直哉氏があなたの人生に重大な変化をもたらす確率は99.9%です》
> 「それが、幸せな変化かどうかは?」
少し長い沈黙。
《予測対象外です》
美月はスマホを伏せた。
机の上では、ノートパソコンが開いたままになっている。
昨夜から書き始めた小説。
まだ数ページしかない。
画面には、さっき書いた一文が残っていた。
傷つくのが怖いからって、何もしないままでいいんだろうか。
美月はその言葉を見つめる。
昨日までなら、少し笑えたかもしれない。
今は笑えなかった。
直哉と出会ったことで、
自分の人生が変わり始めている。
そのことだけは、
もう疑いようがなかった。
けれど。
その変化の先に何があるのかを、
AIは何も教えてくれなかった。




