第1話 運命の人は、大嫌いな男でした
金曜、夜九時。
相沢美月は駅までの道を急いでいた。
ヒールの音がアスファルトに響き、コンビニの白い明かりと居酒屋から漏れる笑い声が交互に流れていく。
コートのポケットでスマホが震えた。
《PAIR:あなたの運命の相手が見つかりました》
友人に半ば押し切られて登録した恋愛AIだ。
存在すら忘れかけていた。
信号待ちで足を止め、美月は興味半分でアプリを開いた。
相性:99.9%
「……へえ」
思わず声が出た。
隣に立っていたスーツ姿の男性が、ちらりと美月を見る。
99.9%。
PAIRの広告ではよく「奇跡の相性」なんて言葉が使われていた気がする。
少しだけ期待しながら、相手の写真をタップした。
名前が表示される。
榊直哉
信号が青になった。
けれど、美月は動かなかった。
「……なんでこいつなの」
隣のスーツ姿の男性が、今度ははっきり一歩離れた。
高校時代、一番苦手だった男。
いや。
苦手なんて生ぬるい。
嫌いだった。
美月は迷わず、
《推薦を拒否する》
を押した。
《再計算中……》
三秒。
《再計算が完了しました》
榊直哉 99.9%
「は?」
もう一度押す。
《再計算中……》
三秒。
榊直哉 99.9%
「なんで」
もう一度。
三秒。
また榊直哉。
気づけば信号は再び赤になっていた。
美月は我に返り、次に青へ変わると逃げるように横断歩道を渡った。
電車に乗ってからも、もう一度だけ確認する。
やはり、
榊直哉 99.9%
「……しつこい」
小さく呟くと、向かいに座っていた小学生くらいの女の子が不思議そうに美月を見た。
美月はそっとアプリを閉じ、スマホを鞄へ突っ込んだ。
◇
帰宅。
シャワーを浴び、ソファに倒れ込んだところで、またスマホが震えた。
《榊直哉からメッセージが届きました》
PAIRには、相性スコアが99%を超えた組み合わせだけに開放される特殊なメッセージ機能がある。
美月は少し身構えながら通知を開いた。
> 『先に言っておく。俺も困ってる。』
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
そして思わず笑った。
> 『奇遇ね。私も。』
すぐに既読がつく。
> 『三回くらい再計算したけど、ずっとお前なんだけど』
美月は画面を見つめた。
自分と同じことをしている。
> 『私は四回』
少しして返ってきた。
> 『負けた』
「何の勝負よ」
今度は声に出して笑ってしまった。
続けてメッセージが届く。
> 『とりあえず一回だけ会わない? AIを黙らせるために。』
美月は三秒だけ考えた。
> 『その目的なら賛成。』
◇
土曜の昼下がり。
駅前のカフェには、エスプレッソマシンの蒸気音と、隣の席でケーキの写真を撮る女性二人組の笑い声が混じっていた。
美月は窓際の席で、アイスティーの氷をからからと鳴らしていた。
十一年ぶりに現れた直哉は、思っていたよりずっと普通だった。
高校時代の尖った雰囲気は薄れ、少しくたびれた社会人の顔をしている。
「もっと嫌な感じになってると思ってた」
席に着くなり、美月は言った。
「再会して三分でそれ言う?」
直哉は苦笑しながらメニューを開いた。
店員が水を運んでくる。
しばらく二人とも無言でメニューを眺めた。
妙に気まずい。
注文を終えると、話題は自然と高校時代へ流れていった。
「あのときは悪かった」
不意に直哉が言った。
美月はグラスを持つ手を止める。
「……覚えてたの?」
「忘れるわけないだろ。お前、泣きながら俺にノート投げたじゃん」
「泣いてない」
「泣いてた」
「泣いてない」
「目、真っ赤だったけど」
美月はストローを強く吸った。
あのノート。
高校時代、美月が誰にも見せずに書いていた小説だった。
そして直哉は、それを読んだ。
勝手に読んだわけではなかった。
それでも、あの日言われた言葉だけは今でも覚えている。
――傷つくのが怖いだけじゃん。
「……あんた、本当に嫌な高校生だったわね」
「そこは否定できない」
「今なら否定しなさいよ」
「いや、あれは普通に俺が悪い」
思いがけない答えだった。
美月は直哉を見る。
「ちゃんと反省するようになったんだ」
「十一年あれば人間も多少は成長する」
「多少ね」
「そこ強調する?」
隣の女性二人組が、ようやくケーキにフォークを入れていた。
数秒の沈黙。
やがて、どちらからともなく笑った。
◇
話は仕事や共通の知人の近況へと流れていった。
「今、建築関係の会社にいる」
直哉が言うと、美月は少し意外に思った。
「へえ。意外と地味な仕事してるのね」
「地味で悪かったな」
「悪いとは言ってない」
「言ってた」
そんなやり取りが何度も続いた。
美月はふとスマホを見た。
PAIRのアイコンが目に入る。
「これ、便利ね」
「何が?」
「今日会ったこと」
「?」
「別に会いたかったわけじゃない。PAIRの検証だから、って言える」
直哉が少し笑った。
「誰に?」
美月は一瞬黙った。
「……自分に?」
「便利な言い訳だな、AI」
言われてから、美月は自分でも少しおかしくなった。
気づけば二時間が経っていた。
カップはとっくに空になり、店員がさりげなく追加注文を聞きに来るほどだった。
店を出ると、夕方の風が少し冷たい。
二人で駅まで歩く。
十一年前なら、隣を歩くことすら考えられなかった相手だ。
「じゃあ、これでAIも満足だろ」
直哉が言った。
「そうね。二度と会わなくていいわね」
「だな」
改札の前で足を止める。
短い沈黙が落ちた。
直哉が視線を逸らしたまま言う。
「……来週も、この辺来る?」
「来ないけど」
「じゃあ俺がそっち行く」
美月は直哉を見た。
「それ、AIの検証?」
「もちろん」
「ふうん」
美月は答えなかった。
ただ、口角が少しだけ上がった。
◇
マンションに着き、鞄をソファに置いた瞬間、スマホが震えた。
《関係性が更新されました》
美月は画面を開く。
榊直哉
相性:99.9%
数字は、昨日から何一つ変わっていない。
美月はしばらく画面を見つめた。
「……最悪」
スマホを伏せる。
数秒後。
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
「……ちょっと楽しかった」
伏せたスマホの画面には、もう一度だけPAIRから通知が届いていた。
《次回の接触を推奨します》
美月はまだ、それに気づいていなかった。




