第17話 型紙という道具
お葉の実家を訪ねてから数日、千代はいつも通り、仕立ての仕事場に通う日々に戻っていた。
「千代、今日は急ぎの注文が重なっててねぇ。悪いけど、手を貸しておくれ」
おかみさんに言われ、千代は作業台に向かった。
見ると、同じ形の子供用の着物を、五着分も仕立てなければならないらしい。
近隣の商家から、まとめて頼まれた仕事だという。
「五着も、一から採寸するんですか」
「そうだよ。一人ずつ、体格が違うからねえ」
おかみさんはそう言いながら、注文主から預かった帳面を開いた。
そこには、子供たちの名前と、簡単な体格の目安が書き記されているだけだった。
「これだけだと、心もとないですね」
「まあ、大体の見当をつけて、あとは仮縫いで直すしかないさ...」
千代はその作業風景を眺めながら、ふと違和感を覚えた。
同じような形の着物を何着も作るのに、毎回一から寸法を測り直し、型紙を起こしている。
もっと効率のいいやり方があるのではないか。
「あの、提案してもいいでしょうか?」
「なんだい」
「同じ形の着物を何着も作るなら、基準になる型紙を一つ作っておいて、それを元に、体格ごとに寸法を調整する方が、早いかもしれません」
おかみさんは怪訝そうな顔をした。
「型紙、ねえ。うちじゃ、いつも勘でやってるけど...」
「勘に頼ると、どうしても人によって仕上がりにばらつきが出ますよね。基準を紙に残しておけば、誰が作業しても、同じ品質で仕上げられると思うんです」
千代は現代の洋裁で学んだ型紙の考え方を、頭の中で江戸の着物作りに置き換えながら説明した。
基本の形を厚紙で作り、寸法ごとの目盛りを書き込んでおく。
あとは、その目盛りに合わせて布を裁てば、迷うことなく作業を進められる。
「面白そうだけど、そんな都合よくいくもんかねぇ...」
作業場の隅から、古株の縫い子であるお鶴が、疑わしそうな目を向けてきた。
「こちらと、何十年もこのやり方でやってきたんだ。今更、紙切れ一枚で、そんなに変わるもんかねえ」
「お鶴さんの言うことも、もっともだよ」
おかみさんも少し迷う様子を見せた。千代は少し怯みそうになったが、諦めずに続けた。
「もちろん、これまでのやり方が間違ってるわけじゃないんです。ただ、同じ形のものをたくさん作るときだけ、型紙があると、時間の節約になるかもしれなくて...」
「試しに、一枚だけ作ってみてもいいですか?」
おかみさんは半信半疑な顔をしながらも、頷いてくれた。
千代は厚めの古紙を用意し、まず基準となる子供用の着物の型を、丁寧に描き起こしていった。
裾の長さ、袖の幅、襟の合わせ――これまでおたきや仕立て場のみんなに教わった江戸の着物の縫い方を思い出しながら、目盛りを刻んでいく。
作業を見ていたお鶴が、途中で口を挟んできた。
「その目盛り、どういう仕組みだい?」
「基準の寸法から、少しずつ大きさを変えていくときの、決まった間隔です。これがあれば、体格が違っても、迷わず調整できます」
「ふうん......」
お鶴は納得しきらない様子ながらも、千代の手元を興味深そうに見つめ続けた。
「これが、基準の型紙です。あとは、この目盛りに沿って、それぞれの子の寸法に合わせて調整すれば......」
千代は型紙を布の上に当て、目盛りに従って裁断してみせた。
いつもより明らかに早く、迷いのない手つきで、布が形になっていく。
「へえ......」
おかみさんが、感心したように声を漏らした。他の女性たちも、興味深そうに手元を覗き込んでくる。
「本当だ、これなら、迷わずに裁てるね」
「寸法を書き込んでおけば、次に同じ注文が来たときも、すぐに取り掛かれます」
千代の説明に、おかみさんは何度も頷いた。
お鶴も、渋々といった様子ながら、認めるように頷いた。
「まあ、確かに、これなら誰がやっても同じ仕上がりになりそうだね。あたしも、若い子に教える手間が省けて、悪くないかもしれない」
「お鶴さんにそう言ってもらえると、嬉しいです」
「調子に乗るんじゃないよ。ただ、悪くないと言っただけだ」
お鶴はそう言いながらも、その目には、これまでよりも柔らかい色が浮かんでいた。
「お前さん、どこでこんなこと覚えたんだい?」
「えーっと......独学が多くて......色々と、工夫しながら」
千代は言葉を濁しながらも、内心では誇らしさを感じていた。
現代の知識が、こうして江戸の仕事の役に立つ瞬間。
それは、これまでの「教わる」ことの多かった日々とは、また違う種類の喜びだった。
その日、型紙を使った仕立ては、驚くほど順調に進んだ。
五着分の着物を、いつもの半分ほどの時間で仕上げることができた。
仕上がった着物を並べてみると、どれも寸分違わぬ形に整っている。
「こりゃ、大したもんだよ、千代」
おかみさんは満足げに、仕上がった着物を並べて眺めた。
「これなら、次からも型紙を使わせてもらいます。子供用だけじゃなく、他の注文にも応用できそうだ」
「はい、ぜひ」
千代は嬉しさを噛み締めながら、型紙を丁寧に紙包みにしまった。
これからも、この仕事場で役立つように、大切に保管しておきたいと思った。
夕方、仕事を終えて長屋に戻る道すがら、千代はおたきに今日の出来事を話した。
「型紙のことかい。それは、いい思いつきだったね」
「ちょっと、現代の知識を思い出しただけです」
「げんだい...前にも言ってたけど、どういう意味なんだい?」
千代は、しまった、と口を押さえた。
おたきは首をかしげたが、それ以上は追及せず、代わりに優しく微笑んだ。
「まあいいさ。お前さんが、この町の役に立ってくれるのは、あたしも嬉しいよ」
その言葉に、千代は少し照れながら頷いた。
江戸に来てから、教わることばかりだった毎日に、少しずつ、自分から差し出せるものが増えてきている。
その実感が、千代の胸をじんわりと温めていた。
「留吉さんにも、今度、絵の型紙みたいなものがあったら、便利かもしれないって、話してみようかな」
「絵の型紙?」
「下絵の構図とか、よく使う形を、あらかじめ紙に残しておくとか。同じ考え方が使えるかもしれません」
おたきはくすりと笑った。
「お前さん、頭の中はいつも、何か作ることでいっぱいなんだねぇ」
「好きなことなので」
千代は照れくさそうに笑いながら、夕暮れの道を歩いた。
型紙という小さな工夫が、この町の暮らしに、確かな一石を投じたことを、千代は静かに実感していた。
長屋に戻ると、お春が土間の前で待っていた。
「千代ちゃん、聞いたよ! 型紙のこと、仕立て仕事場で評判になってるって!」
「え、もう広まってるの?」
「うん。お鶴さんが、隣の仕立て屋にも話したみたいで。今度、うちの店にも教えてほしいって言われてるよ」
千代は驚きながらも、じわじわと嬉しさがこみ上げてきた。
一つの工夫が、思いがけない広がりを見せている。
「私にできることなら、いつでも」
「さすが千代ちゃん」
お春はそう言って、嬉しそうに笑った。
二人は連れ立って、長屋の路地を歩いた。
その夜、布団に入りながら、千代はこれまでのことを振り返っていた。
江戸に来たばかりの頃は、ただ知識を頼りに、この町を理解しようとするばかりだった。
それが今では、自分の持っている知識や経験が、少しずつこの町の役に立ち始めている。
(教わることも、教えることも、どっちも嬉しい)
そう思いながら、千代は静かに目を閉じた。
明日もまた、この町で何かを作り、誰かの役に立てることを願いながらーー




