第九十三話 再びの地下で
亡都の足元に広がる地下空間。
地上からは最低でも三十メートルは離れたその場所に、テンドウたちの姿はあった。
「「「「…………、」」」」
あの謎の巨大怪物の脅威からはひとまず逃れられた。……だが、安堵の声を発する者は誰一人いない。
とくに人間ファミリーの顔や空気が暗く沈んでいるのは……亡都の地下に落下したのが理由ではない。
――ネゾウの死。
長く一緒に過ごしてきた大切な仲間をまた一人、失ってしまったからだ。
たとえ直接、その亡骸を確認していなくとも……ネゾウがどうなったのかくらい誰でも分かる。
あの巨大怪物の口から放たれた、おそらくはカンナギ城の上部を消し飛ばしたものと同じと思われる攻撃。
そんな破滅的な一撃を受けて生きていられる者など、この世には存在しない。
骨一つ残らず消し飛ばされたのは明らかであり、遺品も何一つとして残っていないだろう。
実際、その攻撃の余波だけでテンドウたちが落ちてきた穴は崩壊して完全に塞がってしまっている。
あと一秒でも行動が遅ければ……犠牲はネゾウだけで済まなかっただろう。
少なくとも最後に転げ落ちたテンドウ(と兜化ドンチン)は巻き込まれて命を落としていたはずだ。
「……すまない……ネゾウ……!」
そう絞り出すように声を発したのはテンドウだ。
すでにドンチンは兜から通常時に戻っている。
穴からの数メートルの落下で強打した背中の痛みを気にもせず、テンドウは唇を噛みしめながら地面に拳を叩きつける。
……病で死んだスズランの時とは違う。もちろん命を張って守ってくれたオオダケの時とも違う。
今回のネゾウに関しては、自分たちを守るためとはいえ、結果的に見捨てる形となったのだ。
「「「「…………、」」」」
そう感じているのはほかの面々も同じである。
ムウマも、ガガクも、カグラも、ヨシくんも、ヒュウガも。
またドンチンたち南瓜頭族やロッポウ、モモヒメやクロちゃんも。
気を失ったままのセイカ以外、仲間全員が厳しい表情となっていた。
「……まったく、五十年ぶりに地上に出たと思ったら……トンデモない事態が起きたな。ともあれ多くの者が助かったんだ。決して良いとは言えないが……全滅という最悪の事態だけは避けられたのは間違いない」
と、その重たく沈んだ空気の中で。
口を開いたのは白い首巻を巻いた木乃伊族のゲッコウだった。
地下生活でも顔なじみではあったこの男が偶然、地上に出ていなかったら?
テンドウたちは無謀と知りつつも、街の外まで逃げる選択肢しか取れなかったただろう。
「また大切な仲間を……失ってしまった事実は変わらない。……それでもテンドウ、お前たちはまだ生きている」
「……ああ、そうだな。もしお前がいなかったら……俺たちは成す術もなく全滅していたぞ」
そんな地下へと導いた命の恩人に、テンドウが頭を下げて感謝する。
ネゾウが犠牲になったという大きなショックを受けて、正直、まだ何も考えられる状態ではない。
ただその一方で、改めて自分たちは生き延びたという安堵感が、今になって波のように押し寄せてきていた。
「……テンドウ、メビナとの戦いの時は加わらなくて悪かった。まだあの時は……情けない話だが再び動き出す気力がなくてな」
「いや、気にしないでくれ。無理強いはできないし、それに何だかんだで地上には出られたからな」
「……すまんな、そう言ってくれるとありがたい。……だからまあ何だ、今回は手を貸せて本当によかったぞ」
言葉を交わし、テンドウとゲッコウが互いの肩をポン、と叩く。
同じ『魔道無心流』の門弟でもある二人は、ほかの仲間たちと同じように一旦、地面へと座り込んだ。
――――――…………。
そして流れる沈黙の時間。
仲間の死と自分たちの生存という、相反する負と正の感情。
それによってぐちゃぐちゃになっていた皆の心が――ほんの少しだけ落ちついてきたところで。
改めて今いる状況、テンドウとドンチン、モモヒメとクロちゃん以外は初めてとなる地下空間へと意識を向ける。
――現在、テンドウたちがいるのは『第一地下街』だ。
南エリアの路地裏にあった穴から繋がった先は、一月と少し前にテンドウが落ちた際に最初に発見した巨大空間である。
「……にしても、あの地蔵みてえな怪物は何なんだ? 俺の【種族感知】でも何も分からねえし……! よくもネゾウを――マジでプリバトヤの野郎め!」
索敵担当のムウマがしかめっ面となって言う。
これまで『車椅子の老婆』など不明種という特殊な個体はいるにはいた。
だが、不明ということすら分からない存在は初めてのことである。
「おっさんは悪い夢でも見ているのか? ぶ厚い岩盤で隔たれているのに、ヤツの魔力は地下まで届いてきているし……」
「もはや魔物っていう括りじゃない気がしてくるべな……」
姿は見えずとも分かるあまりの規格外さに、ヨシくんとヒュウガが引きつった顔でぼやく。
今も遥か頭上に感じられる巨大怪物の存在感。
さすがに不気味なドクンドクン、という鼓動の音は聞こえずとも、魔力だけは普通に地下まで伝ってきている。
巨大すぎる体躯に絶望的な魔力量、さらには全身から漏れ出ていた強烈な瘴気――。
そもそも『不死の三傑』をはじめ、生贄にされたアンデッドは千体を超えているのだ。
その総計から考えても、召喚された存在がとてつもないバケモノだということは明らかである。
……それこそ、人類を滅ぼしかねない存在と断言してもいい。
あの恐ろしい大規模発生さえも……まだマシだと思えてしまうほどに。
「あんな存在、軍の講義でも一度も聞いたことがないぞ。俺たちは何とか逃げられたけど……パンドラの皆は無事でいるのか?」
ついさっきまで一緒にいたイマタイたちを心配しつつ、テンドウは仲間たちの姿を確認する。
幸い大ケガをしている者はいない。
最後に穴から落下した衝撃こそ受けてはいるも、きちんと受け身も取っていたおかげで誰も骨は折れていないようだ。
南瓜頭族たちやクロちゃんが今もまだ怯えてしまっているくらいで、とくにモモヒメの回復魔法の出番はなさそうだ。
「……本当に、あの巨大怪物はいったい何なんだ?」
「分かっているのは召喚されたという事実だけだべ。……となれば通常、どの大陸にも生息はしていないはずだべな……」
兵士として多くの魔物と戦い、一般人よりも知識はあるテンドウとヒュウガ。
その二人が頭をフル回転させるも……どの種族、どの変異種を思い浮かべても該当しそうな魔物は存在せず。
また残念ながら、この場には首謀者であるプリバトヤ本人はいないのだ。
ゆえに聞き出すこともできず、やはり誰もその答えを知らない、知るはずがない。
――そう思っていたら。
「……ありゃおそらく阿修羅地蔵だな。この世界には本来、存在しない――混沌の世界の王だ」
元魔法陣の設計士であるゲッコウが一人、頷きながらそう言った。
◆
「え? あ、阿修羅地蔵……だと?」
「ああ、おそらく……いやほぼ間違いないか。召喚魔法は魔法陣の一種でもあるからな。遥か昔のまだ人間だった時代に、古い文献で読んだことがあるぞ」
どうやら一人だけ巨大怪物のことを知っていたらしいゲッコウ。
阿修羅地蔵という聞いたこともない名を口にした彼は、地下の天井を見上げて地上から届いてくる禍々しい魔力を感じつつ、また大きく一回頷いた。
――そのゲッコウいわく、
歴史上で一度だけ、詳細な時期までは不明だが、千年近く前に同じような存在が地上に現れたらしい。
場所は深い雪に閉ざされた北の小国。……ただし、今回ほどの大きさはなかったとのことだ。
修羅の顔に地蔵のような体という姿形はそっくりでも、文献によれば十メートル程度と、サイズ面では三分の一ほどしかなかったようだ。
いわば今回、出現したのは完全体の姿――。
たしかに生贄となったアンデッドの質や量を考えれば、ある意味、当然といえば当然の結果かもしれない。
「……そ、その時はどうなったんだ? ヤマトニアみたいに滅んだのか……?」
「ああ、残念ながらな。ただ最終的には周辺国が連合を組んで、何とか撃退して混沌の世界に追い返した――と書いてあったと記憶している」
テンドウの問いにゲッコウが答える。
微かな記憶を呼び起こすように、干からびた木乃伊族の額を指でトントン、と叩く。
プリバトヤが何を目的にその怪物を召喚したのかは不明。
至ってシンプルに考えるならば、今の世界を破壊するためと考えるのが可能性は高そうだが……。
「――ただ一つだけ、確実ではないが……朗報とも言えることがある。これは文献に記述されていたわけではなく、あくまで俺個人の推測にはなるが」
そう前置きしたうえで、唯一、巨大怪物改め阿修羅地蔵のことを知るゲッコウが続ける。
「あの怪物はおそらく亡都から出られないはずだ。召喚された存在は生贄の影響を色濃く受ける――。街に囚われたアンデッドのみを生贄に捧げたせいで、ヤツもまたこの街から出られない可能性が極めて高いぞ」
そのゲッコウからの情報を一言一句、聞き逃すまいと耳を傾ける一同。
ネゾウの命を奪った憎き大いなる存在、その正体がすべてではなくとも分かったところで――ここでふとテンドウが気づいた。
話題の中心、恐ろしき阿修羅地蔵……の方ではなくて。
自分たちが今いる場所、置かれている状況についてだ。
「……ちょっと待った。あの怪物に意識を完全に奪われていたけど……。俺たち全員、もうヤマトニアから脱出できるじゃないか!?」
「「「「――――あ、」」」」
そのテンドウの声に、周りにいる人間ファミリー全員が反応した。
……まだ亡都ヤマトニアの地下にいるため外には出られていない。
だが、地下へと逃げ込めた現在の状況は……これ以上ない脱出の大チャンスなのだ。
地下への一方通行ではない、地上との行き来が可能な道が存在する『第三地下街』。
そこまで行けば亡都の外まで一気に出られることを、テンドウはすでに身をもって体験している。
――つまり、当初の作戦であった亡都の命日、年明けを待つ必要などない。
今すぐにでも亡都ヤマトニアを離れて『赫の大樹海』も越えて――国へと帰れる状況なのだ。
「「「「ッ――!」」」」
それを理解した瞬間、さっきまでの絶望はどこへやら。
地下まで届いている阿修羅地蔵の規格外な魔力を感じながらも、皆の顔色が一斉に明るくなる。
……スズランに続いてネゾウも失ってしまった。その事実は決して変わることはない。
だからもう何があろうと、残された自分たちはこれ以上誰も欠けることなく、絶対に国に帰らなければならない。
図らずもそれが実現できる状況となり――皆の体には自然と震えが生まれていた。
「…………、」
そんな中で、ただ一人だけ。
最初に気づいて発言した張本人であるテンドウだけが……なぜか何とも言えない顔をしていた。
『気が向いたラこの悲劇の街ヲ……アンデッドどもかラ解放しても構わんのウ? ほっほっホ!』
テンドウの脳裏によぎったのは、師匠オオダケの最期の言葉だ。
本人はあくまで冗談のつもりで、死の間際まで明るく振る舞ったことはテンドウも理解しているが……。
その何気ない言葉がなぜか、テンドウの心に響いて引っ掛かっていたのだ。
(いやでも、それじゃ……アレと戦うっていうのか? たとえ大国であったとしても、一つの国の軍だけではまず勝ち目がない相手なのに?)
長い亡都生活で最も恐れていた『三大ファミリー』はすでに壊滅している。
その代わりに新たに現れた阿修羅地蔵は、たった一体といえどもあまりに強大すぎる相手なのだ。
アンデッドからの解放という意味では、あとはもう南の弱小中堅ファミリーのみ。
ただ肝心の阿修羅地蔵を、過去の前例とは異なる完全体となったバケモノを退ける方法など……現時点ではまったく思い浮かばないのが現状である。
「……う……ん」
――と、テンドウが一人で考えを巡らせていた時だった。
ずっと意識を失っていたセイカが――ついに目を覚ましたようだ。




