第九十一話 魔法陣
一言で表すならば地獄絵図。
たとえこの街がこの世の地獄と呼ばれようとも、これほどの地獄は大規模発生発生当日以来なかっただろう。
亡霊騎王、死魔道姫、『暗殺怪人』ニゴマル――。
現在の『三大ファミリー』すべての頭と、『黄金弓』ジンロウタをはじめとした配下たちが殺し合う空間は……地獄以外の何ものでもない。
「…………、」
それをテンドウは固唾を飲んで見ていた。
安全圏の中立域パンドラにいるにもかかわらず、額には大粒の汗をかいている。
息が詰まるような凶悪な魔力が届いてくるたびに、自身の体力を削られているような錯覚を受けてしまう。
そんな寿命が縮まるような思いをしながらも、決して双眼鏡からは視線を外さずに――否、外せずに大抗争に見入っていた。
――決着がつく様子はまだない。
頭同士がぶつかる第一陸橋も、死魔道姫とジンロウタと腕長腐肉族の三つ巴戦も、骨人族ファミリーが合流したそれ以外の構成員たちの大混戦も。
血や断末魔こそ流れども、どこかのファミリーが押し込むという状況はまだ起きてはいない。
……やはりそこは『三大ファミリー』、百年も拮抗していた力関係だからか。
ファミリー単体で見ればどこも強大で恐ろしくとも、いざ比較してみると差は感じない。
「……おいテンドウ、そろそろ城に戻ろうぜ。さすがにアイツらの魔力を浴び続けてたら具合が悪くなっちまうぜ」
「――っと、悪い。それもそうだな。つい夢中になって見入ってしまっていたぞ」
冷や汗ダラダラな隣のムウマの声を受けて、テンドウはここでようやく双眼鏡から視線を外す。
気になっていた亡霊騎王や死魔道姫の戦いは一応、実際に見ることはできた。
おそらくもう戦うことはないと思われるが……最後に確認だけはしておきたかったのだ。
というわけで、この辺りで見学を切り上げて撤退を。
改めて頭たちの脅威を確認したテンドウたちは、パンドラを離れるべく櫓から降りようとする。
「――――へ?」
だがその直前、テンドウはある違和感を覚えた。
抗争が行われている五つの陸橋。そこより少し西側の方で――また別の凄まじい魔力が生まれていることに。
突然、現れたその魔力には凶悪さなど微塵もない。
またアンデッド特有のおどろおどろしさもなく、異形のような不自然な揺らぎもまったくない。
ただし、感じ取れる魔力の量が……一つの存在から発しているとはとても思えないほど莫大なものだったのだ。
どれほどの歴戦の強個体であったとしても、あり得ない。
たった一つで戦場全体のアンデッドたちの魔力総量に匹敵し得るなど――そんなバカげた存在などいるはずがない。
「……おい、ちょっと待ちやがれ。しかもこの魔力はまさか……!?」
ムウマも謎の巨大な魔力に反応し、その目が大きく見開かれる。
異常な魔力量もそうだが、度肝を抜かれたのはその魔力が誰のものかということだ。
魔力にはわずかながら個性がある。
『怨嗟』や『怒声』や『啜り泣き』などの声を伴う『三大ファミリー』の頭や幹部は例外として、人間でも魔物でもほんの少しの個体差があるのだ。
だからこそ、もし個人を特定できるとすれば――長く一緒に過ごしてきた者だけである。
「せ、セイカ!? 何でここにアイツの魔力が……! というかこの尋常じゃない魔力量はどうなっているんだよ!?」
声が裏返ってしまうほどに驚かされたテンドウが叫ぶ。
なぜか戦場近くで仲間の魔力を感じ取り、慌ててまた双眼鏡で北西の方角を確認してみると、
――そこにセイカの姿はなし。
意味不明な魔力量はともかくとして、たしかにセイカの魔力が存在している中心にいたのは――長い金髪のローブの男だ。
「プリバトヤ!? 何でアイツが……!?」
何らかの理由でセイカがいるのだと思ったら、代わりにいたのは異形発生の元凶である『穢れ魔道士』。
その姿を確認してすぐ、テンドウはプリバトヤの手の中にある存在に気づいた。
片手にギリギリ収まるサイズの鶯色の水晶のようなもの。
……アレだ。あの水晶に膨大なセイカの魔力と――決して少なくないほかの大量の魔力も混じり合っているのだ。
おそらくはいつかのエビス広場での異形誕生祭の直前、アンデッドたちの魔力を吸収したものだと思われる。
そうテンドウたちが理解した数秒後。
セイカの魔力を中心とした凄まじいまでの膨大な魔力が突然、急速に萎んでいく。
――それすなわち、何らかの魔法を発動しようとしていることを意味していた。
「「「「!?」」」」
驚き戸惑っているのはパンドラにいるテンドウたちだけではない。
陸橋の上で殺し合いに夢中だった『三大ファミリー』の全アンデッドたちも同じだ。
敵味方が入り乱れている状況でも、手を止めて振り返ってしまうほどの異変となっている。
……そうして、プリバトヤがすべての者の注目を一身に集めた瞬間。
謎の膨大な魔力が完全に消失すると同時――無数の魔法陣がアンデッドたちの足元に浮かび上がった。
◆
「――さあ始めようか。いよいよ待ちに待った宴の時間だ!」
一瞬にして時が止まったかのような大抗争の現場。
陸橋の外側で膨大な魔力を消費し、無数の魔法陣を生み出したプリバトヤは――ただ一人、満足そうに笑っていた。
対して、『三大ファミリー』のアンデッドたちの動きは素早かった。
すでに死した個体を除き、それぞれの足元に浮かび上がった謎の魔法陣。
それから逃れるべく、橋の上で一斉にその場から飛び退いたのだ。
――――だが、
「無駄だ。種族や個体の強い弱いは関係ない。魔物であるならば抗うことはできん」
転移陣のような通常の魔法陣とは異なり、どれだけ動いても足元から離れずに固定状態となっている謎の魔法陣。
中には勢い余って陸橋から飛び降りる形となった個体もいるが……空中でも足元には魔法陣がくっついたままだ。
……ゆえに誰も逃れられない。
自慢の再生力を頼りに、自分の脚ごと破壊を試みた腐肉族の個体も同じだ。
ただ派手に血と肉片をまき散らすだけで、魔法陣からの脱出は失敗に終わる。
「――破滅の星に生まれし体よ。冥府の闇に選ばれし魂よ。――目覚めの時だ。宿命の扉は今、開かれた」
そんなアンデッドたちの混乱など無視する形で。
プリバトヤはただひたすらに、詠唱のような言葉を紡いでいく。
「光照らすこの美しき世界を、生きとし生ける者たちを――。死と絶望で染め上げたまえ」
その途中でプリバトヤに迫る者が。
足元の魔法陣が外せないとみた死魔道姫が、目にも止まらぬ速さの強烈な氷の斬撃を放ったのだ。
――【氷鋭斬】。地下での戦いでメビナも多用していた氷魔法である。
だがそれは標的に届く寸前、バチィイン! と。
見えない壁に弾かれて、氷の斬撃が無防備なプリバトヤを傷つけることはなかった。
ヨギやタタリと遭遇したあの行き止まりの時と同じだ。
また別の魔道具か何かが発動し、その即死級の一撃を防いでみせたのだ。
そして、誰にも止められなかったプリバトヤは――最後にこう締めくくった。
「――永遠なる『夜明けの拒絶』に祝福を」
意味深なすべての詞を言い終えた瞬間、再び周囲に変化が起きた。
亡霊族も骨人族も異形となった腐肉族も。
足元に魔法陣が浮かんだすべての個体が、まるで成仏するかのように姿形を崩していき――魔力の残滓に変換されていく。
「畜生!? 何だというんだこれは――」
「人間ごときが! くだらん真似を――」
それは頭の亡霊騎王だろうと死魔道姫だろうと関係ない。
何の抵抗もできず、声を発するだけが精一杯で――あっという間に頭からつま先まで全身が消えていってしまう。
総勢二千体以上いたアンデッドの大集団の消失。
ついさっきまで戦場だった五つの陸橋は、一転してウソのような静けさに包まれていた。
その中で唯一、転がっている死体を除いて、ただ一体だけ陸橋の上に残っていたのは――。
「貴様! コレハ一体ドウイウツモリダ!?」
腐肉族ファミリーの新たな頭――ニゴマルだ。
筋肉と脂肪の鎧を纏った青黒い巨体を揺らして、自分以外誰もいなくなった陸橋からプリバトヤ目がけて猛進してくる。
「……ふむ、やはりお前だけは逃れたようだな。寸でで魔力を遮断したか。さすがに隠密状態では補足できない……まあ命拾いをしてよかったな」
一方、事を起こしたプリバトヤは顔に笑みを張りつけたままだ。
迫るニゴマルには興味を示さず、すでに視線は別の方へと向けている。
「私はただ生み出したいだけだ。この亡都でさえ足りぬほどの混沌をな」
言って、プリバトヤが上空を指差した。
それに反応したニゴマルは思わず足を止めて、その方向を確認すると――。
「何……ダ、アレハ!?」
亡都ヤマトニアを覆っている曇天の空。
陸橋のちょうど真上に位置するその一部に、直径百メートルはあろうかという巨大な魔法陣が浮かんでいた。
直後、消失するまで存在していた、戦場のアンデッドたちの魔力総量とほぼ同じ。
膨大な魔力を漏れ出しながら、さらには瘴気のようなものまで噴き出しながら――それは姿を現し始めた。
……まるで逆子の赤ん坊が産み落とされるかのように。
上空に浮かぶ見たこともない巨大魔法陣から、ゆっくりと足先から出てきている。
さらには、ドクンドクン――と。
時同じくして不気味に鳴り始めた心臓の鼓動のような音も、緊急事態を知らせる危険信号にしか聞こえない。
まだその全貌は確認できずとも……猿でも分かるだろう。
この世界に本来は存在しない、いやしてはいけない何かが現れようとしている、と。
「――来い。ここがお前の生誕の地だ!」
そして、堪え切れないプリバトヤの狂喜の叫びが響いた中で。
溢れ出ていた禍々しい魔力が、すべて解放されるかのように露わになった瞬間。
『――、――、――――』
そんな声なき産声を世界に響かせながら。
上空に浮かぶ巨大魔法陣によって――大いなる怪物が亡都ヤマトニアに顕現した。




