第八十八話 大抗争
――空気が一変している。
地上のパンドラへと戻ったテンドウたちが感じたのはまずそれだった。
露天の店主たちや客のアンデッドたちもすでに異変には気づいている。
この場にいる全員が売り買いをやめて、同じ方向に視線を向けて固まっていた。
「北西の方角でこの魔力――ってことはまさか!?」
弱者なら浴びただけで卒倒しそうなほどの絶望的な魔力。――それが二つ。
現時点でもその正体が分かりながらも、テンドウとムウマは確認のため、パンドラ内にいくつかある物見櫓の一つに登った。
そして、携帯している魔法袋からムウマが取り出したのは双眼鏡だ。
カンナギ城内で見つけて入れっぱなしにしていたそれを出して、まずムウマが覗いてみると――。
「!? おいおい、こりゃだいぶヤバそうだぜ……!」
双眼鏡越しに北西の方角に見えたもの。
北の亡霊族ファミリーと西の腐肉族ファミリー、彼ら二つの陣営の境界線には、ちょっとした谷のような場所が存在している。
その谷底には大量の人骨が百年経った今も残っている。
そんな恐ろしい墓場の上に立つ、五つの陸橋の方に――想像を超える光景が広がっていた。
「ちょ、ムウマ! 俺にも見せてくれ!」
たまらず隣のテンドウが催促し、ムウマに続いて双眼鏡で状況を確認する。
五つの陸橋すべてに存在している両ファミリーのアンデッドたち。
その全員で不穏な空気を作り出しているわけだが――やはり最も視線を奪ったのは、一番内側に位置する第一陸橋にて、一対一で睨み合う者たちだ。
――一体は反乱を起こした末に、新たな頭となったニゴマルである。
『暗殺怪人』の異名を持つ青黒い巨漢の腐肉族は、纏う筋肉とぶ厚い脂肪こそこれまでと変わってはいない。
……ただ強化されたとの噂通り、胸から腹にかけておどろおどろしい数百のドクロの紋様が浮かんでいた。
(で、アイツの方が……!)
――もう一体は存在こそ知ってはいても、実物は初めて見る亡霊族だ。
誰もが恐れる『不死の三傑』が一体――亡霊騎王。
口ひげを蓄えた、見た目年齢四十半ばほどの強力なアンデッドは、黒塗りの全身鎧と身の丈ほどの大剣という重装備をしている。
その体格こそニゴマルより遥かに小さく、わずか三メートル程度しかない。
それでも溢れ出る漆黒の魔力の量も凶悪さも、何一つ引けを取っていない。
「こ、これは本気でトンデモないことに……!」
が、テンドウやムウマの驚きはそこではなかった。
第一陸橋にいる頭二体や、その隣の第二陸橋にいる幹部の一体、『黄金弓』ジンロウタなど。
両ファミリーの凄まじい強さを誇る個体が全員、揃っているのだが……。
衝撃だったのは西の腐肉族ファミリーの構成員たちだ。
第二から第五陸橋までにズラリと並んだ、二百体ほどの腐肉族たち。
数こそ千を超える亡霊族ファミリーに劣っているものの、一体一体の質では明らかに上回っていた。
悪臭漂う腐った肉の体が――異形になっている。
まるでさらなる力を求めた南の弱小中堅ファミリーたちと同じように。
本来なら存在しないはずの体の部位が生えるなどして、その形を変えていたのだ。
……そして当然、ニゴマルを除いた全個体が不自然な揺らぎのある魔力を放っている。
「どういうことだ? まさか……プリバトヤと手を組んだっていうのか!?」
「――その通りッス。ヤツは西の腐肉族ファミリーと繋がっていたってわけッスね」
と、驚くテンドウの呟きに答えたのは、隣にいるムウマではなく、いつの間にか櫓に登ってきていたミナクモだ。
亡都新聞の記者である彼はテンドウたちと同じ方向に顔は向けているも……なぜか両目を閉じたままである。
「――ちなみに、ニゴマルが強化されたのもプリバトヤが原因ッスよ。体内に取り込んだ強力な呪物を見つけたのはヤツッスからね」
「……お、おお。そうだったのか。というか前も聞いたけど……何でお前はそんなことまで知っているんだよ?」
「フッフッフ、まあそろそろ教えてあげてもいいッスかね。たった一人でも自分が街中の最新情報を得られるのは――何を隠そうネズミたちのおかげッス!」
「え? ネズミだと……?」
「正確には屍鼠族ッスね。自分、特定の小型アンデッドのみ視界を共有できる能力があるんスよ」
目を瞑ったまま胸を張って言うミナクモ。
どうやら今もその屍鼠族と視界を共有しているらしい。
双眼鏡などに頼らずとも、現場の状況を正確に把握できているようだ。
「普通の亡霊族にはない特別な力で――って、そんなことよりもッス! そうら、今にも動くッスよ!」
自分で自分の言葉を遮ったミナクモが興奮気味に叫ぶ。
それに釣られるように双眼鏡に視線を戻したテンドウは、『三大ファミリー』同士が衝突寸前な状況を確認する。
頭がニゴマルに変わってから北と西の争いはあれど、決して崩れることのなかった均衡。
――ただ今回は規模が違う。この抗争でどちらのファミリーが勝つかは分からないが……確実に言えることが一つだけある。
百年の時が経った今日、ついに『三大ファミリー』の一角が落ちて消滅する、と。
◆
最も貴族街壁に近く、亡都の内側に位置する第一陸橋。
そこだけはほか四つの陸橋とは違い、たった二体のアンデッドだけしか存在していない。
「……まさか俺と戦うのがお前さんになるとはな。あの爆破野郎の屍暴君が……『不死の三傑』が『不死の三傑』以外の者に敗北するとは夢にも思わなかったぞ」
あまりに重い二つの魔力のせいで、その一帯だけ風の流れが完全に止まった中で。
亡霊騎王はニヤリと笑い、身の丈ほどの大剣を構える。
だがその戦闘態勢に反して、醸し出す雰囲気は正反対なものだ。
滅多に表には出てこない超大物アンデッドは、どこか楽しそうな口調で笑みまで浮かべている。
――だとしても、凶悪な魔力だけは何ら変わりはない。
風が止まっただけでなく、周囲の空間も歪み始めるほどの『怒声』を伴った漆黒の魔力。
老若男女が怒り狂ったように聞こえるそれは、思わず耳を塞ぎたくなるほどのものだ。
「……何ガ騎士ノ王ダ。神父ノ立場デアルニモカカワラズ、数多クノ孤児ヲ玩具ニシテキタ犯罪者メ」
対して、青黒い『怨嗟』を伴う魔力を纏ったニゴマルが口を開いた。
漆黒の『怒声』を帯びた魔力に気圧されることなく、自身の魔力を纏って仁王立ちとなっている。
元神父。それが亡霊騎王の人間時代の姿だ。
私財をつぎ込み、行き場のない孤児たちの世話をしていた心優しい神父というのは……あくまで表の顔にすぎない。
その裏の顔は日常的に性的虐待を行うという、卑劣極まりない性犯罪者である。
もちろん財力はもみ消しのためにも使われて、彼の悪行が表に出ることはなかった。
「フン、ずいぶんと懐かしい話だな。そういえばお前も孤児だったようだが……俺のところでは見たことも聞いたこともないな」
ニゴマルの言葉を否定することもなく、亡霊騎王がまた笑う。
無垢な子供に対して犯した罪を悪びれる様子がないのは、アンデッドとなった今でも変わっていない。
そんな亡霊騎王には当然のごとく呪いが掛けられている。
肉体が四肢の末端から少しづつ壊れていく『崩壊の呪い』。
種族次第では影響が出る呪いが掛けられているが……防具を纏える半霊体といえども、肉体を持たない亡霊族ゆえに影響はない。
やはり亡霊騎王もまた呪いではなく、デメリットなしで異能だけを授かるというただの加護に。
そうして手に入れた異能の中身は腐敗だ。
身の丈ほどの大剣で傷つけた箇所から腐敗が始まるという、厄介極まりないものである。
「俺の腐敗とお前ら腐肉族ご自慢の再生力――。どっちが上回るか見物だな!」
口角を最大まで上げた笑みを浮かべ、先に仕掛けたのは亡霊騎王の方だった。
身の丈ほどの大剣を担いだまま踏み込むと同時、陸橋を揺らして大きく前進。
たった一歩で矢のごとく進み――距離を詰めたところで大剣を振り下ろす。
「――【怨恨痛打】」
それをドクロの紋様が浮き出た青黒い巨体、『暗殺怪人』ニゴマルが掌底で迎え撃つ。
その二つの強大な魔力が触れた瞬間、凄まじい魔力の奔流が周囲に飛び散っていく。
――一方、谷を挟んで四十メートルほど離れた、その隣。
頭同士の戦闘の余波を最も受けてしまう、過酷な環境となる第二陸橋の上では、
「例の魔道士と……人間などと手を組むとはな。亡都統一のためには何でもアリというわけか」
羽織袴姿の亡霊族、『黄金弓』ジンロウタがため息をつく。
自身の前に立ち塞がっている異形となった腐肉族たちに、静かに軽蔑の視線を向けていた。
『三大ファミリー』の幹部の中でもニゴマルと並び、飛び抜けた存在であるジンロウタ。
だがそのニゴマルが強化されて頭となった今、当然ながら亡霊騎王の方と戦うことになっている。
そのためこの男を止められる者は腐肉族ファミリーにはいない――と予想されていたのだが、
魔力で生み出された黄金の弓から、音速を超えた速度で射出される黄金の弓矢。
大岩をも簡単に貫通させるその一射を、真正面から防いでみせた個体がいた。
「フハハハハァ! コレが噂の『黄金弓』か! えげつない威力ではあるが……残念ながら戦えそうだぜ!?」
ニゴマル直属の配下にして、右腕を務めていた主要配下の個体だ。
ベースとなっている種族は少々、腕が長い程度の至って普通の腐肉族。
悪臭を放つその土色の体には、異なる腕や尻尾などが生えて異形となっているが……とくに目を引くのが左肩にある骸骨の顔だ。
明らかにその部分から漏れ出る『唸り声』を伴う魔力のみ、別格の存在感を放っている。
「……その魔力、東の『蛮獣使い』のものか。おそらくは弱らせてから吸収させたのだろうが……己以外の力に頼るとはじつにくだらんな」
骨人族ファミリーの幹部である『蛮獣使い』トノグロの一部。
本来なら胸骨に埋まっている奇形の骨人族の頭蓋骨が、まるで防具のように腕長腐肉族の左肩に存在している。
「ご名答だ。さすがにお前と戦うのなら、適当な相手と異形化したところで焼け石に水だからな」
言って、腕長腐肉族が左肩のトノグロの頭蓋骨を愛でるように触る。
……じつは東と南で起きた抗争の際、この個体は戦場に紛れ込んでいた。
そしてプリバトヤの手引きもあり、格上である幹部クラスのトノグロを己の体の一部として取り込んでいたのだ。
さらにそれだけでは終わらない。
トノグロが召喚していた強力な蛮獣二体も同様だ。
上手く殺さずに弱らせてから、貴重な材料として余すことなく取り込んでいた。
「やはりそうか。その姿形も魔力も……もはやすべてが滑稽だな」
そんな異形の体を見たジンロウタは吐き捨てるように言い、黄金の弓にまた矢を番える。
その黄金の魔力に伴っているのは『吐息』だ。
ニゴマルの『怨嗟』や亡霊騎王の『怒声』と比べれば地味でも、不気味さだけなら一番とも言える魔力である。
「【腐泥怪丸】!」
その圧倒的強者に向けて放たれた、腕長腐肉族からの一撃。
上位魔法に相当する、直径二メートル大の強烈な魔力とヘドロからなる塊を――ジンロウタは正確無比な黄金の一射で撃ち抜いて相殺する。
「――ねえねえジンロウタ様。あたしも加勢しようか?」
と、ここで。
単独で戦うジンロウタに声をかけたのは、橋の欄干に座っていた少女の亡霊族だ。
見た目は十歳未満の女児で、子供用の服を纏った半霊体な体は桜色に染まっている。
そんな配下というよりも我が子のような彼女に対して、ジンロウタは軽く視線を送ってから、
「いやいい。お前は巻き込まれない場所で待機していろ、サラサ」
腕長腐肉族の後ろには数多くの異形たちが控えているとしても。
第二陸橋にいる唯一の仲間を下げさせて、ジンロウタはたった一人での戦いを選択した。
時同じくして第三から第五までの陸橋では、両ファミリーの構成員たちが橋の中央でぶつかり合っている。
ただでさえ陰鬱でタチの悪い亡都の空気に、分かりやすい禍々しさまでが一気に溶け込んでいく。
――北と西。亡霊族と腐肉族。
百年続いた均衡状態を破るべく、亡都ヤマトニアの未来に関わる大抗争――『三大ファミリー』同士の総力戦が今、始まった。




