第六十四話 地獄の下へ
最後のタコ脚を切断すれば、あとはガガクとカグラにトドメを刺させるだけ。
もう目前まで迫っていたはずの勝利を――テンドウは手にすることができなかった。
その原因は戦場の変化のせいだ。
急に足元の地面、毒に浸食された大きな露天風呂が丸ごと崩落したことによって。
ぽっかりと開いてしまった大穴から、成す術もなく落下してしまったのだ。
「あ……っぶ、なかったああああ……」
その事故に巻き込まれた被害者はというと……何とか九死に一生を得ていた。
見上げれば天井から優に三十メートルは下に落ちている。
にもかかわらず生きているのは、しかも骨の一つも折れていないのは――すべては今も騎乗しているクロちゃんのおかげだ。
「ブルルゥッ!」
「いや本当に……ありがとうな。お前がいなかったら普通に転落死していたぞ……」
テンドウは崩落した天井から薄暗い周囲の方へと視線を戻す。
そこにはもう動かなくなっている呪蛸族の死体があった。
落下中に大きな瓦礫を足場とした、空中での軽やかな跳躍――。
クロちゃん自身の判断で行われたその曲芸のような動きによって、テンドウは地面に叩きつけられずに着地できていたのだ。
「可能なら上に向かって跳んで……いや、それは無茶な注文すぎるな。どう考えても生きているだけで充分だぞ」
テンドウは一旦、降りてから命の恩人であるクロちゃんの頭を撫でる。
一歩間違えれば死んでいた状況だ。
ここで気持ちを落ちつかせるため、テンドウが一度、深呼吸をしていると……遥か頭上の方から声がしてくる。
「おーいテンドウっ! 大丈夫なのか!?」
「返事をして! 生きてるのテンドウ!?」
声の主は一緒に戦っていたガガクとカグラだ。
二人とも呪蛸族には接近していなかったため、巻き込まれずに済んだらしい。
大穴の縁から頭をひょこっと出して、上から心配そうな声をかけてきた。
「オイこりゃヤバすぎるぜ!? まさか死んでねえだろうな!?」
「あのタコの巨体のせいか!? けどまさか街の中でこんなことが……!」
「だ、だいぶ深そうな穴だべよ!?」
さらに続けて、ほかの仲間たちからも慌てたような声が。
ロッポウのみ「あちゃー。なんじゃこりゃー」とのん気な声だが……それはまあ、いつものことなので別にいいとして。
テンドウは仲間たちを安心させるべく、持ったままだった白い炎太刀を鞘に収めると、両腕で頭上に大きな丸を作る。
まだ完全には舞い上がった土煙が収まっていないが、大穴から光は差し込んでいるので見えるはずだ。
「大丈夫! 問題なしだ! クロちゃんのおかげで無事に生きているぞ!」
大穴の天井に向かって叫び、テンドウは自分の生存を報告する。
それを聞いた地上にいる皆は、ホッとしたような声を上げて安心するが……問題がないのはあくまで体の状態だけだ。
……正直、見上げるほどに絶望してしまう。いったいどうやってここを上がれというのか?
何度も言うが落下地点と天井までは三十メートルを超えている。
今いる場所はやたら開けており、かなり大きな地下空間が広がっているようだ。
となれば当然、開いた穴まで這い上がれるような足場は……何一つ存在していない。
「こりゃここから上がるのは……まあ無理だよな。……はあ」
冷静に現在の状況を確認したテンドウがため息をつく。
唯一、手段があるとすれば、ヨギから勝ち取った魔道具の小舟なら昇り降りできるだろうが……。
まともに安定すらさせられない現状では、救出に使えないのは誰の目にも明らかである。
「参ったな。一瞬、ロッポウの【蝙蝠飛翼】ならと思ったけど、あれは滑空技だし……。このマズイ状況はどうしたもんか――って、ん?」
と、五体満足な体でも困り果てていた時だった。
そんなテンドウの視界の隅に、崩れ落ちた瓦礫の中で見覚えのあるものが映った。
瓦礫の山に埋もれるように、深緑色のマントと亡霊族みたいな足があったのだ。
「ま、まさかドンチンか? ……何やっているんだ?」
そう疑問を口にしつつ、マントの部分を掴んで引っこ抜く。
すると南瓜な頭が露わとなり、やはり埋まっていたのはドンチンだったようだ。
「ふ、不覚……! 穴から覗いてたら頭の重さで落ちちまったぞ。……恥ずかしすぎて穴があったら入りたいです」
「……おう。もう入っているけどな」
ここでまさかの別の転落者が。
テンドウの場合は不慮の事故だった一方、ドンチンはただのうっかりで落ちたようだ。
その仲間の姿を見て、テンドウは若干、呆れてしまうも心配はしていない。
ただでさえ頑丈な頭で、しかも南瓜頭王族に『種族進化』しているのだ。
三十メートル以上の高さなら頭から落ちても問題なし。
実際、ドンチンはピンピンした様子ですぐに立ち上がってきた。
「ここ最近の長雨で地盤が緩んだのかしら? ……というかそもそも、亡都の下にこんな地下があるなんて夢にも思わなかったわ」
「だな。地下深くまで固い地盤が続くだけ――って、おい!? 何でお前までしれっと降りてきているんだよ!」
――さらにここでまた想定外な人物が。
頭上に黒い天使の輪がある看護婦こと、回復担当のモモヒメまでもが地下空間に立っていたのだ。
腰まである長い黒髪を手でなびかせ、落ち着いた様子で周囲を観察している。
……その余裕を見ての通り、彼女については落ちたわけではない。
堕天使族特有の転移魔法で下まで飛んできただけである。
「ったく……。回復魔法に加えて転移魔法とか、魔法の才能がない俺からしたら羨ましい限りだぞ……」
そんな優秀かつ物好きなモモヒメに、転移で地上まで飛ばしてもらうことは……残念ながら不可能だ。
万能な回復魔法とは違い、あくまで転移魔法は本人単体でのみ。
他人を一緒には飛ばせないため、テンドウたちまで簡単に戻ることはできない。
「……うむむ。もうこうなった以上は……腹くくってやるしかないか」
「さすがに地下なんてずっといたくねえからな。……早く帰りたいです」
「私はどうしようかしら? まあ何だか楽しそうだし……しばらく探検に付き合ってあげるわ。オホホホ!」
地下深くに落ちてしまったのはもう仕方ない。
現実を受け入れて気合いを入れ直したテンドウは、地上から覗いている仲間たちの方を見上げた。
「どこか出口を見つけて必ず戻る! 心配しないで待っていてくれ!」
――今、やるべきことはただ一つ。亡都ヤマトニアから脱出する前に、この地下空間からの脱出を。
テンドウはドンチンとモモヒメ、クロちゃんを引き連れて、地上へと戻れる道を探し始めるのだった。
◆
亡都ヤマトニアの下に存在していた大きな地下空間。
落ちてすぐに何となく分かってはいたが、歩き出すとここが普通の地下ではないことに改めて気づく。
……明らかに何かの目的のために造られている。
下水道ではないが、自然にできたものでも絶対にない。
なぜなら大きな地下空間からすぐ入った細い道には、足元を照らす光源が存在していたからだ。
おそらくは周囲の魔力を吸収して光る魔石だろう。
淡い橙色に光るそれが、通路のような場所に等間隔で設置されている。
ゆえに白い炎太刀の明かりだけを頼りにする必要もなし。
地下深くでも視界には困らない程度には、道を照らしてくれているのだ。
(……どうなっているんだ? もしかしてここに誰か住んでいるのか……?)
地下の環境に戸惑うテンドウを先頭に、いつの間にかクロちゃんに乗っているドンチンとモモヒメが後ろに続く。
雰囲気的にはアンデッド……とは言い切れないが、ほぼ確実に魔物はいると思われる。
どんな種族がいるのか?
どれだけの数がいるのか?
どれだけ密集しているのか?
亡都に長くいるドンチンやモモヒメでも存在すら知らなかった地下ゆえに、その詳細は一切不明だ。
だからこそ、テンドウはいつものムウマの索敵のありがたみを痛感してしまう。
敵の姿や存在が見えない、分からないというのは……やはり精神的にはよろしくない状況だ。
「……まあ、この恐怖心が本来あるべきものだけどな。久しぶりすぎて何か地味にキツイぞ」
「何だテンドウ、いきなり弱音か? んなもんドンと構えてりゃいいんだよ。……と自分にも言い聞かせます」
いつも以上に警戒しながら、足元から照らす薄明かりの中を進む。
壁や天井は土や岩が剥き出しとなっているも、通路自体はやたらキレイに真っすぐ先へと続いている。
そんな人工的なものを感じさせる道を、体感で百五十メートルほど進むと――ようやく前方が開けてきた。
警戒していた地下の魔物との遭遇も一度もなし。
またここまで分岐する道もなく、行き止まりだったら詰んでいたため……テンドウはホッと一安心する。
……とはいえ、油断は禁物だ。言ってみればここも亡都の一部なのだから。
大きな地下空間から伸びた細い道を進んだ先に、テンドウたちを待っていたのは――。
「んなッ!?」
目の前に現れたのはまた、地下空間だ。
が、それは転落した場所のものとは比較にならないほど巨大だった。
そしてその巨大空間にあったものこそ――テンドウが驚き、頭からつま先まで固まってしまった理由にほかならない。
――――街である。
どこからどう見ても自然にできることなどあり得ない、人工的な街が存在していたのだ。
さすがに木造や石造りといった手の込んだものではないが……間違いない。
おそらくは普通の建築ではなく土魔法だろう。
長い年月をかけて造り上げたと思われる建築物の数々が、巨大空間の中でひしめき合うように立っていたのだ。
「ねえちょっと……本当にどうなっているのかしら? 何なのよこの場所は?」
「冗談だろ? ここは地下だぞ? ……しかもコレ、ひょっとしたらアレっぽいです?」
その光景を見て驚くのは人間もアンデッドも関係はない。
これまで数々、起きてきた想定外の中でも――間違いなく最も衝撃的だと断言できる。
ただのハリボテには見えない土造りの家々から、その間を張り巡るように通っている道まで。
それ自体だけでなく、しっかりと計算された配置から見ても……カン違いではないだろう。
……何せ三人の中で最も新参者であるテンドウでさえ、もう半年ほど過ごしているのだから。
「や……ヤマトニアだよな、これ?」
あまりに驚きすぎてテンドウの口から消え入りそうな声が響く。
南エリアの公衆浴場の地下の先。巨大地下空間に広がっていた街は――地上にある亡都ヤマトニアとそっくりだった。




