第百十四話 大規模発生《スタンピード》
「「「「…………、」」」」
魔法陣を発見した翌日。地下都市にある『輝き池広場』。
本来なら集落の者たちの憩いの場であるはずのそこは、触れれば切れる細い糸が張り巡らされたかのような、静かな緊張感に包まれていた。
その中心には地下水を抜かれた池――否、直径八メートル大の魔法陣が。
それを取り囲むように大勢の人間およびアンデッドたちが立っている。
「……最後に確認しておく。本当にいいんだな? テンドウ」
口を開いたのはゲッコウだ。
元魔法陣の設計士として、起動可能な状態であることは確認済み。
ゆえにあとは責任者の承認をもらうべく、今回の策の立案者でもあるテンドウに聞いた。
「ああ、もちろんだ。アイツを外に解き放つわけにはいかない……これしか手はないからな」
対して、テンドウは真剣な顔つきで大きく頷いた。
もちろん、自分が何をしようとしているのかは重々、理解している。
万を超える魔物の軍勢が一斉に動く大規模発生――。
それは地震や竜巻よりも、この世で最も恐ろしい災害と言ってもいい。
そんなものを人為的に起こすなど、この事実だけを見ればただの大犯罪者、人類の敵と呼んでもいいだろう。
……ただ当然、百年前にもあったそれとは状況が違うのだ。
魔法陣が地下都市にあったことでほぼ確定した第二王子とは違い、テンドウたちに憎しみや怨念などはない。
むしろ真逆である。
彼らを突き動かすのは、前世から続く正義感や使命感といったものだ。
『穢れ魔道士』プリバトヤが召喚した破滅の化身――完全体の阿修羅地蔵。
このとてつもない巨大な怪物を、何としてでも倒さなければならなかった。
「……了解した。それでは、あとはセイカ……頼んだぞ。この右下の印のところからだ」
「ええ。……分かったわ」
次にゲッコウが言葉と視線を向けたのはセイカだ。
そのセイカは緊張した様子で、言われた通りに池の底の大きな魔法陣、その右下に位置する印に手を置く。
ほかの複雑な箇所と比べるとシンプルに描かれたそれは、魔力を供給するための場所である。
――これから幾万もの魔物を一カ所に呼び寄せる大災害を起こすのだ。
そのためにはかなりの魔力が必要となるのは当然のことである。
さすがに阿修羅地蔵を召喚した時ほどではないが、それでも平均的な魔道士の三十人分くらいの魔力量は必要だ。
そこで登場するのがセイカである。
『特異体質』の【人間魔力炉】持ちならば、たった一人でそれを賄うことが可能だ。
「…………、ふぅ」
あとはセイカが魔力を流すだけ。それ以外の準備はすべて整っている。
この場にいないニゴマルやジンロウタたちは別の場所で待機済みだ。
あとはテンドウたちが大規模発生を起こすのを待つのみの状況である。
(一度、始めたらもう後戻りはできない。……そんなことは百も承知だ)
池の中にいるセイカの手元を見ながら、テンドウは心の中で静かに呟く。
そのテンドウはじめ、皆の気持ちの部分については――こちらも準備万端と言っていいだろう。
皆、死ぬつもりなど毛頭ないが……今回は相手が相手である。
昨晩は地下集落の者たちも加えた盛大な宴会を行い、森の恵みをふんだんに使った豪勢な食事を取っていた。
さらに『開かずの扉』だったシン宝物庫(?)の上等な酒も空けるなど、今日に影響が出ない範囲で飲んでもいる。
つまり、最後の晩餐である。
もし最後になったとしても後悔のないように、皆で騒いで飲み食いを楽しんだのだ。
「それじゃ――始めるわよ」
そう告げた直後、セイカの華奢な体から魔力が溢れ出る。
それは止めどなく生み出され続け、その手に触れている魔法陣の印へと流れ込んでいく。
そして徐々に染み渡るように、八メートル大の魔法陣全体に行き渡っていき――。
ドクン、と。
音こそ鳴らないものの、そんな音のない鼓動が『輝き池広場』に生まれた瞬間。
池の底に刻まれた魔法陣が青白く発光した。
いつもは天井から差す光で水面が輝く池は、水のない土の底から激しく光り輝き、広場全体を照らしていく。
「「「「……ッ……!」」」」
その一連の流れすべてを見守る一同。
青白い光はまだまだ強くなり、ついに全員が眩しすぎて目を閉じた――その数秒後。
光の強さが頂点にまで達したと同時、光は弾けて極小の粒子に姿を変える。
それら数え切れぬ一粒一粒がほんの一瞬、魔法陣の上で滞空したと思った直後。
光の粒子は天井の岩盤を通り抜けように――四方八方へと飛び散っていくのだった。
◆
一度目の大規模発生から約百年。
魔法歴千五百二十四年、一ノ月の三日に――二度目となる人為的な大規模発生が発生した。
――標的となるのは亡都ヤマトニア。かつて多くの人間が存在し、少し前まで多くのアンデッドが支配していた場所だ。
そのすぐ外側。西の穀倉地帯を除き、亡都を囲むように存在する『赫の大樹海』。
世界でも屈指の危険度を誇り、人間などいない魔物だらけの土地には……大きな異変が起こっていた。
獣型も昆虫型も人型も物質型も。
生息する樹海の魔物たちは、何かに導かれたかのように大移動を開始。
邪魔な木々は大型の個体がなぎ倒し、できた道をほかの魔物たちが真っすぐに進み――刺激された本能のままに亡都を目指す。
……ただし、樹海すべてではない。なぜなら『赫の大樹海』はあまりに広大だからだ。
それでも発動した魔法陣の影響範囲は凄まじく広かった。
小国程度なら余裕で収まるほどの範囲となるため、樹海だけで万を超える個体が集結することになるだろう。
――同じく、亡都の北にそびえるダイセツ山脈も。
天に届かんばかりの連なる山々全体が、一瞬の静寂の後に大きく揺れた。
そして動き始める山脈に生きる者たち。
樹海と同じく、広大な影響範囲内にいる麓から山頂までの魔物が、一斉に山を下り始める。
雪化粧をした山脈ではいたるところで真っ白な煙が舞い上がり、一部ではすでに雪崩も起きている。
「「「「グルォオオオオオオ――ッ!」」」」
その山脈側の大群を先頭で率いる形となったのは、百年前と同じく火竜族だ。
火を吹く喉から発生させた強烈な咆哮を山脈に響かせ、曇天の空を揺らす。
強靭な翼で巨体を浮き上がらせた彼らは、空の王者として街の方へと下りてくる。
亡都に迫るほぼ全方位からの脅威――。
もし鳥のように上空から視認できたのなら、より一層、この地獄絵図を正確に理解できただろう。
また目が見えずとも、耳や肌だけでも感じ取れる、地鳴りのような足音と不規則な魔力の波。
街に到達するまで猶予がある現時点でも、そこらの一般人なら恐怖に慄き正気は保てないはずだ。
「「「「「「「「「「――オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――」」」」」」」」」」
それほどの魔物の海。数の暴力。異常事態。
この現象に対しての表現は様々あるだろうが……どれも言葉である以上、実物と比べると物足りなく感じてしまう。
まさに大災害の名に相応しいものだ。
前回の大規模発生の発生によって、たしかに魔物の数は激減したが――あれからもう百年である。
陸の孤島ゆえに人類が一切、関わることのなかった手つかずの百年間。
それだけの時間があれば……自然は元に戻るということだ。
そんな魔物の大群たちが目指す先にいるのは、この世界には本来、いないはずの混沌の世界の王。
街の周囲で異変が起きているにもかかわらず、いまだ外壁の破壊行動を止めてはいない。
――果たしてこの後、どうなるのか? それはこの土地を見捨てた神にも、住んでいる魔物たちにも分からない。
ただ本能のままに。狩りを行うために。
百年前とまったく同じ光景が、亡都ヤマトニアのもとまで迫っていた。




