第百十三話 制限時間が迫る中で
ただの都市伝説、ではなく信憑性の高い民間伝承だったと判明した『封じられた何か』――その正体の殺魔天狗。
時代は大規模発生よりも三百年近く前の出来事だ。
そんな遥か昔に封印された、悪しき存在を解放するという不測の事態が起きるも……まさかの阿修羅地蔵の介入によって騒動は幕引きした。
そして夜が明け――年が明けた。
真っ赤な『鮮血の霧』こそ消えたものの、引き続き降りしきる真っ白な雪。
万を超えるアンデッドたちが消え、新たな年を迎えた亡都ヤマトニアだが……残念ながら混沌の世界の王は年を跨いでも君臨している。
邪気のような禍々しい魔力も、触れてはならぬ瘴気も、不気味な鼓動も。
召喚されてから何一つ衰えてなどおらず、その場にいるだけで圧倒的な力を誇示し続けている。
――だが元日から一つだけ、これまでとの違いが生まれていた。
「おい勘弁してくれよ!? 新年早々、何がしたいんだよアイツは!?」
街の外、樹海との境界線から響いたのはテンドウの悲鳴にも似た声だ。
続いて仲間たちのどよめく声も生まれ、皆一様に混乱してしまう。
これまでで最大級の震動および轟音が聞こえたため、慌てて拠点の小屋から飛び出したところ、
テンドウたちが目の当たりにしたのは、まったく予想だにしない光景だった。
亡都を照らす美しい初日の出……などではない。
そんなものは阿修羅地蔵が召喚されてから続くぶ厚い雲で見えるわけがないのだ。
……破壊している。
広大な亡都を囲う高くてぶ厚い、今も崩れずにそびえ立っている外壁。
それを阿修羅地蔵は背中から生やした漆黒の腕、獄縄触手で破壊し始めていたのだ。
「またアレか……! ヒノモト王国名物、イカスミ焼き麺みたいな見た目しやがって!」
「……いやテンドウ。このヤベー状況でそのツッコミはズレてねーか?」
叫ぶテンドウに珍しくロッポウから冷静な指摘が。
……ともあれ、触手自体に関する感想などさておいて、だ。
いったい何のために? 街中の建物を移動で破壊することはあっても、外壁の破壊は召喚から今までなかったことだ。
外壁まで到達したら大人しく壁沿いを進むだけ。破壊するどころか指一本、触れることすらしなかったはずなのに……。
その行動が何を意味するのか、テンドウたちには分からない。
壁だけは阿修羅地蔵の攻撃対象からは外れていると思い込んでいたので、まさに何が何やらな状態である。
「ま、まさか……!?」
ただ一人だけ、木乃伊族の顔で分かりづらいが……青ざめた顔で見ていたのはゲッコウだ。
たまたま樹海の小屋でテンドウたちと年を越していた元一流の魔法陣設計士は、愕然として膝から崩れ落ちている。
「おい、ゲッコウ? ヤツが何してやがるのか分かるのか? 俺らもただごとじゃねえことくらいは分かるが……!」
「……ああ、ムウマ。おそらくヤツは……気づいたのだろうな」
両膝を地面についたまま、巨大な阿修羅地蔵を遠くに見上げながら。
ゲッコウはゴクリと唾を飲み込むと、困惑する皆に向かって説明をし始める。
「壁を破壊している理由は単純だ。呪縛から逃れるためにほかならない。街と外を隔てる境界線――。それを取り除きさえすれば、亡都と外の区別がなくなって出られる――ということなのだろう」
あくまで俺の推測ではあるが、とゲッコウが付け加える。
ただその顔に迷いはなく、またゲッコウは専門家で知識を持っているので……推測通りの可能性は高いだろう。
――と、そうこうしているうちに阿修羅地蔵が破壊を続けた結果。
地蔵体型の巨体がちょうど通れるくらいの幅が生まれ、物理的には問題なく外に出られる状況となる。
『――、――――――』
……にもかかわらず、通らない。
開けた出入り口には目もくれず、引き続き鞭のように振るわれる二本の獄縄触手。
その大規模な破壊行為は止まることなく、反時計回りに外壁を崩壊させていく。
「……やはりな。縛りは物理的なものではなく、心理的なものか。――つまり、より強固なものだということだ」
「ってことは……。すべての外壁を破壊し終えた時、亡都から解放されるってわけか?」
「その通りだ。そうなるとヤツが外に出るタイミングは――」
テンドウの問いにゲッコウは頷き、魔法陣の設計図とは異なる数式のようなものを地面に書き始める。
木の棒でスラスラと計算し、ものの一分でそれを終えると、木の棒を地面に置いた。
「外壁の全長と今の破壊速度からすると……猶予は三日だ。それまでに大規模発生の魔法陣を見つけられなければ……」
「樹海の外側に住む人類の危機、ってわけか」
ゴクリ、とテンドウ……だけでなく皆が唾を飲み込む。
どこか心の中でまだ大丈夫と思っていたが、どうやら悠長に構えている場合ではないようだ。
「これまた一気に制限時間が縮まったな……。おっさん、ちょっとついていけてないぞ」
「だとすると、亡都の命日を迎える前に出て行きそうな勢いってことだべな」
急に動いた状況にヨシくんとヒュウガが苦笑する。
――ちなみに、ヒュウガの言った亡都の命日とは大規模発生でハレルヤ王国が滅亡した日だ。
以前、ロッポウに教えてもらったその日だけは、亡都のすべてのアンデッドの力が弱まるため、脱出の決行日に予定していた日である。
正確な日付でいうと『一ノ月の六日』だ。
つまり五日後となるので、阿修羅地蔵が亡都の外へと解き放たれる方が先である。
「まあ、アレはアンデッドじゃないからな。生贄は亡都のアンデッドたちだったとしても、街への縛りはあっても弱体化までは望めそうにないぞ」
「……なるほど。んじゃ仮に命日に間に合ったとしても意味はないか。というかその日だと……ウチの戦力の方が影響を受けるからそもそも無理か」
荒れ狂う破壊の化身を観察しながら、テンドウの心に明確な焦りが生まれる。
地中から根こそぎ崩壊していく外壁を見るたび、その焦りは少しづつでも確実に大きくなっていく。
「皆、急いで戻るぞ。……どこかの鬼上官みたいで悪いけど、さらに必死で血眼になって探してもらうことになりそうだ」
猶予は三日。その間に目当ての魔法陣を発見し、そして発動しなければならない。
ただ間に合ってもギリギリすぎてはダメだ。
魔法陣は精密に描かれたものに魔力を通して初めて起動できる。
もし魔法陣の一部が欠損していた場合、ゲッコウに直してもらう時間を確保しておかなければならない。
(もう俺たち現地の者だけの問題じゃない――頼むから間に合ってくれよ!)
テンドウたちは暴れ回る阿修羅地蔵に背を向けて、急ぎ拠点へと戻っていくのだった。
◆
「――ぐ、ぐぬぬぬぅ……!」
「……ちょっとテンドウ、大丈夫? 少し深呼吸でもして落ち着きなさいよ」
明確な制限時間が発生して――あっという間に丸一日が経過してしまった。
最大限の警戒をしつつも亡都の中を、地下都市を、樹海や山脈の麓も捜索しているものの……いまだ目的の魔法陣は発見できていない。
そんな苦しい状況でテンドウが唸り、それをセイカが落ち着かせる。
戦闘班のリーダーとして今日まで皆を引っ張ってきたテンドウ。
鬼上官に鍛えられて精神、肉体ともに屈強なその男が、初めて頭がパンクしそうになっていたのだ。
……ただそれも無理はない。
猶予はあと二日。たった二日で阿修羅地蔵が亡都の外壁を破壊し終え、外の世界に解き放たれてしまうのだから。
「亡都新聞のミナクモからの報告じゃ、ヤツは一睡もせずに破壊行動を続けているらしいし……!」
両手で頭を抱え、そこからワシャワシャと頭を掻きむしる。
そのテンドウとセイカ、さらに子供らしく元気に走り回っているガガクとカグラがいるのは――『輝き池広場』だ。
ここは地下集落の住人たちの秘密の広場にして憩いの場である。
崩れた天井から光が差し込み、名前の通り反射した水面が輝く大きな池が中央に鎮座する場所だ。
今は阿修羅地蔵の影響で日が差さずに輝いていないが、一カ月に及ぶ地下生活の時はここでオオダケと厳しい稽古を行い、最後は池に飛び込んで汗を流す――というのがテンドウのルーティンであった。
ではなぜ、その『輝き池広場』にいるのかというと……いわば気分転換である。
さすがに人外の阿修羅地蔵とは違い、一日中ずっと行動などできないのだ。
寝食を削るほどの必死の捜索活動の中、今は少しの時間だけ休息に来ていたのだ。
「――ねえ、テンドウちゃん。そういえば……そこは調べたんだっけ?」
と、ここで。
ふいにテンドウに声をかけてきたのは、とてとてと小さな体で歩いてきたウメだ。
少女人形な姿の友好的な怪人形は、テンドウのもとまでやってくるとちょこん、と隣に座って――ある場所を指差した。
「うん? そこってどこのことだよ、ウメ……?」
「ほら、そこだよ。正確に言うとそこの底、かな」
「? そこの底って……まさか池のことか?」
「――うんうん、なるほど。たしかに可能性はありそうだね」
と、またここで。
ウメの言うことをテンドウが完全に理解しないうちに、次なる新たな登場人物が。
桜色の亡霊族の女児――ジンロウタの配下(妹?)であるサラサだ。
ほぼ同世代と思われるウメと一緒に遊びに来たらしい彼女もまた、ありがたいことに今日まで魔法陣の捜索を手伝ってくれている。
そのサラサもウメと同じく池を指差し、何度も納得するように頷いていた。
「言われてみれば……。ねえテンドウ、条件はある程度の広さと平坦な地面、よね?」
「あ、ああ……」
セイカに聞かれ、テンドウは目が点になったまま答える。
『輝き池広場』がある空間ではなく、池そのもの。
まだあるかどうかは不明ではあるが……完全に盲点だったテンドウは視線も体も固まったままだ。
何回も、いや何十回も稽古終わりに飛び込んできた広場の池。
豊富な地下水が湧き出て水深二メートルはあるそれは、水中はかなり澄んでいる一方、水底は泥や水草で完全に覆われている。
そのため底に何があるかは確認ができない状況――だったはずだ。
「…………、」
もしかしたら……もしかするかもしれない。テンドウは率直にそう思った。
そして見慣れた池を凝視したまま、数秒間の沈黙の末に。
「……よし、やってみよう。まだ池は調べていなかったし、どの道、ほかに目ぼしい場所もないからな」
言って、皆を後ろに下げさてから太刀を抜く。
今はドンチンを被っていないので通常の白い炎の状態だ。
それが勢いよく刀身から噴き出し、今朝のセイカによる【属性付与】で回数的にはちょうど百五十回に到達している。
「おおっ、何だ何だテンドウっ!」
「もしかして池の水を?」
それを見たガガクとカグラも走り回るのを中断して集まってくる。
とはいえ全員、炎太刀の影響力は充分に分かっているのだ。
興味はあってもしっかりと距離を取って、火傷をしない安全圏から見守っている。
「――フゥー……」
期待か不安か。少しだけ鼓動が速くなる中で、テンドウは呼吸を整える。
これからテンドウが行うのはずばり、池の水の蒸発だ。
火力抜群すぎる白い炎太刀をもってすれば、水面に近づけるだけで――予想通り簡単に蒸発し始めた。
(……じれったいけど集中だ。ここでミスったらアホすぎるからな)
逸る気持ちを押さえて、あくまで水中に少し燃える刀身を入れるだけ。
技を放てば一気に蒸発させられるだろうが……もし本当に水底に魔法陣があったら一大事だ。
破壊だけは絶対に避けるべく、慎重に慎重を重ねてゆっくりと蒸発させていく。
――――――…………。
そうして、十分以上の時間が経過した頃。
一時的とはいえ池の水を枯渇させることに罪悪感を覚えつつも、ついに溜まっていたすべての水を除去。
続けて皆で干上がった池に入り、手作業で邪魔な泥や水草を排除していくと――。
「「「「!?」」」」
汗をかき泥にまみれながら、皆の目が見開かれた。
……魔力は一切感じない。それは百年間、起動状態でないのだから当然だ。
……だとしても見間違えようがない。皆の足元に広がる、池の底に刻まれたそれは――どこからどう見ても魔法陣である、と。
また長期間、水の中にあっても一切、擦れてすらいない特殊な塗料からしても……ただの精巧な落書きなわけがない。
「あ、あった……。本当に、あった……!」
「ビンゴだね! いや本当によかったよ!」
「でもでも、よく気がついたね、ウメ!」
驚きよりも安心感からか、呆けたような反応のテンドウとは正反対に、子供らしくはしゃぐウメとサラサ。
さらにガガクとカグラの人間の子供もガッツポーズを取り、四人でハイタッチして喜んでいる。
直径八メートルほどの大型の魔法陣――。
サイズに関しては大規模発生を引き起こせるものと合致している。
さらにカンナギ城の転移陣ほどではないにしろ、一般的な魔法陣と比べれば素人目に見てもだいぶ複雑な設計に見えるので……。
(よし、よしよしよしよし……ッ!)
……これはもうほぼほぼ確定だろう。
興奮からかテンドウの顔は紅潮し、鼻息はだいぶ荒くなっている。
――ただし、喜んでいるだけではいられない。
魔法陣を見つけた今、次にやるべきことが生まれたのだ。
掃除のため脱いでいた上半身の服を着ることもなく、テンドウは急いで池から上がると、そのまま上裸で『輝き池広場』を出ていく。
そして駆け足で地下集落から連れてきたのは――もちろんあの人物である。
「……間違いない。これこそが禁断の……我々が探し求めていたものだ。それに百年前とは思えないほど、保存状態も完璧だ」
――その後、すぐに行われた専門家による解析によって。
ついにテンドウたちは対阿修羅地蔵のための最後のピース――大規模発生の魔法陣を手に入れたのだった。




