第百十二話 介入
炎と風を分断するかのように岩の天井が落ちてくる。
だが、それら大量の瓦礫よりも遥かに目を引くものが――閉ざされていた戦場の上から降ってきた。
亡霊族の霊体にも似た、闇よりも深い漆黒の触手のような腕。
それ単体でも強烈な魔力を宿した長い腕が、岩屋を突き破って内部にまで伸びてきて――。
「何だこれハ!? おのレ、どこノどいつガ……!」
腕の位置から見てちょうど真下。そこにいた殺魔天狗ががっしりと掴まれる。
おそらく唯一、この場で何も知らないであろう殺魔天狗の体を、広げていた大きな翼ごとさらに大きな手の中へと収めたのだ。
「おいテンドウ! アレってもしかしてだよな!? ……ですよね?」
「……ああ、阿修羅地蔵のだな。これまでに何度か遠目からは見ていたけどこりゃ……!」
阿修羅地蔵の触手のような漆黒の腕、ゲッコウいわく獄縄触手というらしい。
その気味の悪すぎる腕自体は、テンドウもドンチンもたまに見たことはあった。
主に動きの速い対象に用い、五本の指で掴んでそのまま握り潰すか、あるいは口元まで持っていって噛み砕くなりしていたのだ。
……ただ当然、ここまでの近距離で見たのは初めてである。
本体と違って瘴気をまき散らしていないのは救いではあるが……魔力の凶悪さは本体と何なら遜色はない。
「ック……! 【とぐろ旋風陣】!」
一方、捕まった殺魔天狗が抜け出そうと抵抗する。
自身の体に重く強烈な風を纏い、おそらくは直接攻撃系の魔法を緊急脱出に使用した。
――が、しかし。肝となる両腕を拘束された状態だからだろう。
テンドウとの戦闘時のように、団扇のごとく満足に両手を振るうことができないがために、
何とか魔法の体を成したような、威力が落ちた中途半端なものになってしまっている。
そんな強者と強者、悪しき存在同士による静かなる攻防――。
とはいえ『不死の三傑』単体クラスと、その『不死の三傑』を筆頭に『三大ファミリー』の全戦力に匹敵、もしくは上回る者では……天と地ほどにも差があった。
まるで脱出できそうにない。せいぜいが指二本、何とか剥がせそうなくらいだ。
「ぐオおぉおおアアァ――!?」
ここで殺魔天狗が絶叫する。
ミシミシィ、という音をたてながら、数百年ぶりに封印から解かれた肉体は――やはり拘束から逃れることができない。
……それでも、だ。
たしかに両者に力の差はあれど、ただ握り潰される形で殺されることはあり得ない。
実際、翼ごと掴まれて脱出不能となっていても、高密度の魔力を纏うその強靭な肉体が壊れる様子はなかった。
だからこそ、今の悲鳴は別の理由が原因だ。
漆黒の獄縄触手から阿修羅地蔵の魔力が逆流しているようで、殺魔天狗の体内に異物が混入した結果。
ムウマでなくとも判別できるほどに、捕まった獲物は奇妙な魔力状態となっている。
(もはや成す術なし……みたいだな。一度でも掴まれたら終わりとかヤバすぎるだろ……!)
その状況をテンドウはただ呆然と見ていた。
ついさっきまで封印されし強個体を相手に、冷や汗をかきながら互角に戦っていた自分はいったい何だったのか?
間接的に見せつけられた圧倒的な力の差。
それに軽くショックを受けたテンドウは、黄金の炎太刀の構えを解いたまま突っ立っている。
――と、そこで大きく事態が動いた。
魔力の逆流および、握り潰すことで仕留めるのは困難だと判断したのだろう。
殺魔天狗を掴んで離さない獄縄触手が蠢くと、開いた天井から引っこ抜くように岩屋の外へと出たのだ。
「ッ、テンドウ!」
「おう、分かっている。追うぞドンチン!」
腕と捕まった殺魔天狗が岩屋の外に出た直後、しばし止まっていた二人も行動を開始する。
急いで来た道を戻って正規の入口の方へ。
開いている岩戸から勢いよく飛び出ると、外で待っていたムウマたちの見上げた視線を辿っていけば――――いた。
方角は西。予想通りに街の方だ。
いつの間にか東エリアの外壁ギリギリまで来ていた本体こと阿修羅地蔵。
丸みを帯びたその背中から伸びている獄縄触手は殺魔天狗を掴んだまま、『鮮血の霧』に染まる亡都の方へと縮むように戻っている。
「大丈夫だったかよ、テンドウ!? まさかヤツが手出ししてきやがるとは……!」
「外にいたけど最初は見間違いかと思ったですハイ!」
「とりあえずテンドウとドンチンは無事で良かったであるな!」
「……ああ、俺たちの方は大丈夫だ。何か知らんけど見ての通り、アイツの介入があってな」
「まさか狙ってやがったのか? ピンポイントに掴んでいやがったし……! ……同族嫌悪というやつですか?」
突然の急展開に一同が驚愕するも、もはやこうなった以上は成り行きを見守るほかない。
テンドウたちからすればどちらも明確に敵なのだ。
本来は敵対的でも一時、同盟を組んだニゴマルやジンロウタとも違う。
絶対に分かり合えない、人間性の欠片もない凶悪すぎる相手のため、潰し合いはむしろ大歓迎である。
そんな中、ひたすら縮むように空を進んでいく獄縄触手。
降りしきる白い雪の中でとくに目立つ漆黒の腕は、ついに壁の内側で待つ本体へと戻っていき――。
――バリボリベキィ……!
大きな口から発された、その身の毛もよだつ乾いた咀嚼音とともに。
同時に亡都に響いた殺魔天狗の断末魔ごと――阿修羅地蔵はそのまま飲み込んでしまう。
「いやいや、勘弁してくれ……! カンナギ城を吹っ飛ばした魔力の吐息ならまだしも……! あんな強個体を咀嚼だけで倒すとか冗談キツイぞ!?」
間違いなく歴戦の火竜族でも不可能な芸当だ。
強烈な攻撃ではなく、ただの行為で阿修羅地蔵は殺魔天狗を葬ってしまったのだ。
いざその結果を目の前で見せつけられると、本当に挑んでいい相手なのか逡巡してしまうが……。
「――けどよ、どうやらあの心配はなさそうだぜ。……そうだろ、ゲッコウ?」
「……ああ、間違いない。もしそうだったら大規模発生は逆効果で詰んでいたから……とりあえず一安心だな」
ムウマとゲッコウが互いに頷き合う。
噛み砕かれて死亡した殺魔天狗の強大な魔力――。それが完全に消失したのを確認して、その面に関してはホッと一息を吐いた。
――なぜなら、最も恐れていたのは阿修羅地蔵による『吸収』だったからだ。
推定三十メートルの錆色の体に浮かぶ血管のような白い筋に、修羅の形相をした地蔵のような体型。
さらには凶悪な魔力と漏れ出る瘴気、体外にまで聞こえるほどの不気味な鼓動の音。
それらすべてに一切の変化はなし。捕食して強化されるという、最も避けたい悪夢は起きていない。
「俺も文献で読んだだけで、すべてを把握しているわけではないが……。まあ、今日までなかったから大丈夫だとは踏んでいたがな。――養分が多い強敵だけは吸収する、という例外がなくてよかったぞ」
「だな。これ以上、強化されたらシャレにならないからな」
「ただ単に喰らっただけってか。……とにかく一件落着です」
離れた位置から恐ろしい巨体を見上げながら、白い吐息を吐くテンドウたち。
……これなら狙っている大規模発生で魔物の大群をぶつけても問題はなさそうだ。
吸収できないのなら削られるのみ。それは混沌の世界の王であっても例外ではないらしい。
『――、……――』
その阿修羅地蔵は満足したのか、街の外にいるテンドウたちには見向きもせずにまた赤く染まった街の中心部の方へ。
現代のヤマトニアでも伝っていた『封じられた何か』という民間伝承。
その正体である殺魔天狗すらも、ただの獲物扱いした現在の街の支配者は……すり足の震動と鼓動の音を響かせながら戻っていく。
「明日の敵は今日の友ってか? とりあえず今回だけは感謝しておくぞ。……今回だけは、な」
――こうして、時間にしてわずか十分足らず。
想定外かつ事故的な封印の解除で始まった一件は、阿修羅地蔵の介入によってあっという間に終結したのだった。




