第百六話 黒い花
亡都に産み落とされた新たな王が、眠りから目覚めて二日後。
もはや邪気にも似た凶悪な魔力と不気味な鼓動の音が街に響く中――場違いなその場所もまた、今も変わらず存在していた。
ヤマトニアの貴族街の北東にある花畑。
まるで砂漠のオアシスのごとく地獄に咲く色鮮やかな花々は、奇跡的に阿修羅地蔵の通り道を避けられたことで、踏み潰されずに今も美しく咲き誇っている。
(――ようやく……ようやくだ! この長く耐えがたい屈辱の時も……やっと終わりを告げる時が来たか……!)
そんな亡都で最も浮いている花畑に、声にならぬ声――怨念が生まれた。
その発生源は美しい花々の中に数えるほどしかない真っ黒な花だ。
自然界には存在しないはずのその黒い花は、微量な魔力まで帯びていて明らかに異質、花畑の中で唯一、不気味な存在である。
――直後、黒い花の一つから魔力が噴き出した。
花弁に囲まれた雌しべの部分から、元々のものとは違う質の魔力が発生。
と同時、煙が立つかのように真紅に染まる靄のようなものが現れると、その量が加速度的に増していき――。
「……許さんぞ人間め。この私にこれほどの屈辱を与えるとは……!」
黒い花から突如として噴き出したそれから、明確な声が生まれる。
さらにハッキリと口元が現れ、そこから徐々に人の形が作り上げられていく。
そして冬の冷たい風にかき消されることもなく、数十秒が経った頃。
人の形は完全なものとなり――麗しい美貌を持つ、一糸纏わぬ女が一人、現れた。
また新たな強個体の『はぐれ』が街に産まれ落ちた……のではない。
その正体は亡都ヤマトニアの有名人ならぬ有名アンデッド――『狂花』ベニムラサキだ。
今や壊滅した北の亡霊族ファミリーの幹部の一体にして、この花畑の所有者である。
数ヶ月前にテンドウに敗北した癇癪持ちでワガママなこの女は、誰もが死んだと思っていたが……再びこの街に現れたのだ。
「絶対に逃がさない――。必ず復讐してやるからな!」
たしかにベニムラサキは一度、死んだ。その事実は変わりない。
それでもこうして復活を果たした理由は、見ての通り花畑に不気味に点在している黒い花だ。
――もしもの時のためにと、ベニムラサキが用意していた保険である。
半霊体な体が滅びようとも、魂だけは消滅を免れて復活を果たすべく、自身の魔法で何十年も前から準備をしていたのだ。
「……そもそもアイツが! あのお澄まし顔の貧乏人め! 人間ではなく私を射抜くとは何を考えている!?」
そのベニムラサキの怒りはテンドウだけではない。
同じファミリーで同じ幹部であるはずの『黄金弓』ジンロウタにも向けられる。
状況的には個人拠点の時計塔からテンドウを狙い撃てたはずだ。
にもかかわらず、あろうことか仲間である自分を撃ってトドメを刺したのだ。
その事実を死の間際で理解していたベニムラサキは、真紅の体をさらに真っ赤にして激怒していた。
――が、その激しい怒りの感情は……頭から押さえつけられるかのように。
数ヶ月間にも及ぶ屈辱の潜伏期間の中で、増しに増した怒りはウソのように萎んでしまう。
……なぜなら、
「な、何だ!? あの巨大な怪物は……! いったい何がどうなっている!?」
自分がいた頃には存在などしていなかった巨大な生物――。
黒い花での潜伏期間中は外界の情報は一切、入ってこないのだ。
ゆえに召喚されたことも混沌の世界の王であることも、その名すらも知らないベニムラサキは驚愕に目を見開いてしまう。
体躯も魔力も纏う瘴気も不気味な鼓動の音も、何もかもが規格外。
『不死の三傑』どころか、『三大ファミリー』すべてのアンデッドを一つに集結させたような怪物が、北エリアから西の方へと我が物顔で進んでいたのだ。
「ッ……!?」
その威容を嫌でも感じながら……ベニムラサキはすぐに気づいた。
今いる貴族街のアンデッドだけではない。
位置的な関係から把握できるはずなのに、北と東の『三大ファミリー』のアンデッドたちの魔力が、ここまで微塵も届いてきていないことに。
「ど、どういう状況だ!? あんなバケモノが私の街に――そもそもアレはアンデッドですらな――」
「――おやおや。変な魔力の高まりがあったから来てみれば……。誰かと思えば、最弱の幹部様が今さらどうしたというのだ?」
と、ベニムラサキの混乱が沸点にまで達していた時だった。
急に背後から掛けられた声に、驚き慌てて振り返ったその瞬間。
バチバチィン! ――と。
強烈な電撃音が聞こえたと同時、ベニムラサキの背中に看過できないダメージが入った。
「ぐ、が……ッ!?」
長い月日をかけて再構築されたばかりの半霊体な体が大きく揺らめく。
そのベニムラサキの目に映ったのは、魔道士のローブ姿で一切の魔力を遮断している一人の男だ。
まるでニゴマルのように気配も魔力もなく近づいてきた者は、左目に怪しげな義眼を埋め込んでいる。
「【雷光滅柱】」
そして間髪入れずに告げられた死の宣告。
瞬間、足元からベニムラサキの全身を激しく照らすように生まれたのは――光の柱だ。
その柱の内側に蠢く暴力的な電撃によって、ベニムラサキの体は形を保てずに表面から崩れ始めてしまう。
「貴様――また人間か!? おのれ、よくも私をォオオオオオオオ!」
立て続けの雷魔法に、復活したばかりのベニムラサキはまったく対応できない。
そもそも決して打たれ強くない亡霊な体では、最初から耐えることなどできなかった。
あの時と同じく、成す術なく消失していくベニムラサキ。
結局、急襲した男――プリバトヤの名前も素性も知ることはなく、また阿修羅地蔵を召喚した首謀者であることも当然、知らぬままに。
抗うことすらできず、その執念深さで復活を果たした女幹部は……再び靄となって消えていった。
「……黒い花は復活のための触媒だったか。どうりで一種類だけ不気味に咲いていたわけだ」
言って、プリバトヤは花を踏み潰しながら花畑の中を歩き始める。
まだ黒い花自体はいくつか残っているため、適当な下位の雷魔法を飛ばして葬っていく。
「一種の『身代わり魔法』か? 噂で聞いた肉体に魂を入れ替える魔法といい、なかなか興味深い魔法を習得していたようだが……。残念ながらもう、お前のような幹部モドキが出る幕はないのでな」
プリバトヤ自身は別にベニムラサキなど探していたわけではない。
ただ偶然、近くで見つけた魔力の反応から現場に向かい、片手間にゴミを掃除したまでだ。
ゆえにすぐに興味を失ったプリバトヤの視線は、もうすでに阿修羅地蔵の方に向いている。
眠りから目覚めて活動を再開した異世界の王は、生贄のアンデッドたちの影響によりいまだこの街に囚われたままだ。
――まったく何と可哀想なんだ。
そう親心から思っていたプリバトヤは当然、すでに手は打っていた。
阿修羅地蔵が眠っている隙に、地蔵のようなその巨体にいくつかのブツを取り込ませていたのだ。
「聖遺物――。不死の存在を拒む最強のアイテムさえあれば、何の問題もないな」
召喚後に起こり得る制約をプリバトヤは予想していた。
世界中の各大陸、あらゆる場所を調べ尽くした結果、亡都ヤマトニアは阿修羅地蔵の召喚にこれ以上ない場所ではある。
一方で生贄すべてがアンデッドとなるため、余計な制約が付随するのはどうしても避けられない。
そのための対応策が聖遺物の吸収だ。
事前に用意していたいくつかの聖遺物(盗品)を取り込ませることで、制約を取り払おうという算段である。
中でもとくに大きな効果を期待できるのが――カンナギ城にあった十字架だ。
隠された地下室に置かれていた小さな石製のそれは、聖遺物の中でも最上級の効力を持っている。
「かつては王族が住み、つい最近まで私以外の人間が拠点としていた大きな城――。その全体を安全地帯化していたのだからな。……これ以上のものは世界のどこにも存在しないだろう」
そんな強力な聖遺物の場所を『天通眼』で特定。
ただピアノによる隠し扉の開放までは分からなかったため、プリバトヤは壁を破壊するという力技で数日前に回収していた。
……正直、この存在は嬉しい誤算以外の何ものでもない。
阿修羅地蔵の召喚計画が大幅に前倒しとなったセイカの存在といい、ツキは確実にプリバトヤに向いているようだ。
「ほんのわずかな弱体化が起こる可能性はあるだろうが……元が凄まじいバケモノかつ完全体だからな。あくまでも誤差の範疇だ。――フハハハハ!」
花畑の中でプリバトヤは一人、腹を抱えて笑う。
人生を賭けた計画はあまりに順調そのものだ。このまま計画通りに進み続けて、完遂するのも時間の問題だろう。
取り込ませた聖遺物が肉体に完全に馴染んだその時、本当の意味で始まるのだ。
混沌の世界の王が亡都ヤマトニアから解き放たれて――本能のままに人間の世界へと足を踏み入れるだろう。
だからもう障害は存在しない。誰にも止めることはできない。
こんな樹海深くの陸の孤島での異変を察知して、すでに全軍を動かしている国などあるはずもない。
だからあとはのんびりと待つだけ。
やるべきことをやった国を追われた大悪党は、ここからの未来を確信して高らかに笑った。
――のだが、
「ッ!?」
刹那、プリバトヤの頬を何かが掠めた。
――否、悪寒を感じたプリバトヤが頭を振って寸前で避けたのだ。
そこから一秒と経たず、離れた位置にある建物の壁が貫通した。
視界には糸を引くような一筋の黄金の軌跡が宙を走り、その美しい残像はあっという間に消えていく。
つまり、どこかの誰かから攻撃が放たれた。
まるで次は自分の番だと言わんばかりに、ベニムラサキを急襲して葬ったプリバトヤが――今度は急襲を受ける側に回ったのだ。
「……これは驚いた。まさかお前まで生きていたとはな……!」
そして振り向きざまに犯人の姿を見て、さすがのプリバトヤも目を見開いた。
まだ百メートル以上は離れた民家の屋根の上。
そこに静かに立って構えていたのは、どこか気品のある羽織袴を纏った一体の亡霊族だ。
「――捜索の本命は貴様ではなかったがな。我が同胞たちを生贄に捧げたこと……あの世で後悔するがいい」
驚くプリバトヤにその声は聞こえない。だが確実に彼の凄まじい魔力だけは届いている。
そんな標的の反応を気にする素振りもなく、ただ亡都に吹く冬の風に羽織袴を揺らしながら。
『黄金弓』ジンロウタの微動だにしない指先から――二射目となる黄金の矢が放たれた。




