第7話「王女の願いと、職人の答え」
王都ルクセリアの中央広場には、早朝から大勢の人々が集まっていた。
彼らの視線は一点、王宮のバルコニーに注がれている。
数日前まで死の淵をさまよっていたはずの第二王女エレナが、国民の前に姿を現すというのだ。
アルドとミナも、群衆の中に紛れていた。二人は目立たないようフードを深く被っているが、その表情には緊張の色が浮かんでいる。
「……本当に回復されたのかしら」
「騎士団長の話では、劇的に良くなったそうだ。あれだけの薬を使ったんだ、間違いはないはずだ」
アルドは自分に言い聞かせるように呟いた。
あの夜、渾身の力を込めて作り上げた最高位のポーション。その効果を信じてはいるが、相手は王族だ。万が一のことがあれば、ただでは済まない。
ファンファーレが高らかに鳴り響き、バルコニーに人影が現れた。
純白のドレスに身を包んだ少女。透き通るような銀髪が朝日を浴びて輝いている。
エレナ王女だ。
その肌には血色が戻り、瞳には力強い光が宿っていた。数日前まで病床に伏していたとは信じられないほど、彼女は美しく、そして健康そうに見えた。
「国民の皆様、ご心配をおかけしました。わたくしはこの通り、元気になりました」
鈴を転がすような声が広場に響き渡る。
わっと歓声が上がった。
涙を流して喜ぶ者、神に感謝を捧げる者。王女の回復を心から祝う国民たちの姿に、アルドは胸が熱くなった。
「そして、わたくしを死の淵から救い出してくれた、ある錬金術師に感謝を捧げたいと思います」
エレナ王女が言葉を続けると、広場は水を打ったように静まり返った。
彼女の視線が、まるでアルドを見透かすかのように群衆の方へ向けられる。
「その方は、名もなき小さな工房の職人です。けれど、その技術と誠実さは、王宮のどんな魔導師よりも優れていました。わたくしは、その方に直接お礼を申し上げたい」
ざわめきが広がる中、アルドは冷や汗をかいていた。
まさか、こんな大勢の前で呼び出されるとは思っていなかったのだ。
「アルド様、いらっしゃいますか? どうぞ、前へ」
王女の声に導かれるように、周りの人々がアルドの方を振り返る。
フードの下から覗く顔に気づいた誰かが叫んだ。
「あいつだ! アロマドロップの店主だ!」
道が割れ、アルドは否応なくバルコニーの下へと進み出ることになった。
ミナに背中を押され、おずおずと顔を上げる。
そこには、優しい微笑みを浮かべたエレナ王女がいた。
「あなたが、アルド様ですね。……命を救っていただき、本当にありがとうございます」
「も、もったいないお言葉です。私はただ、職人としてやるべきことをしたまでで……」
アルドは跪き、深く頭を下げた。
心臓が口から飛び出しそうだ。
「顔を上げてください。あなたには、褒美を取らせたいのです。何か望むものはありますか? 地位でも、名誉でも、金銀財宝でも、何でも言いなさい」
王女の言葉に、周囲の貴族たちがざわついた。
一介の平民に対する破格の待遇だ。
だが、アルドは迷うことなく答えた。
「ありがたき幸せ。ですが、私は今の生活に満足しております。地位も名誉も必要ありません」
「……欲がないのですね。では、何を望むのです?」
アルドは少し考え、そしてまっすぐに王女を見つめ返した。
「もし叶うならば……王都の錬金術師たちが、品質を第一に考え、安全な薬を作れる環境を整えていただきたい。利益のために粗悪品を作るようなことが二度と起きないように、正しい規制と支援をお願いします」
静寂が広場を包んだ。
誰もが自分の耳を疑った。
目の前に積まれた富や名声を蹴って、業界全体の改善を願うなど、正気の沙汰ではないと思われたからだ。
しかし、エレナ王女だけは違った。彼女の瞳が、感動で潤んでいる。
「……素晴らしい。あなたは真の職人です。わたくしが保証しましょう。ソラリスのような不正を許さず、真面目な職人が報われる国にすることを」
王女の宣言に、広場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。
アルドは安堵の息をつき、隣にいるミナと顔を見合わせた。
彼女は誇らしげに、涙を拭っていた。
その日以来、アルドは「王女を救った錬金術師」として、国中で英雄視されるようになった。
だが彼は変わらず、毎朝早く起きて工房の掃除をし、丁寧に薬を作り続けた。
英雄になっても、彼はあくまで「街の職人」であり続けたかったのだ。




