第6話「王宮からの使者、至高の一滴」
ガストンの襲来から数日後、工房アロマドロップの前には、これまでとは明らかに質の異なる空気が漂っていた。
行列を作っていた市民たちが、畏敬の念を持って道を空けていく。
石畳を滑るように現れたのは、白馬に引かれた豪奢な馬車だった。側面に輝くのは、王家の紋章である「黄金の獅子」。
王宮からの使者が訪れたのだ。
「……アルド、王家の方よ。どうしましょう、服、これでいいかしら」
ミナがパニックになりながらエプロンを直している。
アルドも心臓が早鐘を打っていたが、努めて冷静に振る舞い、店の入り口へ向かった。
馬車から降りてきたのは、近衛騎士団の隊長を務める初老の男性だった。身にまとった銀の鎧は傷一つなく磨き上げられているが、その表情は深刻そのものだった。
「そなたが、錬金術師アルドか」
「はい、その通りでございます」
「急な来訪を許してほしい。もはや一刻の猶予もないのだ。どうか、我が主君……第二王女エレナ様をお救い願いたい」
店内にどよめきが走った。
王女エレナ。国民から絶大な人気を誇る、聡明で美しい姫君だ。彼女が病に伏せっているという噂は聞いていたが、まさかこれほど事態が悪化しているとは。
「王女様のご容態は……?」
「『魔力中毒』だ」
騎士団長が苦渋の表情で告げた言葉に、アルドは息を呑んだ。
魔力中毒。
それは、不純物の多いポーションを長期間摂取し続けた結果、体内に蓄積された毒素が魔力の流れを阻害し、肉体を内側から蝕む症状だ。
「まさか、ソラリスの……」
「ああ。王宮御用達であったソラリスの最高級ポーションを使っていたのだが、どうやら見かけだけの粗悪品だったようだ。王宮魔導師たちが解毒を試みたが、毒素が深くまで浸透しており、手が出せない。このままでは、今夜が峠かもしれん」
騎士団長は、藁にもすがる思いでアルドを見つめた。
王都で今、最も純度の高い薬を作ると評判の錬金術師。彼だけが最後の希望なのだ。
「伝説の聖霊薬に近いレベルの、完全な浄化作用を持つ薬が必要です。今の設備でどこまでできるか……」
「必要なものはすべて用意させる。金に糸目はつけぬ。頼む、この通りだ!」
王家の騎士が、一介の職人に頭を下げる。
それほどの緊急事態なのだ。
アルドは拳を強く握りしめた。失敗は許されない。だが、逃げるわけにはいかなかった。
「頭を上げてください。……やります。僕が持てるすべての技術を使って」
すぐに工房は封鎖され、厳戒態勢が敷かれた。
アルドは倉庫の奥から、父が遺した秘蔵の素材「月光草の蕾」を取り出した。十年もの間、魔力を蓄えさせながら熟成させた、世界に数本しかない至高の素材だ。
ミナや新人のスタッフたちが、祈るように作業を見守る。
「ミナ、温度管理を頼む。一度でもブレたら終わりだ」
「任せて。私のすべてを賭けて、その釜を守ってみせる」
作業は深夜にまで及んだ。
いつものポーション作りとは次元が違う。
素材から一滴のエキスを抽出するために、一時間かけて魔力を通し続ける。
汗が滝のように流れ、視界が霞む。魔力の酷使で指先が痺れ、感覚がなくなっていく。
それでも、アルドは止まらなかった。
『品質こそすべて。薬は人を助けるためにある』
父の言葉がリフレインする。
目の前のフラスコの中で、液体が色を変えていく。
濁った緑から、透明へ。そして、淡い虹色の光を帯び始める。
不純物はゼロ。魔力の純度は百パーセント。
これこそが、錬金術の到達点。
「……できた」
夜明け前、小さな小瓶の中に、奇跡のような光の雫が完成した。
それは照明がなくとも自ら発光し、工房内を神聖な空気で満たしていた。
「これが……」
騎士団長が震える手で小瓶を受け取る。
言葉はなくとも、その輝きを見ればわかる。これが本物の中の本物であることを。
直後、騎士団長は小瓶を胸に抱き、全速力で馬車を走らせた。
アルドはその場に崩れ落ちた。
ミナが慌てて駆け寄り、彼の体を支える。
「アルド! 大丈夫!?」
「ああ……ちょっと、疲れ、たな……」
意識が遠のいていく中で、アルドは満足げに微笑んだ。
やれることはやった。あとは、あの光が王女に届くことを祈るだけだ。
翌日、王宮から早馬が届いた。
王女エレナが奇跡的な回復を見せ、意識を取り戻したという知らせだった。
そのニュースは瞬く間に王都中を駆け巡り、「工房アロマドロップ」の名は、伝説と共に語られることとなった。
小さな工房の職人が、国を救ったのだ。
アルドが目を覚ました時、窓の外からは、彼を称える市民たちの歓声が聞こえていた。
だが彼にとって一番嬉しかったのは、ベッドの脇で安心しきって眠るミナの寝顔だった。




