サマータイム
対策本部から仕事が舞い込んできた。
もちろん蹴ってもよかったはずだ。が、センター長はこの仕事を請け負った。大金でも積まれたのか、あるいは思うところでもあったのかは分からない。
ターゲットは「悲嘆のネプチューン」。
送迎はない。ジョン・グッドマンの運転するバンで、俺たちは現場へ向かった。メンバーは二名のみ。鐘捲雛子も出ると言い張っていたのだが、あえて留守番させた。
俺は座席でCz75とサイキック・ブラスターのコンディションを確認した。できればどちらも使いたくない。人のまま殺すのも、変異させてから殺すのもイヤだった。かといって、ほかの誰かが彼女を手にかけるのも受け入れがたい。
べつに特別な仲じゃない。
何度か会話しただけの相手だ。
敵意を向けられたこともない。
バンが停車すると、俺はひとりで降りた。
まだ昼前だが、空は濃い群青色。
降るかもしれない。
到着したのは例の廃工場。
雑草の発する草いきれで、熱帯雨林を思わせるような蒸し暑さになっていた。この時期は、草刈りをしてもすぐ伸びる。
発電機の音がしているから、無人ということはないはず。
ネプチューンはソファを占領し、けだるげに寝そべっていた。いつも日傘をしているからか、肌は白い。
「失礼するよ」
そう告げても、彼女はチラとこちらを見ただけでなにも言ってこない。
俺は冷蔵庫から缶ビールをとり、適当な椅子へ腰をおろした。
「いつもここにいるの?」
「いいえ……」
つまりなんらかの予定があってここへ来たわけか。あるいは気まぐれかもしれないが。
彼女は武装していない。警戒もしていない。いつでも殺れる。なのだが、俺はそんな気分になれなかった。
缶ビールを開け、何口か飲んだ。冷たい苦みが口の奥に残る。
「ここは暑いな」
「そうね……」
「今日は特に」
「ええ……」
無視しないところをみると、会話に応じてくれるつもりはあるらしい。
俺は缶から滴る水を手でぬぐい、コンクリートの床へ振り払った。
「よかったら君も飲まないか?」
「誘ってるの……?」
「そうじゃない。けど、まあ、そういうことになるかな……」
「じゃあ飲む……それでいいわ……あなたが飲んでるの……」
「これ?」
俺の飲みかけだ。
彼女が手を伸ばしてきたので、俺は飲み口を指で拭いてから差し出した。
彼女も自分の指でぬぐってからゴクゴクと飲み干し、空き缶をポイと投げ捨てた。アルミ缶がコンクリートに跳ねて甲高い音を響かせる。
「マズいわね、ビールって……」
「ワインもある」
「それはウラヌスのだから……」
所有者が決まってるのか。もしかするとこのビールも誰かのものかもしれない。これから殺人罪を犯そうという人間が、窃盗罪を警戒するというのも妙な話だが。
思えば俺の手は血に汚れている。必要以上にやりすぎた。いずれ裁きを受けることになるのかもしれない。
彼女は仰向けになり、かすかに息を吐いた。
「また殺したのね……」
「誰のことだ?」
「子供……あなたの……」
「プルートか……。そうだ。君の言う通り。俺が殺したみたいなものだ」
あの子は世界に失望していた。現世になにも望んでいなかった。みずから命を絶っただけでなく、俺のことも死へ誘っていた。いや、俺だけじゃない。すべての人類が死ねば、もう争わずに済むのに、と、言っているようでさえあった。
なにか希望を抱いたところで、ひたすら虚しいだけであると学習してしまった。
プルートと出会ったのは、ガイアの支配するビルだった。
あのとき俺の不注意で餅が罠にかかり、拷問のように体をいじくり回されていた。俺は餅を解放して欲しくて、その場にいたプルートの首を絞めた。力を込めたら、彼女は死んでしまった。
なにが正解だったのかは、いまでも分からない。優しく接することもできたのかもしれない。しかしそんな余裕はなかった。とにかくなにかしなければと思い、とっさに行動を起こしてしまった。
俺は立ち上がり、二本目のビールを拝借した。
「どこかへ逃げないか?」
酔った勢いで言ったわけじゃない。
逃避行の願望もない。
殺す理由がなかったから、つい本音が漏れただけだ。
彼女は目だけでこちらを見て、おかしそうに笑った。
「逃げる……? あなたと……?」
「いや、君だけでも」
「どこへ……?」
「どこでもいい。どこか遠くへ」
「遠く……」
すると彼女は口を半開きにして虚空を見つめた。
なにかを空想しているような顔だ。
行きたいところでもあるのだろうか。
「金が必要なら、いくらか出せる」
「お金……? いらないわ……。見たいのは……世界の果て……。それだけ……」
「どこにあるんだ?」
「どこか……遠い場所……」
もう生きるつもりがないことは分かった。
俺はそれでも、どうしても受け入れられなかった。
「勝負しないか?」
「イヤよ……」
「君はこの銃を使ってくれ。俺はこっちを使う」
「イヤよ……」
あくまで無抵抗のまま殺されるつもりか。
俺は安全装置を外したCz75を、ソファの前に置いた。なのに彼女は興味も示さない。
「このアーマーも取る」
「暑そうね……」
「暑いよ。こんな夏なのにさ」
遠方でかすかに空が鳴った。まだ雨も降っていないのに。
「そのビール……まだ入ってる……?」
「入ってるけど……。飲みたいなら新しいのあるぜ?」
「それでいいから……」
俺が差し出すと、今度はぬぐいもせず彼女は口をつけた。
きっと深い理由はないのだろう。
飲みたかっただけだ。酒なんて、だいたいそんな理由で飲むものだ。
「君がやる気になってくれないと、俺は帰れない」
「だったら……いいじゃない……帰らなくても……」
「それもそうなんだけどさ」
本気でそんな気がしてくる。
金なんかのために彼女の命を奪いたくない。いや、実際は金だけが理由ではないのだが。許されるなら、可能な限り時間を引き伸ばしたかった。
「ガイアはもう復活させたのか?」
「まだ……」
「いつやるんだ? 予定は?」
「さあ……興味ないわ……。死んだ子を生き返らせるなんて……私の趣味じゃないもの……。だってね……二回も死ぬことになるのよ……」
それが彼女の本音なのだろう。
彼女は最初から無気力だった。ただ、仲間たちがひとつの目標を追っていたから、その手伝いをしていただけだ。それ以外に、生きる価値を見出せなかったのだろう。
しばらく空を見つめていると、彼女は鼻歌を歌い始めた。
サマータイム……。
空が光り、そして音が響いた。
まだ近くはない。
雨が降り出して、廃工場の屋根をひっきりなしに打ち鳴らした。
心地よいが、どこかアンバランスなリズム。
歌が終わり、静寂が来た。
パァンと音がした。
俺のすぐ脇で。
驚いて振り向くと、鮮血がソファに飛び散っていた。ネプチューンが、自分の頭を銃で撃ち抜いたのだ。しかし即死じゃない。まだサイキック・ウェーブがある。
俺はぐったりした彼女の手から銃を回収し、頭部へ数発撃ち込んだ。
人の命を奪うのは初めてじゃない。
なのに、ブルブルと手が震えた。この感情はおそらく恐怖ではない。後悔でもない。怒りだ。しかも、個人へ向けての感情じゃない。全体だ。この社会だ。世界だ。
俺は呼吸を繰り返し、ピクリともしなくなった彼女の亡骸を見つめた。
数秒前まで会話していた相手が、ただのモノになっている。
もう少し、彼女の歌を聞いていたかったのに。
俺は冷蔵庫からビールを取り、ソファの脇へ添えた。
雨がいつまでも鬱陶しい。
*
バンに乗り込むと、ジョン・グッドマンがラジオを聞いていた。
赤羽メディカル工業がフェストを蔓延させたという噂が広がり、株価が急落していること。赤羽側は噂を否定していること。厚労大臣の佐竹久造が「必要であれば調査の用意がある」と当たり障りのないコメントを出したこと。そんなことをアナウンサーが淡々と伝えていた。
ドアを閉めると、タイヤが砂利を掻き始め、ゆっくりと車が動き出した。
流れ落ちる窓ガラスの水滴。ムキになって駆動するワイパーの音。低く唸る遠くの雷鳴。ドライバーの咳払い。自分の溜め息。
大袈裟だ、すべてが。
やや混濁した意識では、なにもかもがノイズに感じられた。
酒なんか飲むんじゃなかった。
最後に触れた彼女の手は、ひんやりとしていた。か細くて、戦いに向いた手じゃなかった。銃なんて握ったこともなかったのだろう。
とはいえ、ほかにやりようもなかった。
この結果は避けられなかったのだ。
*
センターにつくなり執務室へ報告に入った。
「終わったよ」
「お疲れさまでした」
用件はそれで済む。
しかし俺は、雨でずぶ濡れになり、腰に銃をぶらさげたままソファへ腰をおろした。
「ひとつ聞いていいかな? なんで今回の仕事を受けたのか」
「はい」
各務珠璃も作業を切り上げ、俺の対面に腰をおろした。
彼女の言い分はこうだ。
「じつはターゲットから指名が入ったんです」
「指名?」
「もしやるなら、ぜひうちで引き受けて欲しいと」
「それが彼女の希望だってのか?」
「もし断れば、例の浪人さんたちが出ますから……」
あんなヤツらに触れさせるのは、俺としても絶対にゴメンだった。きっと余計なことまでする。
だからうちで引き受けたことで、最低最悪の事態は回避できたのだろう。しかし、だからといって手放しで喜ぶつもりにはなれない。もっと賢いやりかたがあったはずだ。たとえばみんなを説得して、彼女を強制的に保護するとか……。
各務珠璃は遠慮がちにこう続けた。
「本当でしたら、事前に皆さんと話し合うべきだったのですが、なにせ急なものでしたから……」
「いや、いいよ。分かってる。あいつらいつも急だから」
というより、急にやらないと、情報が漏れてよそから横槍が入る可能性がある。だから仮に身内であっても、直前まで情報は通達されない。俺たちのような末端は特に。
*
シャワールームで汗を流しながら、俺は何度も昼間の光景を思い出していた。
歌を歌って、そして彼女は死んだ。
土砂降りの雨。雷鳴。血液。
そして缶ビール。
惑星の残りは、ウラヌスとマーキュリー、そしてヴィーナスだけとなった。
まだヴィーナスの姿は見ていないが、死んだという話も聞かないから、どこかでなにかしているのだろう。サターンの佐々木双葉はいちおう含めないでおく。
つまり、あと三人だ。
たったの三人で、業界と戦っている。
ガイアという怪物を使って。
しかし結末は……。
次は誰がターゲットになるのか、それは分からない。分からないが、依頼が来たらやるしかない。正義のためじゃない。エゴのためだ。俺はひとつも正しくない。すべてが終わったら裁きを受けるべきだ。
他人の命を奪って生きている。
なんだか、自分が醜い怪物のように思えてきた。
(つづく)




