陸に溺れる魚 後編
巨大な肉は、まだ飽きもせずこちらへ向けて這いずっていた。
コンクリートに腹を焼かれ、太陽に背を焼かれながら、短い手足で必死に前へ進もうとしている。
涙ぐましい感動的なシーンだ。
俺たちを殺そうとしているのでなければ。
「近づきすぎるなよ」
「分かってる」
俺たちは二手に別れ、巨大な怪物への接近を試みた。
ビュリダンのロバだ。
左右に餌を置かれると、どちらを食っていいか分からなくなり、ロバは餓死する。
まあ実際そんなことにはならないが。二秒くらいはそいつを戸惑わせることができる。
餅がサイキック・ウェーブを高め始めたので、俺も意識を同調させた。
想定より頭がぼんやりするのは熱中症のせいか。
斜めになってのたくっているウーパールーパーの背に、光を背負った大統領が降臨した。
神々しく見えるのは単に太陽のせいだろうか。
ともあれ、ぶよぶよしていた怪物の肉は、さらにぶよぶよにつぶれ始めた。かと思うと、突如として背中から骨の樹木を伸ばし、大統領を刺し貫いた。
いや、その大統領は実在しないから、骨はかすりもせずに空を切ってしまったが。
身動きができなくなった怪物は、今度はどろどろの身体を伸ばし、粘菌のようにこちらへ迫ってきた。
もはや動物だか植物だか分からない。大統領の与えた「死」に抵抗しようとして、身体の進化が滅茶苦茶になってしまっている。
俺はサイキック・ウェーブで追い払おうとしたのだが、まったく触手に影響を与えることができなかった。力を使いすぎたかもしれない。意識が朦朧としている。
判断が鈍っていたせいか、足元のそれを俺は真上から踏みつけた。おそらくダメージはあったのだろう。敵の動きがとまった。が、ふたたび踏みつけようと足をあげると、その足を絡めとられた。
武器はない。
触手は馬鹿力というわけではなかったが、粘着力が強く、ダクトテープのようなしつこさで絡みついてきた。
助けを求めようと天を見上げたが、大統領の姿はすでにナシ。太陽がこちらを見下ろしているだけだ。
自力では脱出できそうにない。
もちろん諦めるつもりはないが、しかし頑張ればなんでもできるわけではない。ヘタに暴れると体力を消耗する。ただでさえ熱にやられているのに。
消沈していると、ふっと体が軽くなった。
気絶したわけではない。
死んだわけでもない。たぶん。
その代わり、体が血まみれになっていた。いや、血液ではなく細胞だ。俺に絡みついていた触手が崩壊したらしい。しかし崩壊したのは先端だけ。本体は相変わらず山をなしている。
「二宮さん、大丈夫?」
そばに立っていたのは餅だった。
彼女がやったのか……。
「助かったよ」
「そこにいて。私、あいつ倒してくる」
「えっ? いや、危ないぞ。行かないほうがいい」
「でも、あのままじゃ……」
会話の最中、すでに異変に気付いていた。
影ができていたのだ。
なにかが、俺たちと太陽の間をふさいでいる。
そちらへ目を向けた瞬間、天高く伸びた骨の樹木が、俺たちへ向けて倒れてくるところだった。まるでスローモーションのように。
隣に立っていた餅が消えて、間髪入れず樹木がそこに現れた。ズゥンと重たい音。
そして静寂。
俺はそのとき音で耳をやられていた。爆音を聞かされてライブハウスを出た直後のような、水中で音を聞いているときのような、不明瞭な感覚。
視線を落とすと、餅の体の一部が転がっていた。
木っ端微塵になった少女の姿がフラッシュバックした。
次に頭をよぎったのは、自分勝手な言い訳だ。
それは「きっと誰にもどうしようもなかった」であり、あるいは「もし最善を尽くしていても、この事態は避けられなかった」だ。
本能が、必死で自分をなだめようとしていたのだろう。そうでもしなければ、この状況を受け入れられそうになかった。
いや、それでも俺がまだ冷静でいられたのは、彼女のサイキック・ウェーブが感じられたからだ。
俺はコンクリートに這いつくばり、必至で肉片をかき集めた。血液だけは手からこぼれてしまう。しかし可能な限りそうした。幸い、あまり遠くへは飛び散っていない。
熱を感じる。
どこかどこやら分からないが、俺は肉を見つけ次第急いでそこへ置いた。
肉片は互いにくっつきあい、彼女は回復を始めた。
ただし上半身だけだ。
彼女はやがて呼吸を始めた。かと思うとゲホゲホと咳き込んで、口からドス黒いものを吐き出した。
「だ、大丈夫か? 生きてるか?」
「……」
餅は青白い顔で力なくこちらを見て、苦しそうに呼吸を繰り返している。
返事がなくとも分かる。生きている。しかしサイキック・ウェーブは弱々しいままだから、早く手当しないと危ない。
ひとまず下半身の肉を探さなくては。
俺は骨の樹木を乗り越え、向こう側へおりた。下半身の一部はすぐに見つかった。しかし左膝から下がない。完全につぶされてしまったか。
見つかっている部分だけを肩に担ぎ、俺はまた樹木を乗り越えた。
こぼれてしまった内臓はもう仕方がない。運べるぶんだけでも運ばなくては。
下半身を与えると、彼女は少し回復したようだった。
「痛い……」
泣きそうな声が出した。
ただ、声を出してくれたことが嬉しくて、俺も思わず涙ぐんだ。
「すぐ連れて帰る。持ち上げても大丈夫か?」
「たぶん……」
距離のせいだと思うが、ウラヌスとも車とも無線がつながらない。
俺は痛がる餅に構わず、なかば強引に背負った。
巨大な肉を迂回しないといけないから、リムジンまで直進はできない。さっきの攻撃で力尽きたと思うのだが、まだサイキック・ウェーブは感じる。
熱を帯びたアスファルトが、蜃気楼を見せていた。
ふらふらしてぶっ倒れそうだが、いま転ぶわけにはいかない。餅まで傷つけてしまう。鼻や口からは血液を流しているし、左足の回復も遅い。だいぶ生命力が低下しているのだろう。
ウラヌスが駆け寄ってきた。
「無事か? マーキュリー、車を寄せてくれ! 早く!」
運転手はマーキュリーだったのか。
とはいえ、そんなことに感心している余裕はなかった。
リムジンが来ると、俺は餅をウラヌスに託してその場に崩れ落ちた。水が飲みたい。
爆音が近づいてきて、通り過ぎた。
バイクだ。
対策本部が青村放哉に依頼を出したのかもしれない。瀕死の怪物は、彼に任せるとしよう。くたくたでなにもできそうにない。
「大丈夫か? もう撤収するが……」
「分かってる」
俺は這うようにしてリムジンに転がり込んだ。
床にへたり込んだまま水のボトルを受け取り、一気に飲み干す。
ソファに横たわった餅は、虚ろな目でぼんやりしている。サイキック・ウェーブは弱まる一方だ。病院に連れて行くべきだろうか。あるいはセンターでいいのだろうか。
ウラヌスがなにか通信をしている。
俺は目をつむり、少し眠ることにした。
*
物音で目を覚ました。
リムジンとはいえ床の寝心地はあまりよくなかったらしく、体の節々が痛んだ。俺以外に乗客の姿はナシ。ドアが開いている。いつの間にかセンターに到着していたらしい。餅はすでに運び出されている。
俺が身を起こすと、ちょうど顔を覗かせたジョン・グッドマンと目が合った。
「お、二宮どの。目を覚ましたでござるか」
「餅は?」
「いま中へ運び込んだところでござる」
「生きてますよね?」
「もちろん」
そう応じたジョン・グッドマンは、しかし浮かない顔をしていた。
俺はなんとか立ち上がり、車からおりた。
相変わらずの日差しだが、それでも郊外だけあって焦熱地獄というほどではない。
センターの手前でウラヌスと出会った。
「もう歩いて平気なのか? 負傷者は中だ」
「あんたはどうするんだ?」
「帰るさ。レポートを提出しないといけない」
俺はそれだけ聞くと、うなずいただけでその場を離れた。餅の様子が気になって仕方がなかった。
生活スペースは騒然としていた。
寝かされた餅の周囲を、鐘捲雛子とシスターズが取り囲んでいたのだ。まるで息を引き取る直前の少女を、家族が見守っているみたいだ。
すると、鐘捲雛子が猛然と近づいてきた。
「二宮さん、どういうこと!?」
「えっ?」
「とぼけないで! なんでこんなことになったの?」
まるで自分だったら助けられたみたいな言い草だ。
さすがに不愉快だった。スリッパに履き替えるのさえイライラする。
「知るかよ」
「なにその態度? 前から思ってたけど、二宮さん、他人のこと低く見てるでしょ? だから人の意見を受け入れないし、それが弱点にもなってるのに。自分のこと過信し過ぎなのよ」
「君はいつもそうだな」
「なにが?」
「こちらの事情も知らずに、勝手なことばっかり。だったら君が出たらよかっただろ? そんなに自信があるなら」
「そういう言い方、卑怯じゃない? 私だってできることはやってる」
「俺だってやってるんだよ! けど、どうしようもなかった! 現場を見てもないのに、分かったようなこと言うなよ!」
「なんでそっちが怒るの……?」
思わず大声を出してしまった。
彼女はびっくりしたようにしゅんとしている。
言い過ぎたかもしれない。
いや、でも彼女は本当に勝手だ。いつもいつも。もちろん俺は完璧な人間じゃない。が、そんなことをいま言われても仕方がない。
俺は吸い込んだ空気をすべて溜め息に変えた。
「俺だって後悔してるんだ。あまりワーワー言わないでくれ」
「でも……」
不満があるのは分かる。
ただ、やり場のない気持ちを抱いているのはこちらも一緒なのだ。
シスターズが哀しげな瞳でこちらを見ていた。
俺は逃げるようにシャワールームへ向かった。
*
少しぬるめのシャワーを浴びた。
怪物の細胞や餅の血液で体がベトベトだ。強烈なサイキック・ウェーブにアテられ続けたこともあり、頭の感覚もずっと変な感覚。体が変異していないのは奇跡かもしれない。
壁に寄りかかりながらぼうっと湯を浴びていると、少しだけ気分が回復してきた。
シャワールームを出ると、廊下で機械の姉妹の待ち伏せにあった。
「少しいいですか?」
「なんだ?」
彼女が歩き出したので、俺もそちらについていった。
階段をあがり、屋上の手前で足を止めた。
「惑星がグランドクロスと呼ぶ現象についてですが……」
「なにか問題が?」
彼女は言いづらそうだ。人にも聞かれたくないのだろう。だからこんなところまで移動した。
「あれは生命のあり方を捻じ曲げる行為です。敵だけでなく、現場に居合わせた全員が影響を受けかねません」
つまりは俺や餅も、ということか。
いまのところ体は変異していないように見えるが。
彼女はいちど階下へ目をやり、誰も来ていないことを確認してから言葉を続けた。
「餅やアッシュのサイキック・ウェーブを過去のデータと照合したのですが、固有パターンに微細な変化が見られました」
「えっ?」
「少し言いづらいのですが、二宮さんもそうです」
「俺も?」
「ただし、二宮さんの場合、当初からずっと変化し続けているので、グランドクロスの影響かどうかは分かりません。けれど、姉妹の変化は初めてです。今後はなるべく控えたほうがいいのではないかと」
影響が少ないうちにやめておいたほうがよさそうか。
*
生活スペースに戻ると、神妙な表情をした鐘捲雛子が近づいてきた。
「さっきはごめんなさい。言い過ぎたと思う。ショックで少し気が変になってて……」
ずいぶん反省が早い。シスターズになにか言われたのか?
正直、あそこまで言われる筋合いはなかったし、すぐに許す気にもなれなかったが、争いを続けるのも賢い選択とは思えなかった。
「まあ分かったよ。お互い、水に流そう。餅の様子は?」
「眠ってる……と思う」
もちろん死んではいない。気絶している可能性はあるが。
しかし、あの攻撃を受けたのが餅だったからなんとかなったものの、もし他の誰かであれば即死していたことだろう。今回の件は、不幸中の幸いだった。
各務珠璃が不安そうな表情で入ってきた。
「いま赤羽さんから連絡があって、自分たちなら治療できるから、預かってもいいって……」
クソみたいなタイミングで、クソみたいな提案をして来やがる。
鐘捲雛子も眉をひそめた。
「待って。ダメだよ。そんなこと。絶対にダメ。まさかオーケーしちゃったの?」
「いえ、保留にしてます」
「だったら断って。あんな人たちには預けられない」
「でも、そうすると治療は……」
「私が看病する」
まあメシさえ食わしておけばいずれ回復しそうではあるが……。
いつもならとっくに治っているであろう足が、まだ回復していないのが気になる。もしかして、体の変異が影響しているのだろうか。あるいは体力の低下が原因か。
なにも分からない。
俺にもっと力があれば、こんなことにはならなかったのに。
例のセンターみたいに薬で能力をあげたいわけじゃない。必要なのは武器だ。それも、圧倒的な破壊力。一撃で存在を崩壊させるような、新技術。
スポンサーに打診してみるか。ダメならダメでいい。やれそうなことはすべてやらなくては。
(つづく)




