陸に溺れる魚 前編
しかし決して順調には行かなかった。
ある日、俺たちは新たな「仕事」をこなしていた。
いつからこんな破壊工作を仕事として受け入れるようになったのかは自分でも思い出せないが。
ともあれ、指定通りに赤羽の施設を襲撃し、まずはミスもなくサンプルの破壊に成功した。ビーストさえ起動させずに、だ。
死者はゼロ。
「楽な仕事だったな。いつもこうだといいのだが」
ウラヌスが息を吐いた。
濃い青空。力強い入道雲。強烈な日光が燦々と降り注ぎ、コンクリートやアスファルトを容赦なくあぶっている。
夏だ。
こうなってみると身を守るための防護服が鬱陶しくて仕方ない。暑すぎて、戦闘の前に熱中症で倒れかねない。夏用の装備はないのだろうか。
俺はクーラーの効いたリムジンに乗り込み、タオルで汗をぬぐった。
「あのサンプルってのは、いったいいくつくらいあるもんなんだ? 壊しても壊しても、どうせまた作られるだけなんでしょ?」
「おそらくは赤羽の資金が尽きるまで、だろうな」
ウラヌスは肩をすくめた。今日も涼しそうなアロハシャツを着ている。
本日は、俺とウラヌスのほか、餅も同行させていた。クソ真面目に防護服を着ているのは俺だけで、餅はフリルのついたワンピースだ。
なんにせよ、言われた仕事は済ませた。
あとはビールを飲みながら帰るだけになるはずだった。
車が出発すると、間もなく無線が入った。
『本部より現場。本部より現場。別動隊が作戦に失敗。至急リカバーに回れ』
俺はついきょとんとしてしまった。
別動隊の話なんて聞かされていない。そいつらが「誰」で、いったいどんな「作戦」をやっていたのかさえ分からない。
少なくともサイキストからは誰も出していない。米軍でも雇ったのだろうか。
ウラヌスが天を仰いだ。
「なんてことだ……」
「状況を説明してくれないか?」
「聞いただろう。失敗だ。ただちに救援に向かう」
いつもは丁寧な運転のリムジンが、にわかにスピードをあげた。
俺は取り出したビールをやむをえずクーラーボックスに戻し、ソファに座り直した。
「誰がどこでなにをしてたのか、詳しく教えてくれ」
するとウラヌスはうるさそうに顔をしかめた。
「マーズとジュピターがサイコ・バキューム奪取のために裏で動いていた。そいつが潰されたんだろう」
「聞いてないぞ」
「うちの案件だ」
「うちの案件? つまりはあんたらのプライヴェートな問題ってことだよな? だったらこの車は、なぜその現場に向かってるんだ?」
「……」
軽率なマネしやがって……。
可哀相に、餅がどうしていいか分からず困ってしまっている。できればスケジュール通りに進行して欲しいものだ。
ウラヌスが急にすがりついてきた。
「手を貸してくれ! 仲間だろう!?」
「情報もよこさない仲間とは」
「うまくいくはずだったんだ! 頼む!」
「情で死ぬのはゴメンだが。まず先に確認しておきたい。その仕事は対策本部からの依頼か? それともあんたらの独断か?」
「依頼だ! 勝手にやれるわけないだろう!」
最低限のマナーは守っているというわけか。ただでさえ犯罪行為のような仕事を繰り返しているのだ。対策本部の後ろ盾ナシにそんなことをすれば、間違いなく警察にパクられる。
俺は溜め息を噛み殺した。
「分かった。手を貸す。ただし危なかったらすぐ撤収すると約束してくれ」
「同志を見捨てる気か!?」
「そこまでは請け負えない」
だいたい、サイコ・バキュームなんて手に入れて、いったい誰を復活させるつもりだったのだ? ガイアか? いや、その前にプルートを解放しないといけないはず。だから別の誰かだ。まさか大統領ではないと信じたいが。
*
太陽は手加減なく大気まで熱している。おかげでそこら中の景色がゆらめいて見えた。
巨大な倉庫だ。
まだ距離があるので内部の詳細は分からない。一つだけ分かるのは、強烈なサイキック・ウェーブが発せられているということだけ。おそらくはビーストのものだろう。かなり危ないのがいるに違いない。
俺は餅に告げた。
「君はここで待っていてくれ」
「えっ?」
くりくりした目をさらに大きくして、きょとんとした表情。
「留守番だ。さすがに危ない」
「なんで? 私だって強いんだよ?」
もちろんだ。俺より強い。
けれども、ビーストの発するサイキック・ウェーブから考えると、餅を危険にさらしてしまうのは間違いない。あのビルのときみたいに、彼女が傷つく姿を見たくなかった。
それに、今回は切り札もある。風間菖蒲が送り付けてきた「サイキック・グレネード」なる武器だ。ピンを抜いて投げ込むと、内部のサイキウムが破裂し、周囲にサイキック・ウェーブを放出する。ビーストを変異させることも可能。ヘタするとこちらまで変異しかねないから、じゅうぶんな距離を取っておかねばならないが。
すると餅はぐっと眉に力を込めた。
「絶対について行くから。二宮さんと違って傷だってすぐ治るし、力も強いんだから」
言っても聞かなそうだ。
「分かった。ただし、許可するまで前には出ないでくれ。今回は銃だけでなく、爆弾も使うからな」
「うん」
そもそも、留守番しろというのは俺の傲慢だ。弱小な俺が守ってやってるつもりになっているのがおかしい。それでも不安なのは、彼女が状況を冷静に見極められるか、だ。アッシュよりはマシだとは思うのだが……。
ウラヌスが険しい表情でP228を構えた。
「行くぞ。時間がない」
「オーケー」
俺もCz75を抜いた。
ビーストのサイキック・ウェーブが少しずつ乱れている。俺たちの気配を察したのだろう。
倉庫に近づくと、むっと血液のにおいが強くなった。マーズやジュピターだけでなく、ここの労働者たちも殺されたのだろう。中ではビーストがじゅぶじゅぶと不快な音を立てている。ランチタイムのようだ。怒りながら死体を貪っている。
少し覗き込むと、そいつは信じられないほどデカかった。ゴリラや熊なんてレベルじゃない。体毛のあるクジラがうずくまっているかのようだ。
倉庫の搬入口は、トラックが出入りできるサイズになっている。が、ビーストの身体はその枠にぶつかりそうなほどだった。外部から持ち込まれたのではない。マテリアルから変異したものだ。そして俺の気のせいでなければ、そいつはいまなお巨大化しつつあった。
あまり大声を出せないので、俺はヘッドセットに告げた。
「ウラヌスさん、こいつをどうするって?」
すると反対側から倉庫を覗き込んでいるウラヌスから、溜め息交じりの返事が来た。
『言うまでもないだろう。駆除するんだ。仲間のカタキを取る』
「俺は冷静じゃないヤツとは組まない主義なんだが」
『冷静だ。サイコ・バキュームさえ回収できれば、マーズたちを蘇生できる』
「俺が聞いてるのは、勝算があるのかってことだ」
勝ったあとのプランなんか聞いちゃいない。
ウラヌスはこちらへ強い視線を向けてきた。
『グレネードを投げ込んで、撃つ。ほかになにかあるのか?』
「ない。合図してくれ。そのタイミングで仕掛ける」
もしビーストが俺たちを殺そうと思っても、倉庫から出られずもがき続けるだろう。おそらく数秒間は。その間に倉庫の反対側まで回り込み、中へ逃げ込む。そうするとまた数秒の時間を稼げる。
ウラヌスがグレネードを手に、指を掲げた。カウントダウンだ。
三、二、一……。
ピンを抜き、俺は全力で投げ込んだ。
そいつがどんな軌道で飛んだのかを見届ける余裕なんかない。ただ、ビシャッと水溜りにでも落ちるような音がした。かと思うと、パァンと爆ぜる音が響き、ぐわーっとサイキック・ウェーブが広がった。
足元の地盤がガクッと落ち込むような錯覚。青すぎる空。意識も軽く飛びかけた。
数秒間、ぼうっとしていた。
俺の体は変異していない。
敵に効果はあっただろうか?
覗き込もうとした瞬間、バァンと派手な音がして、俺はわけも分からず押しのけられた。
気のせいでなければ、壁がすっ飛んできた。
俺はガシャンガシャンやかましい音を聞きながら、焼けたアスファルトの上を転がされた。防護服がなければ皮膚が削れていたことだろう。銃はどこかへ落とした。
なんとか状況を理解しようと、俺はよろけながら立ち上がった。
奇跡的に頭は打たなかったようだ。目は回っているが。
倉庫の壁が一部剥がれて、俺の近くに転がっている。倉庫はもちろん壁を失っている。そして中からは、信じられないほど巨大な肉が突き出していた。あまり長くない指が五本。カタツムリの触覚みたいに蠢いている。
ゴリラの姿は失ったが、ドロドロになりかけた肉が、なんとか人間の体を保っている状態かもしれない。
ふしゅー、ふしゅー、と大仰な呼吸音がする。
一緒に転がされたらしい餅が近づいてきた。
「お洋服、破けちゃった」
フリルのついたかわいい服が台無しだ。
「終わったら新しいのプレゼントするよ」
「うん」
たぶん怪我したはずだが、すでに身体は回復しているから無傷に等しい。
倉庫の搬入口から、ぐっと白い頭が突き出してきた。ぶよぶよの肉。魚類のような巨大な眼球が、こちらを見つめている。口や鼻はどこにあるのかさえ分からない。
もしかすると、本当にクジラになるはずだったのか?
ウラヌスは腰を抜かして呆然としている。
サイキック・ウェーブの感じからすると、中で「フェスト治療システム」が起動しているらしかった。そいつがビーストに悪影響を与え、あそこまで肥大化させることになったのだろう。
いったいどこのボンクラが持ち込んだのかは不明だが。
金属の悲鳴のような音がして、今度は搬入口のシャッターがひしゃげた。
のそ、のそ、と肉が這い出して来る。
焼けたアスファルトの海をクロールする巨大なウーパールーパーのようだ。本来なら二本足で俺たちを追いかけ回すはずだったのに。
いや、移動はのろく見えるが、それでも人間の歩行ほどの速度はあった。もたもたしていたらつかまってしまうだろう。
「こっち来るよ」
さすがの餅も不安そうだ。
「距離を取ろう」
少し体を動かすだけで、節々がうっすら痛んだ。おそらくピンチでアドレナリンが出ていてコレなのだから、あとでひどく痛むんだろう。想像しただけでうんざりだ。
銃はどこに転がったか不明。周囲にはいろいろなものが散乱しているから、アスファルトに拳銃が落ちていても目立たない。
かといって石と棒切れで戦うわけにもいかず。
暑さと緊張で呼吸が苦しかったが、俺たちはできる限り距離をとった。
小さな倉庫の裏手に回り込み、日陰で呼吸を整える。
居場所は特定されているかもしれないから、いつまでも安全とは言えないが。
「どうするの?」
こちらを覗き込んでくる餅も、汗びっしょりだ。
俺も水分を失って吐きそうになっている。
「残念ながらノープランだ」
「私、サイキック・ウェーブ仕掛けてみていい?」
「あまり近づきすぎなければ」
とはいえ、餅だけにやらせるつもりはない。
彼女がやるなら俺も仕掛ける。
先日のビーストのように、細胞のスープに戻せるかもしれない。その後どうなるかは分からないが。
いずれにせよ、いつまでも追いかけっこを続けているわけにはいかない。
(つづく)




