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『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドなどいらない』  作者: 千石 かしる


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第二十六話:『断罪の黒煙、崩壊の象牙塔』 第三節:灰燼の脱出行、星霜の道標

 換気通路を抜けた先、4人の視界に飛び込んできたのは、かつて白亜を誇った学術都市アレキシアの断末魔だった。


 頭上を覆う都市規模の導魔天蓋は完全に崩壊し、紫黒の魔力嵐が渦巻く空から、黒炎を引いた瓦礫と大理石の破片が無慈悲に降り注いでいる。

 高名な魔導研究棟の尖塔群は、重力杭の直撃によって中央から両断され、大地を揺るがす地響きとともに次々と倒壊していく。

 避難警報が鳴り響く街路には、権威と秩序を誇っていた教授や学生たちが我先にと逃げ惑い、純血魔導学派の防衛機構は機能不全のまま火花を散らして沈黙していた。


「……外郭導魔橋まで、残り400メートル!」


 ルシアンが先導しながら鋭く叫んだ。

 青年の右目にある『アナライザー・モノクル』のレンズには、崩落の落下予測軌道と、上空から降り注ぐ不可視の魔導糸の張力ベクトルが、激しい赤の警戒グリッドとなって高速展開されている。


「直進は不可能です! 上空の糸が第2研究棟の残骸を巻き込み、15秒後に広場全域を押し潰します! ……右側の側溝アーチへ迂回してください!」


「了解! ルシアン、指示通りに切り抜けるよ!」


 アリアがアルビオンの柄を握り直し、身軽に瓦礫の斜面を滑り降りた。

 その直後、4人が先ほどまで立っていた石畳を、切り刻まれた数百トンの巨岩が一瞬で押し潰し、白煙の粉塵が視界を覆い尽くした。


「おいおい、冗談じゃねえぞ! 街ごと更地にする気満々じゃねえか!」


 リンが額の汗を乱暴に拭いながら、横合いから迫ってきた巨岩へ踏み込んだ。

 放たれたのは、右の縦拳――『緋金剛・砕霊甲』のナックルプレートが硬質な大理石を真っ向から撃ち抜き、外殻を一撃で粉々に爆砕する。

 瓦礫の破片を弾き飛ばしながら、リンは切迫した空気の中、視線をアリアへと走らせた。

 その鋭い琥珀色の瞳には、荒っぽい口調の裏に、先ほど胸を押さえて倒れ込んだ親友を心底案じる痛ましさが滲んでいた。


「アリア、あんたの胸はもう大丈夫かい!? 無理してねえだろうな!」


「大丈夫……! さっきの痛みは引いた! それに……」


 アリアは走りながら、胸元の服をぎゅっと握り締めた。

 空を仰ぎ見れば、遠ざかっていく大図書館の上空に、漆黒の外套をはためかせるあの青年の影がまだ小さく見えていた。


「……あの人の痛みに比べたら、こんなの何でもないよ」


 少女の瞳には、迷いも恐怖もなかった。

 百年前、救世の旅の果てに仲間を皆殺しにされ、愛する少女の冷たくなっていく亡骸を抱き締めるしかなかった勇者。

 この破壊の嵐は、彼が百年間誰にも言えずに抱え続けてきた、あまりにも哀しい慟哭そのものなのだ。

 立ち止まっている暇はない。

 彼がすべてを更地にしてしまう前に、帝国の欺瞞を暴き、この狂った世界の根底を正さなければならないのだから。


「皆様、前方から学府の自律魔導防壁が暴走して迫ってきます!」


 フィリアの声が響いた。

 広場を抜けた先、外郭導魔橋の入り口を塞ぐように、制御を失った深海黒鋼の防壁が火花を吹き上げながら無秩序に展開し、四方を鉄の刃で塞ぎ止めていた。


「正面突破です! リン、アリア殿下、力を貸してください!」


 ルシアンがアストロラーベ・ワンドを突き出し、遊星歯車を臨界まで回転させた。


「防壁の循環核、座標捕捉! 四元素励起――【幾何構造脆弱化コード】!」


 杖先から放たれた数理の光条が、防壁の中心へ突き刺さる。

 暴走していた魔導装甲の結合力が一瞬にして緩み、金属の継ぎ目に青白い亀裂が走った。


「そこだッ! ぶち抜くよッ!!」


 アリアが跳躍した。

 左腰から抜き放たれた『蒼水直剣アルビオン』が、清廉な蒼い光の軌跡を描き、亀裂の走った装甲の中心を電光石火の刺突で穿つ。


「どきなァッ!!」


 間髪を入れず、追随したリンが懐へと潜り込んだ。

 今度は拳ではない。

 踏み込みとともに放たれた左の手のひら――金属装甲の隙間へ押し当てられた掌底から、高圧蒸気シリンダーの排気とともに、内部のマナ流路を直接破砕する『浸透勁』が叩き込まれた。


 装甲の内側から圧縮された魔力が破裂し、巨大な防壁が一瞬にして四散した。

 吹き飛ぶ金属片を、フィリアが展開した金色の聖神障壁がすべて弾き飛ばす。


「行けます! 橋の向こうへ!」


 砕け散った防壁の隙間をくぐり抜け、4人は外郭導魔橋へと飛び出した。

 白い大理石の橋の向こう岸、事前に手配してあった蒸気魔導馬車が、機関部から白煙を吹き上げながら待機していた。

 御者台の合図とともに、4人は滑り込むように馬車の後部座席へと乗り込んだ。


 扉が固く閉ざされ、車輪が石畳を激しく噛んで急発進する。


 車窓の後方。

 百年の繁栄を誇り、帝国の知性の頂点と謳われたアレキシア学術都市の中枢が、黒煙と業火の中に呑み込まれ、音を立てて瓦解していくのが見えた。


 ルシアンは窓辺に立ち、崩れ去る母校の姿を静かに見つめていた。

 青年はスレートチャコールの外套の内懐に手を当て、耐火ケースに収められた真実の重みを確かめる。


「……終わりましたね、僕の過去が」


 その横顔には、かつてのアカデミー首席としての傲慢や迷いは微塵もなかった。

 眉根をわずかに引き締め、冷徹な理知の奥に揺るぎない覚悟を宿した青年の表情は、理不尽な世界と戦う一人の漢のものだった。


「ルシアン……」


 アリアが声をかけると、ルシアンは振り返り、眼鏡のモノクルを指先で整えながら、力強く頷いた。


「後悔はありません。……僕が救いたかったのは、あのような偽りの象牙の塔ではなく、エレノア様が夢見た、誰もが笑って暮らせる温かな世界ですから」


 リンがシートに深く背を預け、息を吐き出した。


「さて……これで証拠は手に入った。次はどうするんだい、参謀? この血塗られた紙片を、どこへ持っていく?」


 ルシアンの表情が、静かに引き締まった。

 青年は手元の地図を広げ、低く告げた。


「この顛末書に記されていた通り、百年前の謀殺を主導したのは帝国だけではありません。……聖女の奇跡の血を独占し、神樹の不老延命システムを維持するために、英雄たちを裏切ったもうひとつの元凶。神樹聖教の欺瞞の総本山――神都『セイント・シルフィリア』です」


 ルシアンの視線が、フィリアへと向かう。

 フィリアは自らの胸元――神樹の加護を受けたと信じ込まされてきた聖女の刻印を、痛みを堪えるように両手で強く抱きしめていた。


「ですが、魔王軍の更地化により都市外郭の街道も封鎖されています。……まずは学府の追撃の手が届かない、外郭の旧薬草園跡――樹海区画へと馬車を寄せ、体勢を立て直しましょう」


 崩壊する象牙の塔を背に, 蒸気馬車は霧煙る外郭の樹海へと姿を消していった。

 そこで待ち受ける、さらなる残酷な真実を知る由もなく。


(第二十六話 完 / 第二十七話へ続く)


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