第二十六話:『断罪の黒煙、崩壊の象牙塔』 第二節:神話の災厄、蹂躙される欺瞞
大ホールのドーム天井を覆っていたステンドグラスが、内圧に耐えかねたように外側から内側へと一瞬で破断した。
降り注ぐ色ガラスの豪雨を切り裂いて垂直に投下されたのは、全長数十メートルに及ぶ漆黒の重力杭――かつてダンカンが振るった八角鉄製金砕棒の幾何学構造を、魔素の呪詛によって極限まで肥大化させた質量兵器『黒骸の断罪柱』だった。
大ホールの中央、大理石の壇上へと突き刺さったその瞬間、火薬のような爆発音すら生じない。
ただ、空間の質量そのものが底抜けしたような破壊的な圧搾が生じ、周囲に配備されていた幾何学魔導砲台が、台座ごと一瞬にして平らな鉄板へと圧し潰された。
「ひ、ぐああああっ……!?」
吹き飛ばされた警備兵たちの悲鳴が、反響する間もなく掻き消える。
壇上にいたバルトロメウスは、白銀の法衣を泥と瓦礫で汚しながら這いずり回り、見上げる空へ向けて狂乱の叫びを上げた。
「都市の絶対天蓋はどうしたのだ!? アレキシアが誇る三重連環の不可侵障壁は……ッ!」
老教授の叫びへの答えは、頭上に広がる空そのものが証明していた。
学術都市の全域を覆っていたはずの巨大な導魔力場は、すでに存在しなかった。
空を裂くように張り巡らされていたのは、肉眼では捉えきれないほど極細でありながら、空間そのものを切り刻む漆黒の線――『魔導複合糸』の巨大な蜘蛛の巣だった。
エレノアがかつて平民のインフラのために夢見た「摩擦ゼロの張力分散理論」。
それが百年の怨嗟によって歪められ、かつて彼女を裏切り、その技術を奪い取った学問の都の天蓋結界を一瞬にしてすべて締め上げ、内側から剪断・切断していたのだ。
「……エレノア様の、理論……」
ルシアンの唇から、震える声が零れ落ちた。
右目のアナライザー・モノクルが、天空を満たす黒い幾何学配列を捉え、青いグリッドが激しく警告を発している。
かつて愛する仲間たちのために捧げられたはずの技術が、彼女を死へ追いやった都市を粉砕するための絶対の断罪として、天から降り注いでいた。
空の裂け目。
黒煙が渦巻く上空数百メートルの虚空に、重力の一切を無視して静止するひとつの影があった。
漆黒の外套を夜風にたなびかせ、感情の一切を削ぎ落とした白い能面を被った青年。
その胸元には、禍々しい闇の魔力を内側から清らかに抑え込むように、透き通った真紅の結晶――クラリスが命を賭して託した『最後の奇跡』の残滓が、世界で最も哀しく脈動していた。
魔王――初代勇者、レン。
男は、足元で崩壊していくかつての世界の知性など、一瞥すらしていなかった。
感情を喪失した虚空を見据え、ただ静かに右手の人差し指を天へと掲げる。
その無言の指先が命じると同時に、都市の空を埋め尽くしていた無数の魔導糸が一斉に引かれ、大図書館を支える大理石の外壁が、まるで豆腐のように四角く切り刻まれて崩落を始めた。
「あ……あぁ……っ」
アリアは、左胸を強く掻きむしりながら、天空の影を見上げていた。
激しいめまいと、胸の奥を引き裂くような疼きが少女の全身を貫く。
恐怖ではない。
あの男が放つ冷徹な破壊の奥底に横たわる、百年間叫び続けても誰にも届かなかった、凍てつくような孤独と絶望が、アリアの魂に直接なだれ込んできていた。
(あの人は……怒っているんじゃない……。ただ、約束を果たせなかった世界を……クラリスのいない世界を、何ひとつ残さずに消してしまいたいだけなんだ……!)
「アリア、しっかりしな! ここにいたら天井ごと押し潰されるぞ!」
リンの怒声が、アリアの意識を現実へと引き戻した。
リンはガントレットの腕部シリンダーを全開にし、頭上から落下してきた大理石の梁を、超振動を込めたアッパー掌底で粉々に粉砕して吹き飛ばした。
「フィリア、防壁を頭上へ展開しろ! ルシアン、脱出ルートの計算だ! 早くしねえと、街ごと更地にされちまうぞ!」
「は、はい……っ! 主の御名において、聖なる光よ、頭上を覆いたまえ――!」
フィリアが祈祷杖を掲げると、降り注ぐ瓦礫の雨を弾き返す半球状の金色の光膜が4人を包み込んだ。
ルシアンは唇を噛み、アストロラーベの遊星歯車を猛烈な速度で多軸回転させた。
「中央階段は外壁の崩落で完全に埋没しました! 回廊東側の換気塔から外郭導魔橋へ抜けるのが、唯一生存確率のあるルートです! ……走ってください!」
「待て……! 待ってくれ、ルシアン……!」
足元から、血に塗れたバルトロメウスの手が伸び、ルシアンのコートの裾を掴もうとした。
かつての傲慢な学派長の威厳はどこにもなく、死の恐怖に瞳孔を開かせた老人が、無様に哀願していた。
「わしを……わしを助けてくれ! お前のその数理なら、わしを連れて逃げられるはずだ! 頼む、主任教授の地位でも何でもくれてやる……!」
ルシアンは足を止め、冷徹な視線を足元の恩師へと落とした。
アナライザー・モノクルの青い光条が、老人の恐怖を無機質に走査する。
「……バルトロメウス教授。百年前、貴方方がエレノア様を追い詰めた時、彼女の叫びを聞き入れた者が一人でもいましたか?」
「な……っ!?」
「自らの犯した罪の重さは、自らの手で受け止めるべきです。……さようなら、僕の過去」
ルシアンはスレートチャコールの外套を冷ややかに払いのけ、老人の手を振りほどいた。
一切の未練を断ち切った青年の足取りは、前だけを見据えて加速する。
崩れ落ちる象牙の塔の破片を背に、4人は東側の換気通路へと飛び込んだ。
背後では、天空から投下された第二、第三の黒杭が、アレキシア学府の中枢を容赦なく地底へと叩き沈めていた。
(第三節へ続く)




