第二十六話:『断罪の黒煙、崩壊の象牙塔』 第一節:鳴り響く警鐘、二重の包囲
地下最深部の冷え切った空気を切り裂くように、ルシアンが耐火導魔ケースの真鍮留め金を静かに噛み合わせた。
中には、百年前の帝国と神樹聖教が血で塗りつぶした『聖戦終結記念・祝勝晩餐会 事後顛末書 兼 逆徒処分報告書』の原本が収められている。
青年はそのケースを、スレートチャコールの『導理の星霜外套』の内懐深くへと収め、ワインレッドの裏地で厳重に包み込んだ。
「……行きましょう。この紙片に刻まれた真実を、暗闇の中に埋もれさせておくわけにはいきません」
ルシアンの声は静かだったが、その底にはかつてない硬質な決意が籠もっていた。
アリアは左手で左腰の『蒼水直剣アルビオン』の鞘を力強く握り締め、拭い去った涙の跡を隠すように前を見据えた。
「うん! あたしたちの手で、必ず外へ持ち出すよ!」
リンが『ギア・ガントレット』の両拳を軽く打ち合わせ、フィリアが祈祷杖を両手でしっかりと保持して続く。
4人は足早に黒漆の書架の間を駆け抜け、先ほど解錠した深海黒鋼の大扉を抜けて、地上へと通じる螺旋昇降機区画へと向かった。
だが、中央大図書館の地下搬送ダクトへと差し掛かった、まさにその時だった。
石壁の内部に埋め込まれた導魔スピーカーから、非常事態を告げる甲高い警報音が空間全体へと放たれた。
『――非常事態警報。禁書区画第1封印の不正規解除を確認。全警備魔導兵、中央大ホールおよび導魔幹線路を完全遮断せよ。侵入者を逃すな』
「チッ、やっぱりバレたか! 大扉を開けた段階で通報網が繋がってやがったな!」
リンが舌打ちし、前方の螺旋階段を見上げる。
段上からは、数十人分の金属装甲が擦れ合う規則正しい足音と、魔導銃の安全装置を外す乾いた撃鉄音が急速に迫ってきていた。
「階段を登りきれば中央大図書館の地上大ホールです。……駆け抜けますよ!」
ルシアンが先導し、4人は螺旋階段を駆け上がった。
重厚な防護扉を押し開き、視界が開けた先――そこは、白亜の大理石の円柱が幾重にも立ち並び、吹き抜けの天井に巨大な金色の星辰天球儀が吊るされた、アレキシア学府の象徴たる大ホールだった。
だが、かつて知性の殿堂と讃えられたその空間は、いまや完全に武装した軍の砦へと変貌していた。
大ホールの出口を塞ぐように整列した百名を超える警備魔導部隊。
手には魔導徹甲弾を装填したライフルを構え、回廊の上層部からは大型の幾何学魔導砲台が4人へと照準を定めている。
そして、大理石の壇上の中央――豪奢な白銀の正装ローブをまとい、冷ややかな視線を投げかけていたのは、ルシアンをかつて直接指導したアレキシア学府『純血魔導学派』の統括教授、バルトロメウスだった。
「……見苦しいぞ、ルシアン・ド・アイテール」
老教授の冷淡な声が、大ホールの高い天井に反響した。
「地方の零細学者貴族の出でありながら、帝国アカデミーの首席にまで引き上げてやった恩を忘れ、泥にまみれた冒険者崩れや異端の拳士と徒党を組むとはな。あまつさえ母校の最も秘匿すべき聖域を荒らすとは、失望という言葉すら生ぬるい」
「……バルトロメウス教授」
ルシアンが一歩前に出た。
青年はスレートチャコールの外套の裾を翻し、右目の『アナライザー・モノクル』越しに、壇上の恩師を真っ向から見据えた。
「お言葉を返すようですが、失望したのは僕の方です。真理の探究を掲げる学府が、百年前から国家の権力に傅き、無害な民のための循環工学を大量殺戮兵器へ歪め、先達の研究を奪い取って隠蔽してきた。代々我がアイテール家が探求してきた星辰の理は、貴方方のような腐敗の蓋の上に座り続ける者たちに差し出すためのものではありません」
「口を慎め、青二才が!」
バルトロメウスが眉を吊り上げ、手にした真鍮の長杖を石床へと叩きつけた。
「無知な平民に力を持たせぬことこそが、帝国の絶対の秩序なのだ! お前が懐に隠したその紙片は、愚民どもの妄動を煽る劇薬に過ぎん! ……ルシアン、貴様にはまだ未来がある。その書類を此方へ渡し、あの娘たちを引き渡せ。そうすれば、学府はお前の罪を不問にし、次期主任教授の椅子を約束してやろう」
慇懃無礼な懐柔の言葉。
だが、ルシアンの口元から零れ落ちたのは、冷ややかな嘲笑だった。
「お断りします。……僕は今日、この瞬間に、帝国アカデミー首席などという虚飾の肩書を完全に捨てました。僕が手にした数理は、貴方方のような寄生虫に傅くためではなく、僕の仲間たちを生きて帰すために使います」
「よく言った、ルシアン!」
アリアがアルビオンの鋒を真っ直ぐに壇上へと向け、全身から蒼いマナを吹き抜けさせた。
「問答無用だ! 全員、四肢を撃ち抜いて拘束せよ!」
バルトロメウスの非情な号令とともに、百本の魔導銃が一斉に撃鉄を起こした――まさにその瞬間だった。
大ホールの敷石の隙間から、細かな塵が一斉に無重力のように浮き上がった。
次いで、白亜の大理石柱の表面に、目に見える速度で幾重もの亀裂が走り抜ける。
頭上に吊るされた金色の星辰天球儀が、異常な重力場の歪みを受けて激しく傾き、館内を満たしていた導魔灯の青白い光条が電圧低下を起こして一斉に消え失せた。
大ホールの天井、美しく彩色されたステンドグラスの外側の空が、真昼であるにもかかわらず、光を一切通さない完全な闇へと沈降していく。
『――緊急警報! ――緊急警報!』
『都市防衛導魔天蓋に未確認の超高密度質量体が接触! マナ圧計測不能! 第一種……いいえ、神話級・天災襲来警報――ッ!!』
構内放送の絶叫が、空間を満たした強烈な魔力嵐によって断ち切られた。
「な、何事だ!? 何が起きている!?」
壇上のバルトロメウスが狼狽えて後退する。
警備魔導兵たちの照準が大きく乱れ、整然としていた陣形は瞬く間に瓦解した。
頭上の吹き抜けを見上げたアリアの肌に、針を刺されたような激しい悪寒が走る。
大気の温度が、吸い込む呼気すら凍りつくような冷気へと急降下していく。
その冷気の中に漂っていたのは、忘れもしない――あの水の都で交錯した、深淵の怨嗟と哀しみの匂い。
空を覆う闇を突き破り、垂直に落下してきたのは、大理石の大聖堂をも粉砕するような複数の漆黒の巨影だった。




