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『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドなどいらない』  作者: 千石 かしる


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第二十三話:『激流の解体線』第二節:三つ巴の激流戦、万象の演算者

 水底30メートルの要塞から緊急排水シャフトを駆け上がり、大運河の中州に位置する石造広場の水面へと飛び出した4人の視界を埋め尽くしたのは、地獄のような光景だった。

 大水門が両断されたことで逆流してきた外海の大濁流が、運河の堤防を軽々と乗り越え、下層民の暮らす低地水路街へと激しい勢いで雪崩れ込んでいる。

 白大理石の豪奢な貴族宮殿群は基礎から削り取られて次々と崩落し、水路には無数の手漕ぎ小舟や筏が、濁流の渦に翻弄されながら木の葉のように漂っていた。

「助けてくれぇっ! 子供が……子供が流される!」

「誰か、船を引き上げてくれ!」

 逃げ場を失った下層の平民たちが、屋根の上や転覆しかけた小舟から狂乱の叫びを上げている。

 だが、彼らを呑み込もうとしていたのは、濁流だけではない。

 決壊した水門の濁流に乗って内水路へ侵入してきたのは、魔王軍の後続――血の匂いに狂乱した、体長5メートルを超える無数の棘皮巨魚と獰猛な肉食海獣の群れ。背びれで泥水を切り裂き、牙を剥き出しにして、逃げ惑う平民たちの小舟へと猛烈な速度で突進していた。

 さらに、その混乱に拍車をかけていたのは、ローゼンベルク家の私兵装甲巡洋艇だった。

「邪魔だ、退けぇ! 貧民の小舟なんぞ構うな! 主砲装填、前方の魔獣ごと吹き飛ばして脱出水路を啓開しろッ!」

 青い薔薇の紋章を掲げた巡洋艇の甲板から、逃亡を図る私兵隊長が高圧的な怒号を飛ばす。

 私兵たちは避難する平民の舟を巻き添えにすることを承知の上で、船首の魔導重カノン砲の砲口を魔獣の群れ――そして、その手前で立ち往生する避難小舟の群れへと向けていた。

「……あいつら……っ! どこまで腐ってやがるんだ……ッ!!」

 リンが緋色の装具の両拳を激しく打ち合わせた。

 膝下に装着された具足の側面ギアが噛み合い、怒りの熱気とともに高圧蒸気を吹き上げる。

「腕のギア・ガントレットと足のギア・グリーブ……名付けて『ギア・フレーム』! 名前をつけてから一発目の出番には、うってつけのクソ野郎どもじゃねえか!」

 アリアは思わず目を丸くし、次いで「その手があったか」と膝を打つような悔しげで感心した表情を浮かべた。

「なにそれ、自分で名前つけたの!? ……ちょっとかっこいいじゃない!」

「へへっ、いいだろ! 」

 緊迫した空気の中、リンの快活な笑みにアリアも不敵に口元を吊り上げ、すぐさま表情を引き締めた。

「全員、行くよ! 誰も死なせない――あたしたちで、全員助け出すッ!!」

 アリアの凛とした叫びが、濁流の轟音を切り裂いた。

 左腰の『蒼水直剣アルビオン』の柄に手をかけ、白銀のポニーテールを夜風に翻す。

 互いの呼吸を知り尽くした4人は、目配せひとつで一斉に散開し、避難民の小舟を中心に取り囲むようにして配置につく。

 先陣を切ったのは、パーティーの参謀にして最高峰の数理を操る魔導士だった。

「……まったく、非論理的極まりない蛮行ですね。自らの民を盾にして逃走とは、門閥の知性も地に落ちたものです」

 ルシアン・ド・アイテールが冷え切った声で呟き、中指で眼鏡のフレームを押し上げた。

 右目のレンズが機械仕掛けの作動音とともに前方へスライドし、青く光る幾何学数式を空中に投影する精密計測の単眼照準器へと展開する。

 手にした細身の儀礼用魔導杖を水平に構え、運河の水流、水温、流速、そして魔獣の生体マナの分布を一瞬で走査した。

「アリア殿下、リン、足場を造ります。……四元素多重演算、術式呼称・電磁氷壁陣」

 ルシアンの足元から、眩いばかりの青と白の二重魔方陣が展開された。魔導杖の先端から放たれた極低温の数理波が、荒れ狂う運河の濁流へと突き刺さる。

 第一位相――【相転移】。

 ルシアンの精密な熱力学演算が、濁流の莫大な熱エネルギーを一瞬にして奪い去った。

 水深十数メートルに及ぶ水流が瞬時に凍結し、避難小舟の周囲を取り囲むようにして、厚さ2メートル、高さ3メートルを超える巨大な氷結防波堤が、運河の中央へ向けて一気に隆起した。押し寄せていた大津波が氷壁に衝突して激しい飛沫を上げ、平民たちの小舟は激流の直撃から完璧に遮断される。

「す、すげえ……! 運河が凍りついて、足場になったぞ!」

 平民たちから驚愕の声が上がる。だが、ルシアンの演算はそこで終わらなかった。氷結防波堤の外側へ、殺到していた十数頭の肉食海獣の群れが牙を剥いて飛びかかってくる。

 第二位相――【導電・拡散】。

 第三位相――【神経遮断】。

「……水の導電率、最適値。感電しなさい」

 ルシアンが魔導杖を鋭く振り下ろした瞬間、氷壁の表面に刻まれた幾何学回路から、紫電のスパークが一斉に奔流となって水面へと放たれた。水面を巨大な電導体として超高速で拡散した極小高圧の雷撃パルスが、海獣たちの肉体を一切焦がすことなく、その生体神経系だけをピンポイントでショートさせる。海獣たちは外傷ひとつ負うことなく白目を剥き、全身を激しく硬直させて水面へとぷかりと浮き上がった。

「計算通りです。誤差はコンマ02秒以内に収まりました」

 ルシアンが眼鏡を押し上げ、息を整える間もなく、次の脅威が襲いかかった。

 電撃の届かない深みから跳躍してきたのは、巨大な甲殻を備えた体長8メートルを超える狂乱の甲殻魔獣。巨大なハサミを振り上げ、氷壁の上に避難していた母親と子供へ向けて振り下ろされようとしていた。

「そこを動くんじゃねえぞッ!」

 突風が弾けた。

 氷壁の斜面を、音速の初速で蹴り上がってきたのはリンだった。

 脚部に装着された『ギア・グリーブ』の側面ギアが激しく噛み合い、高圧スプリングダンパーが一気に解放される。

 大気を踏み台にするような鋭い跳躍で、リンの身体は一瞬にして甲殻魔獣の頭上へと到達していた。

 両腕の『ギア・ガントレット』内部に組み込まれた多重遊星歯車が、最大トルクで超高速回転を開始する。高熱の摩擦抵抗が唸りを上げ、肘の排気スリットから白い高圧蒸気が吹き荒れた。リンはその回転トルクの反動を、引き締まった体幹の捻転によって下半身の『ギア・グリーブ』へと完全連動させた。体術・蒼気功と駆動工学が融合した新技――『ギア・トルネード』。

 技名など叫ばない。ただ腹の底からの気合とともに、激流の飛沫を巻き込みながら強烈な旋回回し蹴りを叩き込む。

「ぶっ飛べッ!!」

『ギア・グリーブ』の鋼鉄の踵が、甲殻魔獣の最も硬い頭頂部の中央へと吸い付くように叩き込まれた。金属を打ち鳴らすような音すら生じない。手脚のギアが連動して放たれた規格外の浸透波が、厚さ数十センチメートルの生体装甲を素通りし、巨獣の中枢神経と心筋を一瞬で粉砕した。直後、遅れて発生した浸透突風の衝撃波が円形に炸裂した。巨大な甲殻魔獣は甲殻を凹ませることすらなく、巨体ごと真後ろへと吹き飛ばされ、後続の魔獣2頭を巻き込んで運河の彼方へと叩き落とされた。

「へっ、バラックの爺さんのギア、最高の抜けじゃねえか!」

 リンが氷壁の上へ軽やかに着地し、脹脛の排気スリットから高圧の余剰蒸気を勢いよく吹き抜けさせて八重歯を光らせる。

 だが、その安全地帯へ向けて、最悪の砲撃が迫っていた。ローゼンベルク家の私兵装甲艇が、脱出路を阻む氷壁ごと平民の舟を消し飛ばそうと、魔導重カノン砲を発射したのだ。空気を灼く紅蓮の徹甲榴弾が、凄まじい推進力を帯びて氷壁の中心へと一直線に飛来する。

「邪魔よッ!!」

 白銀の残影が、氷壁の頂点へと躍り出た。

 アリアだった。

 左腰の鞘から、抜き放たれる『蒼水直剣アルビオン』。

 菫色の瞳に強い決意を宿し、少女は飛来する巨大な砲弾の正面へと、直剣を水面と平行に旋回させて滑り込ませた。

 新技――『蒼水抜刀・渦潮相殺』。

 刀身が円弧を描いた瞬間、アリアの全身を巡る蒼血が激しく呼応した。

 直剣の軌道が、飛来する砲弾の運動エネルギー、炸薬の熱量、そして背後から迫っていた大津波の水圧ベクトルと完全に同期する。

 無負荷化――『ゼロ化』。

 直剣の白銀の刀身が砲弾の先端に触れた瞬間、砲弾の持っていた数百キログラムの質量推進力と爆発の起点エネルギーが一瞬にして完全に霧散した。炸裂するはずだった徹甲弾はただの冷たい鉄塊へと変わり、勢いを失ってアリアの足元へと乾いた金属音を立てて転がり落ちる。同時に迫っていた大津波もまた、白銀の剣筋が描いた円運動に触れた瞬間、猛烈な破壊力を奪われ、ただの穏やかなさざ波へと解かれて氷壁の裾野へと消えていった。

「な……馬鹿な!? 装甲艇の主砲弾を、ただの剣の旋回で受け流しただと……!?」

 私兵隊長が船橋から身を乗り出し、恐怖に顔を引きつらせて絶叫した。

「フィリア、今よ!」

 アリアが背後へ呼びかけると、氷壁の安全な足場の中央で、フィリアが両手で聖樹の祈祷杖を天へと掲げた。桜ブロンドの髪を美しく夜風になびかせ、エメラルドの瞳に揺るぎない慈愛と使命感を宿して祈りを紡ぐ。

「主の慈悲よ、濁流を越え、命ある者を抱き留め給え――『無垢なる聖域・浮揚救命陣』!」

 祈祷杖の先端の翠玉から、眩いばかりの光の粒子が幾何学模様を描いて天空へと噴き上がった。光は無数のエメラルドグリーンの光球へと分裂し、濁流に投げ出され、転覆しかけた舟にしがみついていた何十人もの平民たちの身体を、個別優しく包み込んでいく。

 気泡結界に包まれた人々は、濁流の冷たさや水圧から完全に保護され、まるで羽毛のようにふわりと宙へと浮き上がった。そして、フィリアの祈りに導かれるようにして、ルシアンが構築した広大な氷壁の足場の上へと、一人残らず安全に搬送されて着地していく。

「あ……助かった……! 子供が、息をしているわ……!」

「聖女様だ……! 本物の聖女様が、俺たちを助けてくれたんだ……!」

 氷壁の上で、救い上げられた数十人の平民たちが涙を流してフィリアに手を合わせ、祈りを捧げた。

 かつて大聖堂の地下で「生贄の代用品」として命をすり潰されるはずだった少女が、自らの意志でその力を解放し、誰一人犠牲にすることなく民衆の命を救い上げたのだ。

 だが、救助が完了したその直前、氷壁の脇をすり抜けて外海へ逃れようとする一隻の豪華な装甲救命艇があった。船上には、ローゼンベルク家の高官とおぼしき豪奢な毛皮を羽織った太った貴族が、金塊と私蔵していた特級神水の木箱を山積みにし、船べりに縋り付いてきた下層民の老人を、長靴で無残に蹴落としていた。

「汚らわしい手で触るな、下層の蛆虫が! この船には大公閣下へ献上する金貨10万枚と特級神水が積まれているのだ! 貴様らのような貧民100万人分の命より、この船の積載物の方が遥かに価値があるのだよ!」

 平民の老人が濁流へと呑まれかけた、その刹那だった。

「――てめえの命には、銅貨一枚の価値もねえよッ!!」

 怒気を含んだ雷鳴のような叫びとともに、氷壁から弾丸のように飛び出してきた影があった。

 リンだ。

『ギア・グリーブ』の推進力で装甲艇の甲板へと一直線に着地したリンは、逃げ惑う私兵たちを一瞥もせず、太った貴族の胸ぐらを左手で掴み上げた。

「ひ、ひぃぃっ!? な、何者だ、無礼者め! 私はローゼンベルク家の大公親族にして――」

「知るかよ、豚野郎!」

 リンの右腕――『ギア・ガントレット』が、目の眩むような高圧蒸気を排気した。

 ゼロ距離からの無反動掌底――『浸透勁』。

 顔面にめり込んだ掌底の衝撃が貴族の意識を刈り取り、男の巨躯は木の葉のように宙を舞って、運河の濁流の中へと派手に叩き落とされた。

「おい、そこらの手すりに掴まってる奴ら! 全員この船に乗りな!」

 リンは甲板に積まれていた金塊の木箱を次々と足蹴にして運河へと叩き落とし、空いた船内へ向けて手を差し伸べた。アリアとフィリアが誘導した老人や子供たちが、次々と豪華な装甲艇へと乗り込んでいく。

「ふん、少しは役に立つ船じゃねえか」

 リンが額の汗を拭い、ニッと八重歯を覗かせた。

 ルシアンの『電磁氷壁陣』、アリアの『渦潮相殺』、フィリアの『浮揚救命陣』、そしてリンの『ギア・フレーム』の剛力。

 4人の新技と完璧な連携によって、壊滅寸前だったヴェネツィア・アルシアの下層民衆は、誰一人命を落とすことなく安全圏へと救出されていた。

 だが――。

 救助を終え、氷壁の頂点に立ったアリアがふと視線を向けた先。濁流に呑まれ、瓦礫と化した水底メガバンクの崩壊地点の中央に、静寂を纏って立つ『ひとつの影』があった。

(第三節へ続く)

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挿絵(By みてみん)

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