↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドなどいらない』  作者: 千石 かしる


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
60/125

第十六話:『敗北の夜と凸凹の絆』 第三節:百合の温もりと、再起の誓い

今回も最後に4コマつけています。一緒にお楽しみください。

 小屋の喧騒を遠くに聞きながら、アリアは桟橋の先端に腰を下ろしていた。

 足元では、満ちてきた海水が木杭を叩き、暗い水飛沫を散らしている。

 手すりから両足を投げ出し、少女はぼんやりと夜空を見上げていた。

 東の水平線の上、雲の切れ間から覗く星々の光は、帝都の天蓋越しに見ていた作り物の星屑とは違い、冷たく、だが息を呑むほど鋭く瞬いている。

 アリアは自分の両手を膝の上で重ね、ぎゅっと指先を絡め合わる。 白亜防護壁の頂で交差した、あの黒髪の青年の視線。 首元の『原初の勇者の聖痕』が、今も微かな拍動を繰り返している。

 いつもなら「やってやる」と拳を握り直すはずの胸の奥に、得体の知れない重たい澱のようなものが沈殿していた。

  (……あたし、どうしちゃったんだろう)

 いつも仲間を引っ張り、理不尽を叩き壊すためだけに前を走ってきた。

 だが、あの魔王の「泣き出しそうな瞳」を見てしまってから、自らが振り抜こうとしている剣の重さに、足が竦みそうになっていたのだ。 自分たちが敵として討とうとしている存在の正体も、この国が隠し続けてきた暗部の深さも、あまりに巨大すぎて輪郭すら掴めない。 夜風が吹き抜けるたび、全身の皮膚から体温が奪われていくような孤独感が、華奢な肩を微かに震わせた。 その背中を、ふわりと温かな何かが包み込む。

「……アリア様」

 鈴の音のように透き通った、柔らかな声。

 背後から伸びてきた白く滑らかな両腕が、アリアの首元へ優しく回され、そのまま華奢な身体ごと抱きしめられた。

 触れ合った胸元から伝わってくるのは、春の陽だまりのような、甘く優しい体温。 首筋に寄り添うように重なった少女の頬から、淡く温かな桜金色の燐光が立ち上り、夜風の冷たさを跡形もなく融かしていく。

「フィリア……」

 アリアが驚いて振り返ろうとすると、フィリアは腕の力をわずかに強め、アリアの肩口へそっと額を預けた。

「動かないでください、アリア様。……少し、冷えていらっしゃいます」

「……平気よ。あたし、頑丈だし」

 いつものように快活に笑い飛ばそうとして、アリアの唇は小さく引き攣った。

 声の震えを隠すように視線を暗い水面へと逸らし、膝の上の両拳をぎゅっと握りしめてみせる。 痛々しいほどの空元気。 だが、その強がりを暴くように、フィリアの細く滑らかな指先が、アリアのこわばった拳を上から包み込んできた。

「平気ではありません」

  いつもはおっとりと控えめな聖女の声に、微かな、だが決して退かない強さが混ざっていた。 フィリアはアリアの強張った指の隙間に、自らの白く華奢な指を滑り込ませ、痛いほど深く、力強く絡め合わせた。

「ずっと、背中が震えていらっしゃいました。……昼間の戦いから、ずっとです」

 見透かされたような言葉に、アリアの喉が小さく詰まった。

 虚勢を張ろうと唇を動かしかけたが、少女の手のひらから注ぎ込まれる無償の温もりに、張り詰めていた心の糸が、音もなく解けていく。

「……あたしね」

  潮風に掠れるような小さな声で、アリアは吐露した。

「怖かったのよ、フィリア。……あの防壁の上で、あの人の目を見たとき」

「魔王様の……目、ですか?」

「うん。……あんなに強いのに、あんなに容赦なく世界を壊せるのに……あの人の瞳の奥は、真っ暗で、冷たくて、一人きりで泣いている子供みたいだった」

 アリアは繋いだフィリアの手に、すがるように力を込めた。

「もし……あたしたちの生まれ育った国が、神樹が、全部誰かを食い物にするための嘘っぱちだったとしたら。……あたしたちは、何のために戦えばいいの? あの人の哀しみに、全部呑み込まれてしまいそうで……足が止まりそうだったのよ」

  皇女としてではなく、新世代の勇者としてでもなく、ただの16歳の少女として零れ落ちた弱音。

 生まれて初めて他人に晒した自らの脆さに、アリアは小さく身を縮めた。

  だが、フィリアは驚くことも、否定することもなかった。 少女はアリアの肩口からそっと顔を上げると、夜の闇を透かすような深いエメラルドの双眸を、真っ直ぐにアリアへ向けた。

 そこにあったのは、傷ついた迷子をやさしく包み込む母神のような、息を呑むほど穏やかで澄み渡った微笑みだった。 波打つ桜金色のサイドテールが夜風に揺れ、少女の陶器のように白い頬に淡い光の輪を落としている。 フィリアは絡め合わせた指先から、自らの魂の熱量を注ぎ込むように力を込め、さざ波のように静かで、揺るぎない声を紡いだ。

  「たとえ、この世界が偽りで満ちていたとしても」

  聖女としての偶像の薄皮を脱ぎ捨てた、一人の生身の少女としての絶対の確信。

「あの日、大聖堂の冷たい檻から私を連れ出してくださったアリア様の手は、本物でした。私のために泣いて、怒ってくださったアリア様の温もりは、教典のどんな奇跡よりも温かい真実でした。……それだけで、十分ではありませんか」

「フィリア……」

  フィリアはふわりと目を細め、泣きそうなアリアの頬へ、自らの自由な左手をそっと添えた。 掌を通じて伝わってくるのは、どんな過酷な運命の前でも決して折れることのない、無垢な慈愛の光。

「背負いきれない哀しみがあるのなら、私も一緒に背負います。アリア様が前を向けるように、私の祈りのすべてを捧げます。……貴女はもう、一人きりではないのですから」

  胸の奥の最も柔らかい場所に、温かな光が満ちていく。

  アリアの菫色の瞳から、張り詰めていた緊張の糸が切れたように、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。 少女はその涙を手甲で拭うこともせず、繋いだフィリアの手を力強く握り返した。

「……うん。そうね。……ありがとう、フィリア」

「はい、アリア様」

 ふたりが微笑み合った、その時だった。

「おいおいおい、ふたりで湿っぽい空気作ってんじゃねえよ!」

  桟橋の板を乱暴に鳴らして歩み寄ってきたのは、道着の帯を締め直したリンだった。

 その隣には、鼻筋の眼鏡を几帳面に押し上げ、青革のグリモワールを脇に挟んだルシアンが付き従っている。 青年の左頬にはまだうっすらと赤い打撲痕が残っていたが、そのネイビーブルーの瞳からは、先刻までの焦燥や自己否定は綺麗さっぱり消え失せていた。

 ハッとして振り返ったアリアは、濡れた菫色の瞳をまん丸に見開いた。 涙を見られた気まずさに耳たぶまで真っ赤に染め上げながら、それでも駆けつけてくれた悪友たちの姿を目にした途端、胸の奥から溢れ出す安堵感に、くしゃりと顔を綻ばせる。 泣き顔のまま、不器用に八重歯を覗かせた、等身大の少女の照れ笑い。

「……リン、ルシアン」

  アリアが立ち上がると、リンはニッと八重歯を剥き出しにして、アリアの肩を軽く小突いた。

「あのモヤシに美味い鍋を食わせて、根性を叩き直してやったところだ。……次はアンタの番だぜ、お姫様。暗いツラして海を眺めてるなんざ、アンタらしくねえや」

「誰が暗いツラよ! ちょっと夜風に当たってただけじゃない!」

  アリアが膨れ面で言い返すと、ルシアンが眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、呆れたようにため息を落とした。

「まったく……揃いも揃って感情で動く人たちばかりだ。ですが、アリア殿下」

 ルシアンは手元のグリモワールを開き、青白い魔導光で照らし出された西大陸の地勢図を指先で弾いた。 「水門を突破した魔王軍の進軍ベクトル、および艦隊の喫水を再計算しました。……奴らは、帝都へ直行してはいません」

「帝都へ行ってない……? 水門を破ったのに?」

 アリアが目を見張ると、ルシアンは手帳の針路予測を指し示した。

「奴らの針路が指し示しているのは、内陸の南西――【火の門閥】ブラント家が支配する軍需工業都市、ヘパイストスです」

  ルシアンの声には、参謀としての冷徹な冴えと、迷いを断ち切った知性の光が宿っていた。

「防壁の上で、あの魔王が振るった自律浮遊する黒鉄の柱……あの規格外の重金属杭を覚えていますね。帝国全土において、あれほどの質量兵器と超高硬度の装甲を製造・精錬できる技術基盤が存在するとすれば、ブラント家の高炉と魔導鋳造所をおいて他にありません」

  ルシアンはグリモワールを軽く閉じ、真っ直ぐにアリアを見据えた。

「奴らがなぜ帝都ではなくヘパイストスを標的に定めたのか、その真意まではまだ断定できません。ですが――あの都市へ向かえば、あの化け物が振るう黒鉄の柱の正体、そして奴の兵装を解き明かすための工学的ヒントが必ず手に入るはずです」

「あの柱の……弱点が見つかるかもしれないってこと?」

「ええ。僕の数理を、今度こそこのパーティーのために使い切ってみせますよ。……行きましょう、殿下。あの魔王が何を狙っているのか、そして奴に対抗する手段があるのか――僕たちの足で確かめるために」

「……へっ、言ってくれるじゃねえか、ルシアン!」

 リンが拳を胸の前で打ち鳴らし、青白い闘気をパチリと弾けさせた。 フィリアも胸の前で聖杖を握りしめ、凛とした笑顔で頷く。

 アリアは仲間たちの顔を一人ひとり見回した。

  迷いは、もう消え去っていた。

  たとえ行く手にどれほど巨大な世界の謎が待ち受けていようと、この4人であれば、泥を啜りながらでも前へと進んでいける。

「決まりね! 明朝、エスチュアリーを発つわよ! 目指すは西大陸の内陸――火の門閥ヘパイストス!」 夜の干潟の上、4つの異なる光が重なり合い、確かな誓いの円環を結んだ。


 


 エピローグ:黒煙の軍船と、真紅の自嘲


 時を同じくして―― 破断された巨石水門ポルト・ヴェルデを抜け、内陸水路へと静かに針路をとる巨大な黒鉄の軍船があった。

  甲板の先端、猛烈な夜風に漆黒の儀仗外套を翻して立つ青年がいた。 二代目魔王レン。

  青年の背後には、重力を歪めて浮遊する全長2.5メートルの『黒骸の断罪柱』が影のように従っている。 内部のドラグ機構から、チチチ……と規則正しい精密なクリック音が夜気に落ちていた。

 青年は、冷え切った夜空を見上げていた。 感情の起伏を失った「死人の能面」の奥底。 去来していたのは、白亜防護壁の頂で目にした、あの4人の姿だった。 圧倒的な実力差に手足を震わせながらも、互いを庇い、泥にまみれて歯を剥き出しにしたあの眼差し。 そして、何よりも――自分の一撃をゼロへと相殺した、あの少女の真っ直ぐな菫色の瞳。


『……あなた、本当にこの街の人たちを殺すつもりなの?』

 青年は骨ばった右手の指先を伸ばし、胸元で静かに脈動する『真紅の魔核』の表面にそっと触れた。

  (……くだらない)

 氷のように冷たい呟きが、夜の風に溶けて消えた。 その唇の端に、100年の間決して浮かぶことのなかった、自嘲の歪みがほんのわずかに走った。

(かつて自分たちも、あんな無様で泥臭い足掻きをしていた……)

  消え残る人間性の微かな疼きを、青年は絶対零度の平熱の底へと冷徹に沈め直した。 指先を離し、視線を西の地平へと向ける。 そこには、神樹の排液を垂れ流し、仲間たちを食い潰して肥え太った、偽りの栄華を誇る帝国中枢が横たわっている。

「……進めろ」

  静かな号令とともに、黒鉄の船団が夜の闇を切り裂いて内陸へと疾走を始めた。 世界を均すための、冷徹なる土木作業が、いま次の標的へと牙を剥く。

(第十六話 完 / 第2幕『東方逆流と泥濘の邂逅』 完結)

(第十七話・第3幕『暴かれる血の欺瞞と四門閥の黄昏』へ続く)


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 アリア・フィリアの4コマです。

挿絵(By みてみん)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。