第八話:『新世代勇者パーティー出陣』 第一節:天蓋の演壇と、祈りの死角
耳をつんざくような金鐘の重層連打が、聖都アルシリアの空を震わせていた。
前祭から七日。
白亜の天蓋結界から注ぎ込むのは、七色の光脈を人工的に編み込んだ眩惑の陽光。神樹イグニス・アルボルの巨根の下に広がる中央大広場は、すり鉢状の石畳を埋め尽くす数十万の民衆でごった返していた。
ドーム天井を満たすのは、豪壮なパイプオルガンと数百人の聖歌隊が織りなす荘厳な旋律、そして空を埋め尽くして乱舞する銀箔の紙吹雪。
信徒たちは涙を流して両手を掲げ、神水の奇跡を讃える叫びをあげている。
だが――その眩い狂騒の真下、足元の排水口の奥からは、鼻を衝く重金属とヘドロの饐えた腐食臭が、確かに這い上がっていた。
教会はその現実を覆い隠すように、大聖堂の香炉から最高級の白檀と聖油の煙をもうもうと焚き上げ、街全体を甘ったるい麻酔のような香気で塗り固めている。
欺瞞の繁栄を誇示する、計算され尽くした舞台装置。
地上百メートル。
大聖堂の正面頂に突き出た、白大理石の天蓋バルコニー。
そこには、帝国と教会の権力を握る者たちが、冷徹な観客として居並んでいた。
豪奢な天蓋付き車椅子に沈み、銀の延命管から特級神水を枯れ枝のような腕へ直接流し込まれている老聖帝。その隣で、黄金の司教杖を手に脂ぎった笑みを口元に貼り付ける教皇。背後には、軍需で私腹を肥やす火のブラント家、水運と金融を牛耳る水のローゼンベルク家といった四大門閥の当主たちが、値踏みするような視線を広場へ投げかけている。
そして、その壇上の最前列――
数十万の視線が集中する突端に、アリアは立たされていた。
身に纏うのは、皇室の神聖を誇示するために職人たちが何か月もかけて縫い上げた、純白の絹と銀糸細工による重厚な宮廷正礼装ドレス。
首元から背筋にかけて幾重にも締め上げられたコルセットは、呼吸すら制限するほどに硬く、少女の身体を「神輿の人形」として完璧に拘束していた。
その手元には、金箔で飾られた羊皮紙が一枚。
教皇庁が書き上げ、民衆へ向けて読み上げるよう命じられた、嘘の神託祝詞。
(……これを読み上げれば、すべては丸く収まるわけね)
アリアは伏せ目がちに視線を落とし、羊皮紙の文面を冷ややかに見見据えた。
そこに並んでいるのは、甘美な虚飾ばかりだ。
『神樹の恩寵は永遠なり。聖なる水はすべての民に平等に注がれ、穢れなき聖女の祈りが帝国の繁栄を約束する』――
この通りに淑やかに微笑み、可憐に声を響かせれば、アリアは一生「悲劇の聖女クラリスの再来」として、何不自由ない白亜の鳥籠の中で暮らしていける。
父帝は満足し、教皇は頷き、民は疑うことなく偽りの安寧に酔いしれるだろう。
だが。
アリアの胸の奥で燻っていたのは、そんな冷たい計算ではなかった。
魔王レンの放つ、すべてを凍てつかせて平らに均さんとする「絶対零度の虚無」とは、あまりにも対照的な熱量。
下町の泥水をすすり、傷だらけの拳を誇らしげに突き出してきたリンの熱い眼差し。
保身も出世もかなぐり捨て、胃を痛めながら仲間の生存だけを計算し抜いたルシアンの横顔。
そして――冷たい地下の床で、誰かのためにと泣きながら笑っていた、あの桜金色の少女のあどけない温もり。
理不尽を踏み台にして生き延びる大人たちの世界に、唾を吐きかけるための火種。
締め上げられたドレスの奥で、アリアの全身を巡る『蒼血』が、皮膚の内側をチリチリと焼き焦がすように、白銀の熱狂となって脈打っていた。
(あたしが背負うべきは、あんたたち延命狂いの老人たちの保身じゃない。泥にまみれて今日を生きている、あいつらとの約束よ)
アリアは指先で、黄金の羊皮紙の端をかすかに強く握り締めた。
◇
同じ刻限――
地上百メートルの華やかな熱狂の真下、大聖堂の最深部に位置する『深奥祈祷室』。
外のオルガンの響きすら厚い石壁に遮断され、そこにはただ、冷たい地下水の滴る音と、機械仕掛けの駆動音だけが澱んでいた。
白大理石の祭壇の中央。
そこに鎮座していたのは、黒ずんだ古代金属と苔むした巨石によって組まれた、異様な祭具――『神託の聖盤』だった。
帝国の公式神話において、その石盤は「至高の奇跡の証明」と教典に刻まれている。
百年前、東の海より現れた悪意の巨龍レヴィアを討つため、心優しき聖女クラリスが祈りを捧げ、神樹の託宣を受けた宮廷の正統騎士を「救世の勇者」として選定した伝説の祭壇――
だが、それは教会と貴族が手柄を独占し、体制の正統性を飾るために捏造した、血塗られた虚飾の神話に過ぎない。
平民の釣り師であったレンの泥臭い戦いも、仲間の犠牲もすべて歴史の闇に葬り去られ、ただ都合の良い英雄譚だけが民衆へ刷り込まれてきたのだ。
その真実を秘めたまま、石盤はあの日以来、百年間ただの一度も光を灯すことなく、死んだように沈黙し続けていた。
その祭壇の前、冷たい床の上で、フィリアは膝をついていた。
純白の重装ケープは幾重にも重ねられ、首元には大聖堂の天蓋聖火台へと直結する太い導魔管が、無慈悲に張り巡らされている。
管を通じて、少女の体内から奔流のような神聖マナが吸い上げられていく。
薄い唇をきつく噛み締め、血の気の失せた小さな奥歯を必死に噛み合わせた。
呼吸を乱せば意識が暗転するほどの激痛と目眩が、細い項を灼くように襲う。
それでも少女は声を漏らすことなく、両の瞼を固く閉じ、額を冷たい大理石の床石へと近づけるようにして耐え忍んでいた。
全身を削り取られるような魔力飢餓の恐怖に震えながらも、その両手は、胸元に隠した指先大の「偏光クリスタル」を、祈るように、すがるように、壊れ物を抱く力配分でぎゅっと握り締められている。
(あと少し……あと少しだけ……。アリア様が、来てくださるまで……!)
あの夜、自分を一人の人間として抱きしめてくれた手のひらの熱。
その温もりだけを暗闇の灯火にして、少女は折れそうな命の芯を踏み留まらせていた。
背後に立つ二名の黒服の異端審問官は、倒れかける少女の肩を冷酷な位置で固定し、表情一つ変えずに導魔針の圧力を引き上げていく。
その時。
ぎゅっと握り込んだ偏光クリスタルの表面が、内側からトクンと青白く脈動した。
◇
大聖堂の裏手、祝祭の影に沈む高架導水橋の橋脚の陰。
ルシアン・ド・アイテールは、煤けた石壁に背を預け、冷え切った指先で魔導眼鏡のフレームをカシャリと弾いた。
単眼照準器が展開され、レンズの内側に大聖堂全域の防護結界網とマナ周波数が、怒涛の勢いで青白い数式となって投射される。
左手には、秒針を刻む真鍮の懐中時計。
額には冷たい脂汗が滲み、胃の粘膜が悲鳴を上げていたが、青年のネイビーブルーの瞳は、研ぎ澄まされた刃のように静まり返っていた。
(式典進行、タイムテーブル通り。――アリア殿下が、壇上の先端へ到達)
広場の熱狂が、臨界点に達しようとしていた。
司教の高らかな先導の声が響き渡り、数十万の民衆の視線、大聖堂の全近衛兵の警戒、そして天蓋を覆う結界制御班の魔力感知が、バルコニーの突端に立つアリアの上空一点へと、磁石のように吸い寄せられていく。
意識の完全な集中。
ルシアンの計算した――【第一の死角】の成立。
そして、次の瞬間――
地下祈祷室から吸い上げられたフィリアの神聖マナが、大聖堂の屋上に設えられた巨大聖火台の術式コアへと雪崩れ込んだ。
天空を覆う白亜の天蓋へ向け、黄金の光柱が静謐に立ち上った。
揺らめく光の帯は神話の幕引きのように大気を満たし、幾重もの神聖幾何学の紋様を描きながら、燦然たる燐光の花弁となって天蓋の直下を埋め尽くしていく。
その莫大な魔力励起の余波を受け、大聖堂の地下結界網の循環流に、数理の隙間――十数秒間だけの『逆流減衰』が、青白いサインカーブの乱れとなってレンズの内側に弾け飛んだ。
ルシアンは視線を落とさず、右手の指先で眼鏡のブリッジをクイと押し上げた。
青白い魔導光に照らされた端正な口元に、氷のように冷淡で、だが確信に満ちたわずかな弧が刻まれる。
息を吐き出すように緩んだ唇の端に宿ったのは、自らの知性が世界の欺瞞を完璧に穿ったことへの、静かな矜持。
青年は一切の迷いなく手元の魔導杖を水平に掲げ、自らの左耳に光る耳飾り――青白い偏光鉱石のクリップへ、指先のマナを走らせた。
(――今です、リン。突入しなさい)
大聖堂の地下、暗い旧排水シャフトの奥。
潜伏していたリンの右耳で、お揃いの耳飾りがチリッと微細な共振音を鳴らし、青年の涼やかな念話が直接脳裏へ響いた。
「おうよッ!!」
野生の獣そのものの琥珀色の双眸を爛々と輝かせ、リンは手首のバンデージを力任せに噛み締めて引き締めた。
大理石の壁面を蹴り抜き、つむじ風となって跳躍する。
同刻、地上百メートルのバルコニー。
数十万の歓声が地鳴りとなって足元を揺らす中、アリアは手元の黄金の祝詞を胸の前へと静かに掲げ、肺いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ――。
(第二節へ続く)
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壇上のアリア




