第四十八話:『最果ての水辺』第三節:救済のハッピーエンドなどいらない
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ〜……。
厳かな弔いの静寂を、砂浜の底から派手に吹き飛ばすような、盛大で無遠慮な重低音が鳴り響いた。
「……っ!?」
アリアが耳たぶまで真っ赤に染め上げ、慌てて自らのお腹を両手でギュッと押さえ込む。
「な、何よ! 朝からあんなに動いたんだから、鳴るのが自然の摂理でしょッ!?」
「ぎゃはははっ! 相変わらずいい音鳴らしやがるぜ、アリア!」
腹を抱えて笑い転げるリンが、砂浜の波打ち際を指差した。
「ちょうどいいや! ほら見ろよ、潮だまりに銀色のデカい魚が跳ねてんぞ! 昼飯獲ってやるから待ってな!」
「ちょ、リン、服のまま飛び込むんじゃないよ……あーあ、びしょ濡れじゃない!」
リンは返事もそこそこに水しぶきを豪快に跳ね上げ、素手で浅瀬の魚を追い回し始めた。
その姿を見つめ、ルシアンが深く長いため息をつきながら、漂着した乾いた流木を手早く拾い集めてくる。
「まったく……相変わらず野蛮極まりない。ですが、生魚をそのまま食べるわけにもいきませんからね。……火起しの術式マトリクスを展開します。フィリア様、細い小枝をこちらへ」
「はい、ルシアン様! 焚き付けに良さそうな乾いた枝、たくさん集めましたよ!」
ルシアンが指先で極小の火種を励起させ、フィリアが嬉しそうに小枝をくべる。
パチパチと、小気味よい音を立てて焚き火の赤い焔が立ち上った。
リンが見事に仕留めた丸々と太った銀魚が、手頃な木の枝に突き刺され、炭火の遠火でじっくりと炙られていく。
滴る脂がジュウッと爆ぜるたび、香ばしい煙と魚の焼ける暴力的な芳香が潮風に乗って漂い、四人の喉を激しく鳴らさせた。
「ほらよっ、完璧な焼き上がりだ! 熱いうちにガツガツ食いな!」
リンから手渡された木の串を、アリアは両手で受け取った。
皮はパリッと香ばしい狐色に弾け、裂け目からは純白の湯気とともに極上の脂が滲み出ている。
アリアはかつてのように身を闇雲にほじくり返したりはしなかった。
神刀を握るような鋭い集中力で魚の背びれと腹に指を添え、すっと背骨に沿って身を二つに開く。
(……背骨に沿って、一気に浮かす……!)
かつて地下の暗渠で、あの黒髪の青年が無言で見せてくれた手つき。
そして旅の合間、失敗を繰り返しながら自らの手で覚えてきた泥臭い魚の骨の外し方。
パキ、と小気味よい音を立てて、太い背骨が頭部ごと綺麗に剥がれ落ちた。
「ど、どうよ……! 見た!? あたしだってね、やればできるのよ!」
アリアは胸を張り、ドヤ顔で八重歯をキラリと輝かせた。
リンが「へぇ〜っ! やるじゃねえかお姫様!」と目を丸くし、フィリアが「まあ、素晴らしいですアリア様!」とパチパチと両手で拍手を送る。
誇らしげに鼻を鳴らしたアリアは、そのまま開いた身を大きく一口、口いっぱいに頬張った。
「――んん〜っ! ふっくらしてて最高においし……っ、んぐ、げほっ!?」
「あーあ! 最後の小骨一本見落としてやがる! ぎゃはは、詰めが甘いぜ!」
「だ、誰が……っ、げほっ! の、喉に刺さってなんか……っ!」
「ほら見なさい、大骨が外れたからと油断するからです。全く、威張る前に喉の粘膜を労わりなさい!」
ルシアンがやれやれと首を振りながら冷たい湧き水の革袋を差し出し、リンが景気よくアリアの背中をバシバシと力任せに叩きつける。
「痛い! 背中叩かないでリン、魚が出ちゃう!」
「出すんじゃねえ、飲み込め! ほら、水流し込みな!」
その絵に描いたようなドタバタ劇を前に、フィリアが口元を手巾で押さえながら、波の音に負けないくらい快活に笑い転げていた。
「あははっ! ふふ……本当に、皆さん相変わらずで安心いたしますねぇ……!」
涙目で水を一気に飲み干したアリアも、リンの悪戯っぽい笑顔につられ、たまらず吹き出した。
四人の笑い声が、どこまでも広がる抜けるような青空へと吸い込まれていく。
肩書も、血筋も、欺瞞の重圧もない。
泥にまみれ、お腹を空かせ、仲間と笑い合って食べる魚の味。
これこそが、彼女たちが戦い抜いて掴み取った、本物の命の温もりだった。
食事が一段落し、潮風が心地よく火の粉を散らす中、ルシアンが水平線を見つめながら、静かに口を開いた。
「……さて。帝都の皇宮と教皇庁の中枢は更地となり、神水による搾取構造は完全に破綻しました。……残された元老院や地方貴族どもは、間違いなく僕たちを『救世の新星勇者』として祭り上げ、新たな体制の神輿に担ぎ戻そうとするでしょうね」
「戻るわけないでしょ、あんな息苦しい鳥籠」
アリアは立ち上がり、波打ち際へと歩み出た。
潮風に白銀のポニーテールを誇らしげに翻し、あっけらかんと笑い飛ばす。
「お父様たちの保身も、教会の薄汚い利権も、ぜんぶ反吐が出るわ。……あたしたちを勝手に勇者だの生贄だのって都合よく呼んで、救済のハッピーエンドを用意しようだなんて、ちゃんちゃら可笑しいのよ」
アリアはくるりと振り返り、三人の仲間たちへ向けて、太陽よりも眩しい不敵な笑顔を突きつけた。
「誰かが用意した綺麗なおとぎ話のハッピーエンドなんて、いらないわ! あたしたちは、泥にまみれて、傷だらけになって、自分たちの足で歩いていくの。……あんたたち、まさかここで解散する気じゃないでしょうね?」
その問いに、リンが八重歯を剥き出しにして、パチリと青白い闘気を弾けさせた。
「当たり前だろ! あたしの拳が届く限り、アンタの背中はあたしが守るんだよ!」
ルシアンは呆れたように肩をすくめ、胸ポケットから新しい眼鏡を取り出して鼻梁へと乗せた。
「まったく……非論理的な方々だ。ですが、天蓋の外側に広がる星海の真実、この世界の真の理を解明するという命題が残されていますからね。……専属参謀兼ツッコミ役として、最後まで付き合いますよ」
フィリアがふわりと駆け寄り、アリアの手を温かくぎゅっと握りしめた。
「はい、アリア様! 私たちの旅は……世界中の人々が自分の足で笑って生きられる明日を探す旅は、ここから始まるのですね!」
四人の瞳が、眩い朝日の光の中で一つに重なり合った。
肩書など、もうどこにもない。
第七皇女でも、町道場の娘でも、学府の秀才でも、生贄の聖女でもない。
泥水をすすり、命を預け合い、未知なる世界の果てを目指して歩み続ける――永久不滅の、四人の冒険者。
「行くわよ、みんな!」
アリアが前を向き、果てしない水平線へ向けて力強く右手を掲げた。
「あたしたちの、本当の冒険へ――ッ!!」
「「「おおーっ!!」」」
打ち寄せる白い波頭を蹴立てて、四つの影が、太陽の輝く渚を笑い転げながら全力で駆け出していく。
波飛沫を掛け合い、からかい合いながら駆けていくその足音は、どこまでも軽やかで、喜びに満ちていた。
焚き火のすぐ傍ら。
乾いた白い砂浜の上には、四人が一旦外して組み上げた武器たちが、しっかりと突き立っていた。
アリアの白銀の神刀、リンの緋金の砕霊甲、ルシアンのアストロラーベ・ワンド、そしてフィリアの白花の花弁杖。
网つの武具は、まるで互いの背中を支え合い、預け合うように絶妙なバランスで噛み合って自立し、潮風を堂々と受けていた。
そして――その少し上、小高い砂丘の頂から。
砂に立てられた素朴な竹竿と、カチリと小さく鳴った木製のルアーが、新しい時代を駆けていく愛おしい四つの背中を、あたたかな陽だまりのなかで、いつまでも見守り続けていた。
(本編・第三部『断罪の逆流と新星の勇者』 完)
ここまで一緒に駆け抜けてきてくださった、読者の皆様ありがとうございました。
アリアたちの冒険、いかがだったでしょうか。
私自身、web小説を書くのも初めてでしたし、どのような作品が受けるのかよくわからないまま始めました。でも、自分の中で書きたい物語を書ききったと自信をもって言えます。
皆さんはいかがだったでしょうか。感想などいただけると嬉しいです。
さて、『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドはいらない』ですが、実はここで終わりではありません。まだ、回収されていない謎が多く残っています。神樹イグニス・アルボルはまだ健在です。
そしてアリアたちも真に自由を手に入れ、ここから先世界の全貌を明らかにする旅が始まります。
なんといってもアリアは星が選んだ勇者ですから!
というわけで続編のプロットも存在しますので、皆様の望む声を多くいただけるのであれば、早期に執筆着手したいと思います。なくてもいずれ書きますが笑
改めてここまで読んでいただきありがとうございました!!
続編か、別の作品でもお会いできたら幸いです!それでは、またお会いする日まで。




