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『勇者を謀殺した帝国に、ハッピーエンドなどいらない』  作者: 千石 かしる


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第四十三話:『永久氷晶宮の対峙』 第三節:交わらぬ刃、解体の開幕

 フィリアの叫びが氷の神殿に吸い込まれた後、落ちてきたのは息の詰まるような沈黙だった。

 段上の玉座、青年は動かない。

 胸元の『真紅の魔核(ブラッド・ステラ)』が放っていた激しい光の波紋は、少女の言葉を噛み締めるように静まり返り、再び深海のような痛切な紅へと落ち着いていた。


 虚無の漆黒眼が、フィリアから、そしてその前に立つ白銀の髪の少女へと向けられる。


 アリアは、神刀『蒼水神刀 アルビオン・レガリア・改(真打)』の柄から手を離していた。

 一歩、また一歩と氷の階段を見据えて歩み寄る。

 首元の『星彩の首輪(ステラ・チョーカー)』が、アリアの体内で滾る『蒼血』と呼応し、淡い七色の光を放っている。


「……あたしたちは、帝国を守るためにここへ来たんじゃない」


 静かな、だが神殿の隅々まで澄み渡る声音だった。

 朝露を裂く清水の響き。

 欺瞞の教理も、騎士の建前もない、ただ一人の少女が魂の芯から絞り出す言葉。


「あんたがこの更地化作業を終えた後、自分の命をどうするつもりなのか、知っているからよ」


 青年の視線が、わずかに揺らぎを帯びた。


「神樹の根を断ち、大水門を壊し、世界を更地にした後……あんたは、その真紅の核ごと、自分の命を終わらせるつもりなんでしょう!? クラリスの遺骸を抱えて、海に沈むつもりなんでしょう!?」


 背後の永久氷晶の中で眠る、白銀の少女。

 そして、百年間、心を殺して土木作業の予定表を消化し続けてきた、擦り切れた青年。


「独りで逝かせたりしないわよ」


 アリアは菫色の瞳を真っ直ぐに据え、右手を差し伸べた。


「連れて行くの。……あんたをこの冷たい玉座から引きずり下ろして、みんなであの海を見に行くのよ! あんたがあの日、約束したはずの海を!!」


 救済の宣言。

 理不尽な宿命を蹴り倒し、泥にまみれて未来を掴み取ってきた新星の勇者による、魂の叫び。


 その熱い光に照らされた青年の双眸――一瞬だけ、かつて仲間たちと焚き火を囲んでいた頃の、柔らかな光が揺らいだように見えた。


 だが。ふつり、と。

 神殿を満たしていた微かな大気の呼吸が、完全に断ち切られた。


 温度が下がるのではない。

 空間そのものの重力場が歪み、床の黒氷が内側から悲鳴を上げるように軋み始める。

 吹き抜け始めたのは、どこからともなく巻き起こる、冷たく乾いた風。

 それは神殿の柱の間を抜け、まるで星そのものが慟哭しているかのような、低く唸る気流の旋律を奏で始めた。


 青年の漆黒の瞳孔の奥、一度は灯りかけたかすかな光は――底知れぬ深淵の奥へ沈み、完全なる絶対零度の虚無へと凍りついた。


 青年の影が、背後の氷晶宮の天井へ向けて、巨大な怪獣の輪郭のように伸びていく。

 床の黒氷に刻まれた亀裂が、青年の足元を中心に、生き物のように四方へと走り、幾何学の断層を描き出した。


「……遅すぎた」


 低く、平熱のまま落とされたその声は、神殿の空気を物理的に圧壊させるほどの重圧を孕んでいた。

 腹の底を直接掴まれ、内臓を冷たい氷水に沈められたかのような錯覚。


「百年、遅い」


 青年は手元の羊皮紙を無造作に放り捨てた。

 紙片が氷面を滑り落ちると同時に、青年は玉座からゆっくりと立ち上がった。


 呼応して、背後に自律浮遊していた全長二・五メートルの『黒骸の断罪柱(コキュートス・オベリスク)』が、重力場を跳ね上げて垂直に屹立する。

 漆黒の装甲表面を走る呪詛溝が、脈打つ深紅の輝きを放ち、神殿の闇を鮮烈に切り裂いた。

 柱の内部、エルの超精密魔導リールが、限界摩擦の白煙を噴き上げながら、一定のリズムで乾いた金属クリック音を刻み始める。

 チチチ……、チチチチ……。

 それは世界の終わりを告げる秒読みの鐘のように、神殿の玄武岩を揺らし、四人の鼓膜を震わせた。


 レンの両腕――黒金の鋭利な鉤爪を宿す『禍刻の十指魔手甲』が、水平へと掲げられた。


 十の指先が、わずかに空間を撫でるように動く。


 風すら置き去りにした完全なる無音の中で、光が歪んだ。

 ルシアンの右眼のアナライザー・モノクルが、空間の座標崩壊を告げる青白い数式で埋め尽くされる。

 大気中に張り巡らされていくのは、触れたものすべてを分子レベルで断ち割る、無数かつ不可視の極細魔導糸。

 神殿の全域が、青年の指先ひとつで命を刈り取る、巨大な解体の処刑場へと相転移した。


「言葉で作業は止まらない」


 青年の双眸の奥、血のように昏く澄み渡った『真紅の呪詛環』が、地獄の業火のように静かに点火した。


「退かないのなら……瓦礫と共に、均す」


 青年の両手が、わずかに引かれた。

 空間を両断する不可視の切断結界が、四人目掛けて音もなく収縮を始める。


「アリアッ!!」


 リンが叫び、踵部スラスターの圧縮ピストンを一気に噛み合わせた。

 両腕の『緋金剛・砕霊甲』が、紅蓮の気功を爆発させて迎撃の構えを取る。


 ルシアンが『アストロラーベ・ワンド』を旋回させ、四基の『アストラル・バインダー』を前面へ射出した。


「全方位偏向陣、展開! 糸のベクトルを逆算します!」


 フィリアが両手を胸の前で強く祈るように重ね、六基の『リリィ・ファンネル』を四方の防壁へと固定する。


「すべてを護りたまえ……八華光嶺結界ッ!」


 そして――アリアが、神刀の柄を握り締めた。

 白銀の刃が鞘走る。

 澄み渡る蒼銀オリハルコンの切先が、氷殿の冷気を切り裂き、青年の不可視の領域へと真正面から突きつけられた。


「行くわよ、みんな!!」


 世界の欺瞞を更地に均す絶対の魔王と、命を繋ぎ救済を誓う新星の勇者たち。

 百年の因果を断ち切るための、四重奏の激突が――いま、幕を開けた。


(第四十三話 完 / 第四十四話へ続く)


いよいよ最終決戦!


面白いなと思ったら、ぜひ次の話も読んでいってください!

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