第四十話:『耐食潜航艇ハイネマン・リバース』 第一節:火花と仕立て針
第零号廃ドックの底に満ちていたのは、夜を徹して燃え盛る職人たちの怒号と、青白い溶接の閃光だった。
巨大な黒金の艦躯を取り囲むように、幾重もの木製足場が組まれている。
腰に大槌を下げた造船鍛冶師たちが特級耐蝕鋼のインゴット板を担ぎ上げ、リベットを打ち込む金属音が空気を激震させていた。魔導技師たちが青い魔導炎のトーチを吹き付け、外殻の亀裂を寸分の狂いもなく接合していく。
高所のキャットウォークでは、ルシアンが掲げた『アストロラーベ・ワンド』から展開された青い立体ホログラムが、艦内のマナ配管と応力集中点の数理モデルをリアルタイムで更新し続けていた。
「第三セクションの外殻溶接を急いでください! メア・アビスの酸性汚染潮流に耐えるには、装甲の表面硬度をあと15パーセント引き上げる必要があります!」
ルシアンの怜悧な指示が飛ぶたびに、荒くれ者たちが小気味よく応え、槌音が一段と激しさを増す。逃亡時に身に纏っていたボロボロの貫頭衣はすでに脱ぎ捨て、4人は港の作業員詰所で調達した無骨な綿のワークシャツや帆布の作業着を纏い、総力戦の現場へと溶け込んでいた。
100年の眠りから叩き起こされた『耐食潜航艇ハイネマン・リバース』は、自由都市メルカトリアの総力を呑み込みながら、見る見るうちに獰猛な深海巨鯨としての威容を取り戻しつつあった。
その熱狂の最中、ドックの昇降機が重々しい音を立てて接地した。
「――おいおい、どきな! 槌を振り回すだけの脳筋どもが道を塞いでんじゃねえ!」
濛々と立ち込める蒸気を蹴破って姿を現したのは、筋骨隆々の太い腕に金槌と火箸をぶら下げた、小柄で頑強な老人だった。
無造作に結わえた白髪混じりの髷、頑固そうにへの字に結ばれた唇、そして鋭利な光を放つ鷹のような眼光。かつて城塞都市アイゼンガルテンの地下深奥で、折れた直剣に絶望していたアリアに『片刃刀』の神髄を授け、共にレガリアを打ち上げた伝説の刀鍛冶――ムラサメだった。
「ムラサメ……!? なんであんたがメルカトリアに!?」
キャットウォークから身を乗り出したアリアが、驚愕に目を見張った。
「アイゼンガルテンが魔王軍の進軍で揺れた後、公爵から『東方の海路の様子を探ってこい』と使いに出されてな。この港町で潜伏してたら、お前さんたちが評議会の鼻面を引き回して大騒ぎを起こしてるって噂が聞こえてきたんだよ」
ムラサメは鼻を鳴らし、肩に担いでいた重厚な革袋をドックの石畳へと無造作に投げ落とした。
鈍い地響きが足元を揺らす。老人は懐に腕を突っ込み、足場の上に立つアリアを鋭く見据えた。
「おい、小娘。アイゼンガルテンでお前に授けたあの刀――『蒼水神刀 アルビオン・レガリア』を見せてみな」
アリアは迷わず階段を駆け下り、作業着の腰に帯びていた白銀と波頭の刀を鞘ごと差し出した。
ムラサメは無言で受け取ると、親指で鍔をわずかに弾き、抜き身の刃文を検分する。透徹な波頭の刃文。アリアの『蒼血』と星銀蒼鋼が織りなす美しい曲線に、老鍛冶師の口元がわずかに緩んだ。
「……フン、折らずに刃筋も狂わせず、しっかり使い込んできたようだな。だが、これから挑むのはあの死の海メア・アビス、そして最果ての魔大陸だ。相手は世界を更地にする絶対の災厄……今の刃金の硬度じゃ、極限の激突に耐えきれんぞ」
「……もっと強くできるってこと?」
「当たり前だ、誰に口を利いてるんでえ」
ムラサメはニヤリと不敵に笑うと、足元の革袋の真鍮金具を蹴り外した。
中から転がり出たのは、淡い乳白色の光を自ら放ち、大気中のマナと共鳴して静かに波打つ奇跡の神金属だった。
「これは……『蒼銀オリハルコン』……!」
駆け寄ったルシアンが、アナライザー・モノクルの焦点を合わせて息を呑んだ。
「古代海洋民の秘伝として、俺の血統が代々守り継いできた至高の宝金だ。小娘、お前の水のように澄んだ『蒼血』、そしてこの蒼銀オリハルコンを芯金に折り込み、レガリアを真の姿――『真打』へと打ち直してやる! ついでに、その華奢な身体を守るための胸甲も叩き上げてやるよ!」
ムラサメは神刀を掲げ、アリアの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「水は円を描き、弧を滑らせてこそ万物を両断する。……神話の海を切り拓く『真の刃』、このムラサメが命を賭して仕上げてやるから、首を洗って待ってな!」
「ありがとう、ムラサメ! ……あたしの命、あんたの炎に預けるわ!」
「応よ! 最高の火を熾して待ってろ!」
老鍛冶師はドック脇に据えられた特設の大型高炉へ向け、脱兎の勢いで駆け出していった。響き渡り始める激しい鎚音。白銀の刃が、真の覚醒を果たすための再鍛造が始まった。
▼▼▼
それから数刻後。
神刀の再鍛造と潜航艇の外殻補強が順調に進む中、アリアとフィリアはドック脇の詰所へと呼び出されていた。そこでは、男たちの熱気とはまったく別の種類の嵐が吹き荒れていた。
「あいたたた! ちょっと、引っ張りすぎだってば!」
「動くんじゃないよ! 肩甲骨周りの稼働寸法が狂ったら、大振りした時に関節が突っかかるだろ!」
悲鳴を上げているのはアリアだった。
詰所の板張りの間には、幾重もの反物と仕立て台が所狭しと並べられている。
メルカトリア繊維・仕立てギルドの女将たちが、四方を完全に取り囲み、臨時作業着の上から巻き尺とチョークを手に猛烈な勢いで寸法を測りまくっていた。
持ち込まれていたのは、ただの布地ではない。
帝国門閥の目を盗んでメルカトリアの密輸商人が海底深く隠匿していた、星海の超高圧と酸を完全に遮断する『星海耐圧魔導繊維』。そして、天才魔導技師エレノアが100年前に遺した手記に基づき、この街の工房が極秘裏に織り継いできたという、生体マナを循環させる『耐食生体触媒織物』の反物だった。
「いいかい、お嬢ちゃんたち! 港の適当な作業着のまま、あの海を越えて極寒の魔大陸へ行く気だったのかい!? 寒さと水圧と毒に同時に喧嘩を売るってことなんだよ! 動きやすくて、軽くて、絶対に破れない最高の装束を仕立ててやるからね!」
女将が手際よくハサミを走らせ、白金と翠玉の布地を瞬く間に立体へと縫い合わせていく。
「ひ、ひゃあぁ……っ、くすぐったいです……!」
隣では、フィリアが両手を上げて涙目で身悶えしていた。
二人がかりでウエストと太ももを締め上げられ、華奢な身体が小刻みに震えている。
「我慢おし、お嬢ちゃん! ほら、胸元を留めるよ!」
幾重もの仮縫いの針が抜かれ、最後の金糸が引き締められた。
「よし……! できたよ! 鏡を見てごらん!」
女将たちが誇らしげに両脇へ退いた。促されて姿見の前に立ったフィリアは、そこに映る自らの姿を見て、息を呑んで立ち尽くした。
「これ……が、わたし……?」
鏡の中にいたのは、教皇庁の薄暗い大聖堂で着せられていた、足首まで覆う重苦しい拘束ローブ姿の少女ではなかった。
首回りと胸元に鮮やかな翠玉の装飾が施された、ハイネック・ノースリーブの白金コンバットチュニック。
肩と腕の可動域は極限まで広げられ、風の巡りを一切邪魔しない。
腰回りを引き締める頑丈な革のユーティリティベルトには、結晶ポーションポーチが機能的に配置されている。下半身を包むのは、前開きになった多層装甲タラールスカート。
幾何学的な装甲板を思わせる布地が優美に広がり、その内側には、耐圧・防風性能を極めた白金の高弾性コンバットレギンスが脚線に吸い付くようにフィットしていた。
足元には、金の金具と翠玉の靴底があしらわれた、無骨ながらも愛らしい白革の旅装ブーツ。
『聖女の戦闘用フィールドドレス』。
誰かの身代わりの生贄としてではなく、自らの足で大地を駆け、愛する仲間たちを前線で守り抜く「真の聖女」のための戦闘装束だった。
「す、すごいです……! まるで羽みたいに軽くて……それに、身体の芯から温かい風が巡ってくるのを感じます……!」
フィリアが歓喜にエメラルドの瞳を輝かせ、くるりと軽やかに回ってみせる。タラールスカートの裾が、翠の光芒を孕んでふわりと舞い上がった。
「よく似合ってるわ、フィリア」
採寸を終え、上着の仮縫い布を羽織ったアリアが、心からの笑みを浮かべて歩み寄った。
「教会のどんな豪奢な法衣よりも、ずっとずっと綺麗よ」
「アリア様……!」
フィリアが顔を紅潮させ、はにかむように微笑む。
その可憐でありながら凛とした佇まいに、厳しかった女将たちも目頭を熱くして鼻をすすっていた。
そこへ、ドックから戻ってきた魔導技師が、ベルベットの敷かれた黒塗りの木箱を丁重に運んできた。
「聖女様、技師ギルドとムラサメ殿の合作……追加の発注品が仕上がりましたぜ」
箱の蓋が開かれる。
現れたのは、白銀のフレームに透き通るような翠玉の魔導ガラスが嵌め込まれた、手のひら大の花弁型遠隔魔導ユニット6基――『リリィ・ファンネル』だった。そして、その中央に置かれた、一筋の光を湛える翠玉の指輪。
フィリアは促されるまま、右手を差し出した。
中指に『祈誓の翠玉環』が滑り込む。
カチリ、と微かな魔導の噛み合う気配が走った。少女の精神波と指輪が同期した瞬間、箱の中に収まっていた6基の花弁端末が、まるで眠りから覚めた小鳥のように、音もなく宙へと浮遊した。
「わぁ……!」
フィリアが息を呑む中、6基の端末は少女の背後へと回り込み、巨大な光の翼を広げるように放射状の円陣を組んで静止した。
指先に意識を込めるだけで、端末が三次元の空間を自由自在に舞い、仲間を包み込む絶対不可侵の『八角錐結界』を瞬時に展開できる構造。最新の魔導工学によって組み上げられた自律遠隔守護システムだった。
「これなら……これなら、わたしも前線で戦えます! アリア様や、リンさん、ルシアン様の背中を、絶対に守ってみせます!」
フィリアは右手を胸元に当て、強い決意を瞳に宿して頷いた。
その時、ドックの換装作業が一区切りを迎えたのか、外殻の溶接音が静まり、機械の冷却音だけが響き渡った。潜航艇の主機関の熱を冷まし、マナ配管を安定させるための、数時間の停滞時間。
「よし、機関冷却の間に、足りない高純度マナ触媒を調達してくるよ」
詰所の入口から声をかけたのは、リンだった。
すでに港の作業服の上から夜風除けのストールを巻き、出かける準備を整えている。その背後には、同じくコートの襟を立てたルシアンの姿があった。
出航前のメルカトリアの街へ、二人が買い出しへと足を踏み出そうとしていた。




