第三十三話:『帝都包囲、白銀の帰還』 第三節:白銀の帰還と宣戦
雲海を垂直に切り裂き、飛空艇ストーム・ペレルが神樹大聖堂の頭上わずか数十メートルへと突入した。
双発の魔導ブースターが放つ青白いプラズマの逆噴射が、大聖堂前広場を覆う黒煙を一瞬で吹き飛ばす。
「な……飛空艇だと!? 所属を名乗れ! ここは教皇猊下直轄の絶対聖域なるぞ!」
白亜のテラスに立つ司教が狼狽し、近衛魔導兵たちに迎撃砲の照準を命じようと叫んだ。
だが、それよりも早く、開かれた艇のハッチから長身の影が甲板の縁へと躍り出た。
ルシアンだ。
右目のアナライザー・モノクルが目も眩むような青い数理コードを放ち、手元の真鍮製アストロラーベ・ワンドが耳朶を圧する高周波の回転音を響かせる。
その視線が捉えたのは、広場の石畳の直下――帝国水文工務局が管理する、高圧神水導水管の集約中枢バルブ。
「他国から略奪した神水を、自国の民を締め殺す首輪にするなど……! 学府の恥さらしどもが、自然の水理を舐めるな!」
ルシアンがワンドの先端を垂直に、眼下の石畳へと突き出した。
四属性同時励起――超大魔導『四属性連鎖・神水噴流幾何学』。
瞬間、広場を埋め尽くしていた数千の噴水孔、排水溝、そして導魔管の亀裂から、数千トンに及ぶ超高圧の神水が一斉に天空へと噴流した。
地中から吹き上がる水の柱。
ルシアンの幾何学障壁によって方向を制御された高圧水流は、民衆を避けるように弧を描き、広場を取り囲んでいた聖樹近衛騎士団と洗罪執行隊の頭上へ向けて、巨大な水の檻となって降り注いだ。
濁流のような水撃が、近衛兵たちの重装甲を薙ぎ払う。
洗罪執行隊の突き出していた『濁質杭』は水圧によってへし折られ、体内に寄生させていた植物筋腱が、純度の高い神水の奔流に晒されて激しく痙攣・自壊を起こした。
武器を弾き飛ばされ、ずぶ濡れになった兵士たちの足元を、足首まで浸かる激流がすくい上げる。
そこへ、緋色の影が隕石のように甲板から飛び降りた。
「どきな、教会の腰抜けどもッ!!」
リンだ。
空中で体勢を沈み込ませ、水浸しになった石畳の中央へ、両腕の『ギア・ナックル(緋金剛・砕霊甲)』を真正面から叩きつけた。
ドクン、と大地が波打つような衝撃の透過。
生体腱ダンパーと調律歯車が反動をゼロへ相殺し、ダンカンから受け継いだ青銅琥珀の剛心と、リン自身の研ぎ澄まされた蒼気功が、地盤の断層を介して扇状に炸裂した。
石畳が波紋のように隆起し、水飛沫を巻き上げて兵士たちの隊列を一瞬にして転倒・分断させる。
殺傷を目的としない、完全なる無力化の一撃。
何千もの包囲陣が、手も足も出ないまま外郭へと押し流されていった。
「ひ、ひぃぃっ……! 化け物どもめ、何者だ!」
混乱する広場に、今度は柔らかな、春の陽だまりのような光が満ち渡った。
艇の甲板から、フィリアが【風のワンド】を両手で掲げ、天へと祈りを捧げていた。
胸元の偏光クリスタルから溢れ出たのは、翠玉の『聖域結界』。
降り注ぐ光の雨が、マナを奪われて倒れ伏していた市民たちの傷を癒やし、パニックで呼吸を乱していた何十万もの人々の恐怖を、静謐な温もりで包み込んでいく。
立ち込める白い水煙の中。
船首から軽やかに石畳へと舞い降りたのは、白藍の跳躍装束を纏った一人の少女だった。
風に揺れる白銀のポニーテール。
翻る深い藍色のケープフリルと、純白の装束。
その腰元には、白銀と藍の幽玄なグラデーションを湛えた、一本の美しい片刃の神刀が佩かれていた。
「あ……あの方は……」
「第七皇女殿下……!? アリア様だ!」
「降誕祭で教会の嘘を告発し、反逆者として追われたはずの……!」
水浸しの広場に、どよめきが雷鳴のように広がっていく。
アリアは倒れかけていた市民の肩を優しく支えて立ち上がらせると、ゆっくりと顔を上げた。
その菫色の瞳が、大聖堂のバルコニーで蒼白になっている教皇庁の高官たちを、真っ向から射抜く。
少女は腰の『蒼水神刀 アルビオン・レガリア』の純銀の鍔へ、迷いなく右手を掛けた。
「市民の皆様、顔を上げてください!」
凛とした、澄み渡る声が広場の隅々まで響き渡った。
「祈りを捨てて、直ちに大聖堂の地下・外郭放水路へ避難してください! この国も、玉座の権力者たちも、もはやあなた方を守る気なんてありません! 生き延びるために、自分自身の足で走ってください!」
アリアは柄をわずかに押し上げ、鯉口を切った。
シャリ、と研ぎ澄まされた硬質な摩擦音が、広場の静寂を切り裂く。
「あなた方の逃げ道は――あたしたちが、この命に代えても守り抜きます!」
その宣言に、絶望の底にいた市民たちの瞳に、初めて確かな生への灯火が宿った。
「逃げろ!」「水路へ向かうんだ!」
押し殺されていた民衆の足音が、逃走の奔流となって地下水路へと動き始めた。
▼▼▼
遥か上空、成層圏。
暗雲と天蓋結界の境界、灰翅族の超巨大旗艦の直上に、巨大な黒紫色の影が滞空していた。
全長50メートルを超える飛竜――冥淵飛竜ベルゼファル。
大気の暴風を巨大な翼で切り裂き、滞空するその強靭な頭頂の黒鱗の上に、漆黒の外套をはためかせ、二代目魔王レンは微動だにせず直立していた。
感情の起伏を示すことのない、絶対零度の死人の能面。
眼下の大聖堂広場に灯った「白銀の光芒」を、その漆黒の双眸が静かに見下ろしている。
禍々しい装飾の中で唯一異彩を放つ、腰の古びた革ポーチ。
そして左手は、胸元の心臓真上に埋め込まれた『真紅の魔核』を、かすかに強く押さえていた。
「……来たか」
青年の唇から、氷のような呟きが零れる。
ベルゼファルの背後、空中に自律浮遊する灰翅族の旗艦甲板から、天文魔導儀を背負った星詠族の総参謀オディロンが進み出た。
老魔族は広げた巻物から目を上げ、恭しく頭を垂れる。
「レン様。外海『星海』の引力による潮汐……引き波の極小値に到達いたしました。神樹結界の位相減衰を確認。結界の強度は予定通り、通常の三分の一以下にまで脆弱化しております」
旗艦の周囲には、耐火羽毛を広げた灰翅族の空爆部隊、牙を研ぐ潮殻族、そして装甲を再生させた白骨族長バウルが、無言のまま主の号令を待っていた。
十万の異形の軍勢が放つ、張り詰めた絶対の殺気。
レンはゆっくりと、右手を天へと掲げた。
禍刻の十指魔手甲が生体金属の軋みを上げ、ベルゼファルの背後に自律浮遊する『黒骸の断罪柱』が、重力を歪めて水平へと倒れ込む。
その内部深奥から、エルの魔導リールが「チチチ……」と乾いた金属クリック音を規則正しく刻み始めた。
「世界征服などではない。神への復讐ですらない」
レンの感情を削ぎ落とした平熱の声が、成層圏の凍てつく大気を震わせる。
「あいつに見せる海に、欺瞞の都はいらない。……作業を開始する」
黒外套を翻し、断罪柱の先端が白亜の帝都へと向けられた。
「――すべてを、更地に均せ」
冥淵飛竜ベルゼファルが喉奥から低く地響きのような咆哮を漏らし、黒紫色の翼を広げて急降下へと転じた。
地上の白銀の勇者アリアと、天空から巨竜を駆り降臨する魔王レン。
百年の因果の糸が激しく絡み合い、帝都アルシリアを舞台にした最後の激突の幕が、いま切って落とされた。




